村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

446.平成30年年頭「腰痛問題の体験から思う人生論」

2018-01-02 19:21:25 | 健康作り
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平成30年年頭「腰痛問題の体験から思う人生論」

世の中の多くの人が苦しんでいる病気が腰痛である
人間が二足歩行をした宿命とも言われている
更に高齢化が腰痛問題を大きくしている
かく言う私も腰痛で長年悩ん出来たし、今も悩み続けている
人間は本来の弱点に一番早く、長く病気が出てくるのだ
すなわち高齢化の時代には、身体の器官を長持ちさせる工夫と努力が必要なのだ
しかし現代の享楽な暮らしは、ますますそういう配慮を人々から奪ってしまうようだ
すなわち若い頃からそんな面倒なことをしたがらないのだ

多くの人が間違ってしまう要素はつぎのようなものだ
 ・どこそこの先生や病院や治療法が良いからと、そこに出かける
 ・病気は自分自身で直すものとは思っていない
 ・病気でもしかたないと諦める
 ・自分自身で考えない、手あたり次第情報に頼ろうとする

①正しい暮らし方
②正しい養生法や管理法の実践
③暮らし方や管理法の絶え間ない改善
④続ける、我慢強さ
⑤薬に依存しない
⑥医者に依存しない
⑦歳のせいにしない
⑧有識者に振り回され、自分の考えがない
 本当は良くないことを良いと信じ切っている
⑨心の強さ
 心が迷う
 ついつい無理やいい加減なことをやってしまう
⑩合理性のなさ、宗教や迷信などを信じ過ぎない
⑪他人の目を気にしない
⑫暮らし方全般の正常化

自分もかつてそうであったし、周囲の人の多くが確たるものを持たずに
迷っている・正しいことが分かっていない・正しいことをやろうとしない

例えば虫歯や歯槽膿漏だが、正しい歯磨きができていない
 ・間食や頻繁に甘い物を飲む、当然のようにやっている
 ・食後の歯磨きを三度やっていない
 ・夜寝る前の入念な歯磨きをしなくても平気
 ・歯垢を定期的に取らないで溜まり放題だ
 ・舌にべっとり苔をはやしたままだ
そして医者に通ったあげく、最後は諦め、入れ歯になる

腰痛の場合はもっと複雑でもっと深刻なのだ
そして典型的に歳のせいにし、早々に諦める対象なのだ
虫歯=歳のせい、腰痛=年齢のせい なのだ
そういう決めつけの前はさんざ素人療法や薬や医者に頼るのだが、
いい加減な暮らしを続けるから、当然効果は上がらなくなって行くのだ
そして行き着く先は諦めだ、諦めたらいけないのだが、諦めざるを得ない
何故かというと、間違った暮らしや養生や管理・医者や薬への過度な依存

また予防に対する甘さだ、予防というのは一重では駄目
二重三重にやっておかないと効果は発揮されない
腰痛でも予防すべきことは50や100はあるだろうが
多くの人はせいぜい数個しか予防をやっていないし
かつそれらも本人が確信をもってやっていないからいい加減なのだ
自分ではそれでも「やっている」と信じ込んでいる
こういう安易な信じ込みが更なる悪さをするのだ

地震対策などが良い例で
まず住む場所の適正化から始まり、相当多くの予防策を実施する必要がある
しかし多くの人はまず出発点から出来ていないのだ
危険極まりない場所に平気で暮らしている人があまりに多いのだ
東北大地震・大津波でも、過去の悲惨な大被害の体験を無視してきた
「なぜあんな大きな津波が来たか信じられない」と言うことが信じられない話だ

歯が抜けるとか腰痛になるなんて若い頃から分かりきったことなのだが、
歳をとって初めて「腰痛に気づいた」ようなことを老人は言う
大地震、大津波も「まさかこんな災害に会おうとは、想定外だった」と人は言う

長時間座ったまま、悪い姿勢で、運動せず、適度な紫外線も浴びず
そんな暮らしを現代人は平気で続けてきたのだ
大地震や大津波の被害を経験しているのに、行動しない人が何と多いか

