5月22日付 読売新聞編集手帳
松尾芭蕉が江戸・深川から「おくのほそ道」の旅に出たのは元禄2年(1689年)、
陽暦で5月半ばのことだった。
きょうあたりは栃木県の日光を過ぎ、
いよいよ奥州入りが目前、那須・黒羽に逗留(とうりゅう)中の頃であろう。
日光東照宮はにぎわいを取り戻しただろうか…。
両陛下が那須御用邸のお風呂を開放され、
避難中の人たちは喜んでいたな…。
300年以上前の旅行記を改めて手にとれば、
道中の地名に、この2か月余りの出来事が重なっていく。
〈風流の初(はじめ)やおくの田植(たうえ)うた〉。
白河の関を越えた所で一句したため、
芭蕉の旅程は福島から宮城、岩手県へと進む。
塩釜、松島、石巻、平泉― どこも、この大震災の被災地だ。
今、同じ道を歩けば、
俳聖はどんな句を残すだろう。
田植えもままならない状況で風流に旅するわけには…
と考えるのは、よろしくない。
松島では湾内を巡る観光船が再開した。
平泉は世界遺産に登録される見通しだ。
東北三大祭りも開催されるという。
インターネットのブログなどで、
現代版の「おくのほそ道」がたくさん発信されるといい。
東北を楽しむことが、
一番の応援になる。