村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言 ⇒ 村上爺さんのツイッター
私の39歳の長男は、私の血をひき鼻が悪い、夜はいびきがひどい、歯ぎしりがひどい
私自身も長年鼻炎であったが、私の場合の原因は深酒と喫煙であったように思う
私が深酒・たばこを辞めてから鼻詰まりも改善し、かなり楽になった
経験上、我が子のことであるから私と同じ改善をすれば良くなるはずだ
一般的にも深酒・たばこは極めて身体に悪いし、金銭的にも負担になる
だから長男にさんざあの手この手で辞めるように忠告したが、全く辞めようとしない
本人は昼間も鼻が詰まって、いかにも苦しそうだし、
くしゃみや、咳込む、鼻汁が頻繁に出るので鼻かみが多い
しつこい慢性鼻炎のため声も鼻づまりの鼻声だ、そんなにひどくても
本人はその重大性に気づいていないのか、全く喫煙や深酒を辞めない
深酒や喫煙を辞めるのは、そんなに容易なことではないことは私もわかっている
辞めさせたいこと、逆にやらせたいことを必死に諫言するが本人は全く意にかえさない
意志が弱いのか、その必要性を認識できていないのか、まるで忠告の意味を解さない
まあかく言う私も若い頃はそんなものでしたがね
あげく本人より、忠告している私のほうの悩みが深まるという馬鹿げたことになる
しかも互いに関係が良くなるどころか、険悪な状況になってしまう
こういう類の悩みの経験は、親や上司や先生の皆さまにも多いことでしょう
しかし、逆に自分が言われる立場や忠告を受ける立場になると
忠告に従い、辞める又はやることが簡単には出来ないものなのだ
「他人には忠告するが、他人の忠告は受け入れられない」が人間の弱点である
「忠告魔ほど問題人間である」ことが多いそうだが興味深い、教訓である
大したことではなければ良いが、意地はって忠告を無視していると命とりになるから怖い
「俺は酒・たばこ・女・ばくち・不養生でどうなろうと、俺の生き方は俺が決める」
「そんなことで病気や死ぬんだったら本望だ」なんて偉そうに言う人にも多い
そんなことを言う人に限って、いざとなるとお粗末な、情ない、惨めな状況になる
そんな人は意志が弱いのが根本的原因だが、意志が弱いのが人間でもあるのだ
人間というものは、そもそも、意志が弱い生き物なのだ
意志の強い人なんてのは、ほんの一握り、相当に修養を積んだ人でもないと難しい
修養を積んでも、克服できるのは全部ではなく、せいぜい一部しか克服出来ないものだ
でも昔ながらの手法を含め、最近はいろいろ辞めることの出来る手法や技術も出てきている
例えば禁煙外来とかニコチネルパッチとか禁煙パイプとか・・・
手法なんか使わずに自主的にやるべきなのだが、まあ助けを得てやるのも一つであろうか
例えば辞めない人をどうにかして辞めさすテクニックには次のようなものがある
①禁煙外来のようなきちんとした専門家の指導を受ける(禁煙外来の門を叩くことから)
②自分が相当ひどい状況に追い込まれて懲りる(癌や内蔵疾患になってとことん苦しむ)
これは最終・最悪なやり方ではあるが一番確実なのである
人間は大きく懲りるまでは治らない、
「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うではないか
③やろうとしても、出来ない状況に強制的においてしまう(山や牢獄や特殊施設に篭らせる)
言わば強制的収容。隔離である
④愚かさを本質的に悟る・強く自分で認識する(何か大きなきっかけで深く猛反省する)
きっかけが大事な要素だ、良いきっかけをつかむかどうかが鍵
⑤良き指導者・師の直接の指導をもらう(立派な先生・師の指導に素直に従う)
宗教家や成功者に教えを乞う、有能な先人の本を読むことも良い
親や先生や上司の忠告が一番疎んじられ反感を持たれる傾向がある
⑥世間や身近な人々に誓う、誓約書を書く(辞めることの大口をたたく)
⑦医学技術的に嫌う処置を行う(たばこ・ニコチン・酒を嫌う薬品みたいなもの)
⑧騙す、紛らわす(禁煙パイプ・ニコチネルパッチ・禁煙ガムなど)
⑨勉強し、広い、深い知識を得る(喫煙の害を知識として徹底して理解する)
⑩何かきっかけをつかむ(結婚を契機に、大病をきかっけに、貧乏をきっかけに)
⑪脅す・騙す・とんでもない損失を押し付ける・恐怖感に訴える(もし禁煙しなかったら・・・なるぞと脅す)
⑫逆にどんどんやらせ、むしろ辞めろよりやれ、勝手にしろと突き放し、結果的に早く懲りさせる
※これは半ば諦めの手・開き直りではあるが、最後の一手ながら、意外にこれで治る場合が多いのだ
さあ貴方は、以上のどの手法を選びますか?