そういうことはどこかできっぱりと改めないといけなかったのだ
最初に腰痛が起きた時点で真剣に勉強し考え対策すべきだったのだ
先延ばしという奴だ。人生論においても全く同じことだ
最初に悩み・苦しんだ時点で、
「真面目に人生とはいかにあるべきか」と問うべきだったのだ
原因は多いがまず早めに気づくことだ

病気でも言うでしょ「早期発見・早期治療」
大事なこと基本中の基本は「早期自覚・早期予防」なのだ
禅でもよく言われることは、「人は本来仏なのに、それに気づかない」
「気づこうとしない」そこでまず、とりあえず気づかせることが大事なのだ

病気の場合も、まず小さな痛みや異変そして病気を予感すべきなのだ
現代人は気づく能力がかなり落ちた、そういう意味で総痴呆化なのだ
ある意味、
現代人は徘徊人なのだ、生きているというより人生を無駄にうろついている

・自分で気が付く
・自分で調べ
・自分で考え
・自分で予防方法を考え
・自分で実行し改善する
・自分で続ける
どこにも諦めるなんてことは、どこにも出てこない
あるとすれば1)心の弱さ2)依存3)面倒がる億劫がる、そして諦める

自給自足なんてのは意外に難しいのだが、現代は自分が主体的にやることが
かなり難しくなっている、すなわち現代は自分が不在なのだ、自己喪失の時代
自己愛とか自意識過剰なんてのはあるが、自分でやらない人が増えた
その結果かどうかわからないが、クレーマー(文句言い)が増えている
何かというと他人にやらせる、やってもらうのが当たり前になっている
自分でやらないから腰痛も直らない、整骨院は腰痛の患者で溢れているのだ

かく言う私も75歳でやっと腰痛への正しい自覚と予防処置を自分なりに見つけた
これまでいろいろな情報に接して試みてきたが、自分のものにならなかった
有意義な情報が自分の実にならないということ、それが現代なのかもしれない

そして腰痛に苦しむ人が、いろいろやってはいるが実態はむしろ悪化していく
すなわち悪循環に陥る人が多いということだ
やってはいるが良くなるどころかますます悪化する、その原因は
 ・やり方自身が間違い
 ・きちんとやってない
 ・やるべきことの一部が抜けている、やるべきことが全部網羅されてない
 ・やり過ぎる、無理する
 ・ある方法にこだわり、そればかりを集中的にやってしまう
 ・やり方以前に、取り組む基本姿勢・本質が間違っている
 ・真剣にやる気がない、やったりやらなかったり
 ・やりながら問題点を改良しない
「あれこれやっているんだ」という
これが良いのではとやり、駄目だとまたあれが良いのではとやり、またまた駄目
次々にあれこれやってみるが確信もなし、一貫性もないし、網羅性もない
本来はやるべきことを一つづつきちんとやるべきなのだが
何かすぐに良くなる魔法みたいな方法がないかと探し回り飛びつくだけのこと
人生でも同様に、あれこれやって、振り回された挙句、何も身につかない

人も方法も物も次々に追い回すだけ。 腰痛でもいろいろな治療法を試す
治療とは一時的なのだ、それより日々の暮らし方や管理こそが重要なのだ
そしてやってもやっても上手くいかず、
上手くいかないこと自体を、あれこれ悩み苦しむのである
マイナス思考になり落ち込み、自信喪失しいよいよ諦めにつながって行く

私のやっている最終的な結論としての腰痛対策は(但し、大事なのはやり方)
①真っすぐな姿勢で座る
②長く座り続けない
③自動車に乗りすぎない、毎日歩く、自転車に乗る、家事する、運動する
④ストレッチは欠かさない
⑤毎日適度に陽に当たる
⑥足腰を冷やしすぎない
⑦足腰の血行不良を養生する
⑧昼間は外で動く、汗かいて作業する
⑨少々の腰の痛みは気にしない、むしろ歓迎
 痛いから腰痛だ、痛いから動かさないは逆だ
⑩腰痛に関係ない生活習慣も理想状態に維持する
⑪あくまで自己判断・自己努力
⑫歳のせいにして諦めない

少なくとも以上が満点になるまでは腰痛はひどくなり改善されることはない

もっと書きたいが、老人の私のいけないのは話が長くなること
新年早々は、これにてお終いにします
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