日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

日本とミャンマー 漆を通じて文化の交流を

2014-10-02 07:15:00 | 報道/ニュース

9月24日 キャッチ!


無数の仏塔が立ち並ぶミャンマーの古都バガン。
インドと中国に挟まれ古来より文化が行きかう文明の交差点だった。
バガンの伝統工芸はミャンマーの山間部で採れる漆を使った漆器。
光沢のある繊細な装飾がいまも訪れる人を魅了している。
9月 バガンを人間国宝の増村紀一郎さんが日本の漆関係者ら約20名が訪問しワークショップと展示会を開いた。
ミャンマーの漆産業を支援し漆を通じた日本とミャンマーの文化交流を図ろうと始められたもので今年で10年目の開催となる。
(ミャンマーの漆職人)
「日本の作品は参考になります。」
漆を通じた日本とミャンマーの関係は16世紀にさかのぼる。
ミャンマーの漆器はキンマという技法で知られている。
漆塗りに傷をつけるように模様を描き
彫った部分に色漆や顔料を定着させる。
室町時代に日本でも伝わった。
日本の変わり塗りという技法は
重ね塗りしたあと表面を削り黒い下地を浮かび上がらせる。
戦後賠償の一環としてミャンマーに派遣された日本の漆職人が伝えた。
しかしこうした交流も20年以上にわたった軍事政権下でほとんど途絶える。
バガンで漆の工房を開いているマウンマウンさんは
欧米による経済制裁で輸出の道は限られ訪れる観光客も激減し
ミャンマーの漆産業は衰退の道をたどっていたという。 
(漆職人 マウンマウンさん)
「軍事政権下では経営は悪化する一方でした。
 観光客も減って注文がなく思うように生産できませんでした。」
そうしたなか交流の復活に動いたのが宇都宮大学の教授で漆芸作家の松島さくら子さん。
当時は外国人への警戒感が強くはじめは交流も容易ではなかったという。
(漆器作家 松島さくら子さん)
「何しに来たの?という感じでした。
 同じ漆文化のあるミャンマーと日本で絶対に通じ合えるはずだと。」
日本との交流の再開は鎖国状態にあったミャンマーの漆関係者にとって
あらたな技法やデザインを吸収する貴重なつながりとなった。
(漆職人 マウンマウンさん)
「海外向けの魅力的な商品を作るため新しいアイデアやデザインを学べました。
 今までは伝統的な漆器しか作っていませんでしたから。」
今では携帯電話のカバーにも漆を施すなど伝統を生かした新商品の開発にも意欲的に取り組んでいる。
漆職人の数も現在は約1000人にまで回復。
観光と並ぶバガンの主要産業となった。
しかしマウンマウンさんはあらたな悩みに直面している。
絵付けに使われてきた伝統的な顔料の一部に
微量ながら有毒なヒ素が含まれていることが確認されたのである。
装飾品としては問題ないが食器には適さないとしてヨーロッパの一部の国への輸出が制限され
販路を広げていくうえでの障害となっている。
今回のワークしょぷに参加したマウンマウンさんに松島さんはヒ素が含まれていない日本製のあらたな顔料をプレゼントした。
松島さんはミャンマーとの交流を通じてアジアにしかない漆文化をさらに発展させたいと考えている。
(漆作家 松島さくら子さん)
「交流は続けていくことが重要だと思っている。
 できるだけ長くミャンマーとの交流を続けていきたいと思っている。」

停滞を抜け出し活気を取り戻しつつあるミャンマーの漆産業。
日本との交流で品質とデザインを高め
さらなる飛躍を目指している。

 

 

コメント