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ソビエト崩壊から20年 (2)モルドバ 

2012-01-05 16:44:35 | 海外ネットワーク



  12月17日 NHK海外ネットワーク

  旧ソビエトの後ろ盾を失い、経済的にも行き詰っているのが
  旧ソビエト圏とEUの境にあるモルドバである。
  モルドバには肥沃な農地が広がる。
  旧ソビエト時代、各地にコルホーズと呼ばれる集団農場が設けられた。
  収穫された小麦をソビエト各地に出荷することで、
  モルドバの人々は安定した生活を送っていたが
  ソビエト崩壊後、コルホーズが解体され生活は一変する。
  広大な農場を住民自ら運営することが出来なくなり農業は衰退した。
  多くの国民が外国で出稼ぎをしている。

  モルドバ西部にある農村カルピネニ村。
  村の住民1万2千人のうち4千人が外国に働きに出ている。
  村の幼稚園の子供たちのほとんどの親が出稼ぎに行っている。
  小さな姉弟の両親はイタリアで働いているため、祖母と生活している。
  イタリアから毎月送られてくる1万円の現金と缶詰など食料は
  収入が月5千円ほどしかないので大きな支えである。
  仕送りの中には人形、ミニカーなどおもちゃも入っている。
  両親が帰国できるのは毎年、年に1度だけ。
  祖母の息子3人は、イタリアで働く長男、
  次男はギリシャで、3男はロシアで働いている。
  
  農業が衰退する中でモルドバ経済を支えているのがワインの製造。
  地下坑道のあとを利用したワインの貯蔵庫がある国営のワイン工場。
  モルドバのワインは品質が良いとして
  ソビエト時代からコレクターの間で高い評価を得てきた。
  ずらりと並ぶ年代物のワインの数は約600本は、
  ロシアのプーチン首相のコレクションである。
  モルドバのワインの最大の市場はロシアだが、
  ここ数年、販売量は伸び悩んでいる。
  南部にあるワイン工場は新たにEUに販路を求め、
  イタリア製の高価な最新設備を購入、
  高級感を演出しようとラベルも一新したが、
  EUで知名度の低いモルドバのワインは思うように売れなかった。

  モルドバ政府は独立後、低迷する経済を建て直すため
  ロシアとの関係を維持しながらEUとのつながりも深めようとしてきた。
  モルドバ ルプ大統領代行
  「モルドバは地理的に位置する場所から言っても
   旧ソビエト諸国ともヨーロッパとも良い関係を築かなければならない。」

  しかし国の舵取りをするはずの政治が混乱している。
  ロシアとEU、どちらとの関係を強化するかをめぐり議会が対立、
  2年前大統領が辞任し、今も大統領不在のままである。
  
  ソビエト崩壊から20年、
  モルドバはかつて盟主だったロシアとEUの狭間で国の発展の糸口すら見出せずにいる。

  ソビエト連邦を構成した15の国のうちバルト3国がEUに加盟を果たした。
  ソビエト時代の負の遺産を払拭しようとした国々にとってもロシアの存在は大きく、
  経済的に依存せざるを得ない部分がある。
  そのロシアのプーチン首相は、
  「ユーラシア連合」構造をうちあげ、
  旧ソビエトの間で経済を中心に統合を進めるという旧ソビエト連邦を思わせる動きもある。
  
  リトアニアの独立を率いた リトアニア アダムクス前大統領
  「ロシアが周辺国に友好的に対応してくれることを臨む。
   共存できるようにしていく必要がある。
   その鍵は若い世代にある。
   民主主義、表現の自由、人権などの価値観を持つ若い世代が生まれていることに
   希望を持っている。」

  EUの一員となって発展した国もあれば
  期待したようには国の再建が進まなかった国もある。  
  ロシアに飲み込まれず、
  ヨーロッパにも埋もれず、
  如何に独り立ちをはかっていくのか真価が問われるのはこれからである。
   









  
 
  
  
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豊洲2丁目 新宿さぼてん

2012-01-04 19:35:18 | グルメ



     


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ソビエト崩壊から20年 (1)エストニア 

2012-01-04 17:02:08 | 海外ネットワーク



  12月17日 NHK海外ネットワーク

  1917年のロシア革命後に成立したソビエト連邦。
  バルト3国の離脱をきっかけに次々と独立し、
  ついにはソビエト連邦自体が崩壊し15の独立国が誕生。
  独立した各国の間では経済規模に大きな差が開いた。

  一人当たりのGDP(2010年)$
   エストニア     1万3,939
   リトアニア     1万0,933
   ラトビア      1万0,705
   ロシア       1万0,440

   カザフスタン      8,764
   ベラルーシ       5,765
   アゼルバイジャン   5,647
   トルクメニスタン    4,180
   ウクライナ        3,007
   アルメニア        2,996
   グルジア         2,620
   モルドバ         1,631
   ウズベキスタン     1,384
   キルギス           860
   タジキスタン         820 
  


  エストニアは旧ソビエトから独立したバルト3国のひとつ。  
  今年1月、旧ソビエトの国として初めてユーロを導入した。
  経済成長率はEU圏内でトップ、財政赤字もわずかである。
  ヨーロッパの多くの国々が財政危機にあえぐ中で、
  エストニアは順調に発展を続けている。
  