忠告する立場か忠告される立場かの違いはあれ
辞めるべきこと又はやるべき事が出来ずに悩んでいる人は、それなりに方法論を試しておられるだろうが
私の経験でも、方法論をあれこれ試すが、すんなり出来、やり遂げる人は少ないようだ
現代においては
・忠告を聴かない人
・忠告をしない人
・忠告に対して、むしろ簡単に切れる人
がほとんどであり、忠告の意味や価値が減っているか、なくなっている
むしろ、無闇に忠告をしないとか拘わらないほうが良いのかもしれない
忠告するにはするが、受け入れるかどうかは本人まかせで結果をクールに見守るのが正解かもしれない
即ち当人がトコトン懲りるまでは直らないということなので、半分諦めるような態度だ
駄目な奴には、下手に忠告だの、直す努力をするよりも、
早く地獄に落としてやることのほうが真の愛情・親切なのかもしれない
懲りなければ人間は心底治らないものらしい
”人は、トコトン懲りないと治らない”
中途半端とか適度とか言うが、それで立派になれる人は良いが
そうでない人の場合、適度、中途半端は、とんでもなく大きな害になる
中途半端に忠告するぐらいならば、徹底して奈落の底、地獄の底を経験してしまったほうが良い
”子供や生徒や部下が忠告を聴かくても悩むのは辞めよう”ということだ
忠告は一回で良い、一回で聴かない場合は何回やっても効かないどころか
むしろ、逆効果で、どんどん忠告するほど、反発することになりかねない
忠告は、せいぜい1~3回まで、何事でも3回まではやってみるべきとしているが
それ以上は効果が少ないことも正論であり、かえって無駄無益というものだ
大事なことは、忠告するんだったらきっちり事前に整理しておいて、強く言い渡すことだ
思いつきや場当たり的な忠告は、ほぼ確実に失敗する、
本人にふさわしい忠告の戦略を事前によく練り上げておかないと成功しない
忠告を聴かない人も困った人ではあるが、
実は、
何回も同じ忠告又は忠告めいたことをいい加減な気持ちでやったりする人も困ったものだ
忠告とはしさえすれば誰もが受け入れると思ったら大間違いである
なにしろ本人は”ぐうたら”なんだから、正攻法では落ちない輩なのである
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言 ⇒ 村上爺さんのツイッター
私の39歳の長男は、私の血をひき鼻が悪い、夜はいびきがひどい、歯ぎしりがひどい
私自身も長年鼻炎であったが、私の場合の原因は深酒と喫煙であったように思う
私が深酒・たばこを辞めてから鼻詰まりも改善し、かなり楽になった
経験上、我が子のことであるから私と同じ改善をすれば良くなるはずだ
一般的にも深酒・たばこは極めて身体に悪いし、金銭的にも負担になる
だから長男にさんざあの手この手で辞めるように忠告したが、全く辞めようとしない
本人は昼間も鼻が詰まって、いかにも苦しそうだし、
くしゃみや、咳込む、鼻汁が頻繁に出るので鼻かみが多い
しつこい慢性鼻炎のため声も鼻づまりの鼻声だ、そんなにひどくても
本人はその重大性に気づいていないのか、全く喫煙や深酒を辞めない
深酒や喫煙を辞めるのは、そんなに容易なことではないことは私もわかっている
辞めさせたいこと、逆にやらせたいことを必死に諫言するが本人は全く意にかえさない
意志が弱いのか、その必要性を認識できていないのか、まるで忠告の意味を解さない
まあかく言う私も若い頃はそんなものでしたがね
あげく本人より、忠告している私のほうの悩みが深まるという馬鹿げたことになる
しかも互いに関係が良くなるどころか、険悪な状況になってしまう
こういう類の悩みの経験は、親や上司や先生の皆さまにも多いことでしょう
しかし、逆に自分が言われる立場や忠告を受ける立場になると
忠告に従い、辞める又はやることが簡単には出来ないものなのだ
「他人には忠告するが、他人の忠告は受け入れられない」が人間の弱点である
「忠告魔ほど問題人間である」ことが多いそうだが興味深い、教訓である
大したことではなければ良いが、意地はって忠告を無視していると命とりになるから怖い
「俺は酒・たばこ・女・ばくち・不養生でどうなろうと、俺の生き方は俺が決める」
「そんなことで病気や死ぬんだったら本望だ」なんて偉そうに言う人にも多い
そんなことを言う人に限って、いざとなるとお粗末な、情ない、惨めな状況になる
そんな人は意志が弱いのが根本的原因だが、意志が弱いのが人間でもあるのだ
人間というものは、そもそも、意志が弱い生き物なのだ
意志の強い人なんてのは、ほんの一握り、相当に修養を積んだ人でもないと難しい
