村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

582.医者を信じない頼り過ぎない、医者には限界がある

2024-06-14 20:54:08 | 健康作り
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*********村上原基人生勉強会*********
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
医者を信じない頼り過ぎない、医者には限界がある(整骨・整体師も含む)
自分の、自分による、自分のための自分独自の健康管理
   天は、自ら助ける者を、助ける
  「医者が何でもどうにかしてくれる」という考え方はダメ

かかりつけ医や緊急時に医者にどうしてもお願いすることは次のこと
①血液検査②注射③投薬④専門機器による検査⑤緊急処置⑥手術など素人には出来ない検査や処置
高齢者の私は、普段の自分の健康については医者は誰であれ、あまり頼りにしない。医療に関わらず何でも、「最終的に判断し決断するのは自分自身であって医者ではない」と考えています。なぜならば医者は私の身体や暮らし方や健康管理や私に関するデーターをあまり持っていない。基本は自分で検査し自分で判断する。私は、朝昼晩に血圧を計り、記録している。そうすると一日の傾向や季節変動など自分自身の血圧状況が厳密に分かるのである。
自分で検査し・記録し、自分で判断し、自分で対策する。
そのためには個人も医者レベルの知識が必要、今は一般人でもインターネットなどで知識はいくらでも得られる。医者の言いなりにもならないで済むのです。医者の公式な判定基準は厳しく、画一的で断定的で、その基準が自分に当てはまるとは限らないが、強引に当てはめられてしまう。医者としても「一応言いましたよ」程度。例えば腰痛や胃の調子が悪いとか老化や夏の不調などは医者に聞いても大した答えはもらえないことが多い。それも無理ない事と言えばそうなのだ、医者は私の傍にいて又はインターネットでデーターを受信するなど四六時中私に関わっているわけではなく、赤の他人に過ぎないのだ。
それに反して、自分は自分の身体の状況及び自分の生活習慣や身体の不調の原因を100%知っているし、例えば血圧検査や簡単な測定なども一日中家庭で出来るのに対し、医者は通常それが出来ない。「健康は自分で管理し維持する」が大切なことなんです。私は、朝昼晩に血圧を計り、記録している。そうすると一日の傾向や季節変動など自分自身の血圧状況が厳密に分かる。もっと自分自身の健康状態を医学的な見地から日々見詰めていくべきなのだ。禅で言うところの「自己を自分自身をしっかり観よ、脚下照顧」なのである。医者はそういう24時間・30日・1年の状況は分からないしデーターはとれない。しかも医者はそういう問診さえあまりしない。すなわち患者のことをあまり分からずに診察して、まあ適当に薬や注射や助言をしているのに過ぎない。そういう全体を判断するのは自分が一番適切なのだ。私のような高齢者の血圧が少し高いと言ってやたらに降圧剤を服用させるのも困ったことである。高齢者の血圧は少し高くてよい場合が多いが、降圧剤の服用は慎重さが大事で、場合によってはかえって症状を悪化させてしまうことも多い。
テレビなんかででも「具合が悪ければ自分で勝手な判断をせずに医者に行って下さい」と安易に言うが、まあそれはそうなんだが、私は、まず自分で考え症状や原因を明確にし更に対策を自ら考えることが先決のように思う。私が言いたいことは「そういう習慣を持て」「原因くらい自分で究明せよ、占い師じゃあるまいし、それを全部医者にやらすのは酷だ」ということなのです。あまりいつも医者をべったり頼るとか安易に医者の言うことを軽々しく信じ過ぎてしまうととんでもないことになる。忙しい医者は患者の事を馬鹿丁寧に深くは調べたり考えることはせずに、取り急ぎ,限られた時間で一般的な処置を決めてしまいがちなのです。大工や剪定なんかの場合も同様なことが起きるので私はかなり注意をしている。最悪の場合はひどい経験不足だったり、詐欺に近い手抜き工事になる場合もあるから怖いのです。
  自分は何も調べず、考えもせず、専門家に無批判に100%丸投げしてしまう。
私は大工も木の剪定も自分でやっている。大工さんや剪定を業者に頼むのは、自分では出来ない規模や相当高いレベルの仕事の依頼をする時だけである。そんな場合でも私は作業や出来栄えの監視は忘れない。 専門家や業者というのは100%べったり依存・丸投げする、そしてそれが当然のように思っていると、とんでもない事になるが、そういうケースが頻繁にニュースで流れることがある。でもニュースにならないで知らぬ間のひどい目にあっている場合も案外多い。特に老人のことを若い医者に相談なんかしても、彼らに老人の暮らしを理解することは無理で、結果的に一般的な処置しかしてもらえませんからね。その人には副作用があり得るなんて場合でも強引に投薬や処置してしまうなんてこともありえるのです。
正直な話、医者にどうしても行かないと出来ないような①血液検査②注射③投薬④専門機器による検査⑤緊急処置以外で医者の言うことが私の健康を劇的に改善したことはほとんどない、少なくとも「私のような高齢者の健康管理についてはほとんど役立たない」と思っている。医者が曰く「そんなことは医者の仕事ではない」それでも医者に頼るという人は自分の健康や命をその先生に預けたという恐ろしいことになってしまう。私はそんな安易な危険なことは絶対にしたくはない。
厚生省などでも高齢者にかかりつけ医をつけ医者にお任せ方式を推奨するのはいかがなものであろうか、医療費がかかるだけで、効果少なしだと思っている。腰やひざが痛いと整骨院通いで大して良くもならないのに気休めに通院を続ける人が多く、自分で治す気のない患者とそれでうまい汁を吸う整骨医が医療保険料を無駄に浪費している。
私なども、ほとんど一生継続して悪玉コレステロールなどの同じ薬を毎回服用されており、大きな変化もなく、調子が悪くなくても2か月毎に医者通いをしているが、老人患者で医者が良しと判断した場合に限って、6カ月~1年分薬をもらえば医療費も減り私などの高齢者の通院の負担も減るのだが・・・・どうも厚生省か保険省かが2か月以上は薬は出さないということらしく、その結果互いにムダな時間や手間やお金を出費していることになる。

昨年ご近所の人からラッキョウの苗2年物を戴き家の前の空き地の畑に植えたら今年はかなり大きく成育しました。昨日少し収穫し甘酢に漬けてみました。2週間後に食べられます。成功すれば残りも順次、甘酢づけする予定です。



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