  バルト海を望むエストニアの首都タリンは中世から外国との貿易で栄えてきた。
  港には今も北欧諸国やロシアを結ぶ船が次々と行きかう。
  世界遺産にも登録されている中世の面影を残すタリンの美しい町並みに
  大勢の観光客が訪れている。
  エストニアを訪れる観光客は年に500万人を超え、
  観光は主要な産業となっている。
  ヨーロッパ最古の薬局(1422年創業)があり、今も営業している。
  薬の調合法は17世紀から変わっていない。
  秘伝の薬もあり、まさに薬の博物館である。
  城壁をはじめ、商店やレストランなどかつてハンザ同盟
  (13~16世紀ごろ北海・バルト海沿岸のドイツ人承認などが結成した都市連合)
  の都市として栄えた名残が随所に見られる。  
  EU加盟後、ヨーロッパの国々にとってより身近な存在となった。

  2003年にエストニアで会社が設立されたスカイプは、
  世界で2億人の利用者がいる。
  技術者として創業当時から支えているタヌキビさん(33)
  「インターネットの成功者といえばシリコンバレー出身と思われるが
   スカイプはヨーロッパから革新的な商品を生んだ例外的な会社。
   階級がない能力主義の社会になり
   エストニアには新しい技術で新しいものを作ろうという意欲がある。
   国自体が会社にたとえればベンチャー企業のようなもの。」

  約半世紀にわたって旧ソビエトの一国だったエストニアでは、
  コンピューターや情報通信など最先端の科学技術の研究が進められ、
  莫大な資金がつぎ込まれてきた。
  ソビエト時代の研究成果は今もタリンの工科系大学に引き継がれている。
  ここからスカイプなど高いレベルのIT技術者が誕生している。
  エストニアでは起業ブームになっている。
  スマートフォン向けの料金決済ソフトを開発した会社は、
  4年前に設立され、すでに世界60カ国と取り引きがある。
  国の制度も新しいビジネスを始めやすくしている。
  インターネットで時計を販売する会社は設立手続きにかかった時間は2時間。
  政府が国民ひとりひとりに割り当てた番号が組み込まれたIDカードで、
  政府の専用サイトにアクセスし入力すると、
  政府が個人情報を入手し短時間で審査してくれる。
 
  歴史的に商業都市として栄えたことや北欧との結びつきが強いことから、
  エストニアは独立後、ヨーロッパの国として再出発する道を選んだ。
  2004年EU加盟国となった。
  さらに通貨ユーロも導入した。
  エストニア アンシプ首相
  「エストニアの20年間の発展は奇跡といえるのではないか。
   経済的にスウェーデンやフィンランドと同じ土壌に立っている。
   EU加盟国でいることが何より重要だ。」

  タリン市内の高校では母国語のエストニア語以外は選択制だが
  ほぼ全ての生徒が英語を学んでいる。
  ソビエト時代に必修だったロシア語を選択する生徒は少ない。
  第32学校教師 
  「35歳以下の人たちはロシア語が出来ません。
   20年前、欧米へ世界が開かれ英語を学ばなければ成らないと思ったのです。」

  人々のロシア離れを象徴するのが銅像の取り扱いである。
  旧ソビエト軍兵士をたたえる銅像はかつて市の中心部にあったが、
  4年前、郊外に移された。
  
  タリン市内のホテル最上階のKGB博物館には、
  今年1月のオープン以来、3万5千人が訪問している。
  ソビエト時代の負の遺産をこうした形で後世に伝えようとしているエストニアの人々。
  大国に翻弄されてきた小さな国だからこそ
  自らの力で新たな時代を賢明に切り開こうとしているように思える。
  
  
   
  
  













  一方超大国ソビエトの後ろ盾を失って困難な状況に直面している国もある。
  基幹産業の農業が衰退したモルドバは
  、国民の多くが家族を養うため外国に出稼ぎに行っている。
  こうした国では、国民の間からソビエト時代の安定した生活を懐かしむ声さえ出ている。







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ありふれた、心静かな年を

2012-01-03 16:23:27 | 編集手帳



  1月1日付 読売新聞編集手帳


  机の上に吸い飲みが置いてある。
  急須型をしたガラス製の中古品で、
  アルミの蓋が付いている。
  年の瀬の街で雑貨屋の店先に見つけ、
  高いのか安いのか、
  見当のつかない値段で買った。

  ペットボトルの水やお茶が今ほどは身近でなかった子供の頃、
  風邪をひいて寝込むと、
  枕もとの吸い飲みで熱い喉を湿した。
  洗濯バサミのお化けのような金具で口を留めるゴム製の水枕とともに、
  昔懐かしい品である。

  〈ふるさとへ廻(まわ)る六部は気の弱り〉。
  諸国をめぐる巡礼(六部)も寄る年波に知らず知らず、
  故郷に足が向くという。
  幼年期の記憶という心のふるさとに意識が向かうのも、
  あるいは気の弱りかも知れない。

  思えば、
  年齢にかかわらず、
  誰も彼もが何十年分もの悲しみを背負い、
  気の弱りを互いの掛け声で励ましつつ迎えた新年だろう。
  雑煮の味に、
  しめ飾りに、
  コタツの上のミカンひとつにさえ、
  いつにまして遠い記憶を呼び覚まされる元日に違いない。

  ガラスの吸い飲みは、
  子供の頃に絵本で見た“魔法のランプ”にどこか似ている。
  ぜいたくは望まない。
  「ありふれた、心静かな年を」と、
  そっと撫(な)でてみる。

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