修養を積んでも、克服できるのは全部ではなく、せいぜい一部しか克服出来ないものだ
でも昔ながらの手法を含め、最近はいろいろ辞めることの出来る手法や技術も出てきている
例えば禁煙外来とかニコチネルパッチとか禁煙パイプとか・・・
手法なんか使わずに自主的にやるべきなのだが、まあ助けを得てやるのも一つであろうか
例えば辞めない人をどうにかして辞めさすテクニックには次のようなものがある
①禁煙外来のようなきちんとした専門家の指導を受ける(禁煙外来の門を叩くことから)
②自分が相当ひどい状況に追い込まれて懲りる(癌や内蔵疾患になってとことん苦しむ)
これは最終・最悪なやり方ではあるが一番確実なのである
人間は大きく懲りるまでは治らない、
「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うではないか
③やろうとしても、出来ない状況に強制的においてしまう(山や牢獄や特殊施設に篭らせる)
言わば強制的収容。隔離である
④愚かさを本質的に悟る・強く自分で認識する(何か大きなきっかけで深く猛反省する)
きっかけが大事な要素だ、良いきっかけをつかむかどうかが鍵
⑤良き指導者・師の直接の指導をもらう(立派な先生・師の指導に素直に従う)
宗教家や成功者に教えを乞う、有能な先人の本を読むことも良い
親や先生や上司の忠告が一番疎んじられ反感を持たれる傾向がある
⑥世間や身近な人々に誓う、誓約書を書く(辞めることの大口をたたく)
⑦医学技術的に嫌う処置を行う(たばこ・ニコチン・酒を嫌う薬品みたいなもの)
⑧騙す、紛らわす(禁煙パイプ・ニコチネルパッチ・禁煙ガムなど)
⑨勉強し、広い、深い知識を得る(喫煙の害を知識として徹底して理解する)
⑩何かきっかけをつかむ(結婚を契機に、大病をきかっけに、貧乏をきっかけに)
⑪脅す・騙す・とんでもない損失を押し付ける・恐怖感に訴える(もし禁煙しなかったら・・・なるぞと脅す)
⑫逆にどんどんやらせ、むしろ辞めろよりやれ、勝手にしろと突き放し、結果的に早く懲りさせる
※これは半ば諦めの手・開き直りではあるが、最後の一手ながら、意外にこれで治る場合が多いのだ
さあ貴方は、以上のどの手法を選びますか?
忠告する立場か忠告される立場かの違いはあれ
辞めるべきこと又はやるべき事が出来ずに悩んでいる人は、それなりに方法論を試しておられるだろうが
私の経験でも、方法論をあれこれ試すが、すんなり出来、やり遂げる人は少ないようだ
現代においては
・忠告を聴かない人
・忠告をしない人
・忠告に対して、むしろ簡単に切れる人
がほとんどであり、忠告の意味や価値が減っているか、なくなっている
むしろ、無闇に忠告をしないとか拘わらないほうが良いのかもしれない
忠告するにはするが、受け入れるかどうかは本人まかせで結果をクールに見守るのが正解かもしれない
即ち当人がトコトン懲りるまでは直らないということなので、半分諦めるような態度だ
駄目な奴には、下手に忠告だの、直す努力をするよりも、
早く地獄に落としてやることのほうが真の愛情・親切なのかもしれない
懲りなければ人間は心底治らないものらしい
”人は、トコトン懲りないと治らない”
中途半端とか適度とか言うが、それで立派になれる人は良いが
そうでない人の場合、適度、中途半端は、とんでもなく大きな害になる
中途半端に忠告するぐらいならば、徹底して奈落の底、地獄の底を経験してしまったほうが良い
”子供や生徒や部下が忠告を聴かくても悩むのは辞めよう”ということだ
忠告は一回で良い、一回で聴かない場合は何回やっても効かないどころか
むしろ、逆効果で、どんどん忠告するほど、反発することになりかねない
忠告は、せいぜい1~3回まで、何事でも3回まではやってみるべきとしているが
それ以上は効果が少ないことも正論であり、かえって無駄無益というものだ
大事なことは、忠告するんだったらきっちり事前に整理しておいて、強く言い渡すことだ
思いつきや場当たり的な忠告は、ほぼ確実に失敗する、
本人にふさわしい忠告の戦略を事前によく練り上げておかないと成功しない
忠告を聴かない人も困った人ではあるが、
実は、
何回も同じ忠告又は忠告めいたことをいい加減な気持ちでやったりする人も困ったものだ
忠告とはしさえすれば誰もが受け入れると思ったら大間違いである
なにしろ本人は”ぐうたら”なんだから、正攻法では落ちない輩なのである
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