2020年12月15日 NHK「おはよう日本」
インドの首都ニューデリー。
インドでは多くの地域で車の排ガスや野焼きが原因で大気汚染が問題となっている。
健康に深刻な被害が出ているものの抜本的な対策は採られていない。
こうしたなか
インド政府に対し大気汚染の改善を求めて1人の少女が声を上げている。
インド政府に対し声を上げたリシプリヤ・カングジャムさん(9)。
この日は深夜 議会の前に立って大気汚染対策の立法化を訴えた。
(カングジャムさん)
「昼間行っても指導者は聞いてくれないので
夜に抗議しています。」
カングジャムさんの活動のきっかけの1つは
大学院で環境問題を研究していた父親からある話を聞いたことだった。
インドでは大気汚染によって呼吸器の病気を引き起こすなどして
毎年10万人以上の子どもが亡くなっていることを知りショックを受けたという。
(カングジャムさんの父親 シンさん)
「世界中で起きていることを彼女に話しました
すると自然に質問をたくさんするようになったのです。」
カングジャムさんの活動は地元メディアに取り上げられ
次第に注目されるようになった。
去年は国連の会議COP25にも招かれ
各国の指導者に直接訴えた。
(COP25 カングジャムさん)
「指導者今すぐ対策をとるべきです。
さもなければ私たちの将来はありません。」
この会場で出会ったのがスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんである。
世界を変えようとする姿に刺激を受けたという。
(カングジャムさん)
「彼女と議論できたことはとても光栄でした。
私たちの活動方法は違うけれども目標は同じです。」
しかし環境問題の感染が高まらないインドで変化を起こすのはそう簡単なことではない。
議会前での抗議活動に対する当局の目も厳しくなってきた。
そしてこの日無許可で抗議したとして一時的に拘束された。
当局は9歳のカングジャムさんに“同じ場所で再び抗議すれば逮捕する”と警告し
約40分にわたって拘束した。
そこで力を入れるのがオンラインでの活動である。
この日は国連も協力する国際的な環境イベントに参加。
世界各国から参加した子どもたちに向けて語りかけた。
(YouTubeより カングジャムさん)
「皆さんに小さなお願いです。
外出時に毎回車やバイクを使わないでと両親に話してください。」
さらに毎週
大気汚染対策として効果があると言われる植樹の様子を撮影してSNSに投稿。
国内外の9万人以上のフォロワーに参加を呼びかけたところ
世界各地で植樹の写真が投稿され始めている。
(カングジャムさん)
「環境問題を訴えるには若すぎるとよく言われますが
年齢は関係ないということが示されたと思います。」
視界不良のスモッグのその先に明るい未来が広がっている。
カングジャムさんはそう信じて
前だけを見続ける。
2020年12月14日 NHKBS1「国際報道2020」
カナダは“移民に寛容な国“と言われ
日系人を含むアジア系の移民は人口の6分の1を占めている。
しかし新型コロナの感染拡大以降
アジア系の人々に対する差別的な言動やヘイトクライムが急増している。
こうしたなかカナダの名門大学はこのほど
日系人への差別撤廃を訴えて活動してきた日系人女性に名誉学位を贈った。
カナダ西海岸の都市 バンクーバー。
11月 名門ブリティッシュコロンビア大学が
在校生や卒業生の手本になるような貢献をした人たちに名誉学位を贈った。
(ブリティッシュコロンビア大学 サンタ・オノ学長)
「メアリ・キタガワさんは公正と正義を訴え
わが大学に変化をもたらした。」
日系3世のメアリ・キタガワさん(85)。
長年取り組んできた差別撤廃の市民運動が評価された。
(メアリ・キタガワさん)
「今後 行く手を遮られ回り道を強いられても
勇気をもって前に進んでください。
ガンバッテクダサイ!」
祖父母が移住したカナダ西海岸に生まれたキタガワさん。
7歳の時に太平洋戦争が始まり
日系人は「敵性外国人」と見なされるなか
収容所に送られ
戦後も差別を受けた。
(メアリ・キタガワさん)
「日系カナダ人の墓地はゴミ捨て場として使われ本当にひどかった。」
教師となったキタガワさんは差別撤廃を訴え活動してきた。
その1つが
ブリティッシュコロンビア大学で
戦時中 日系人というだけで退学処分にされた学生の名誉回復である。
大学側にかけあい
2012年 卒業証書の授与を70年ぶりに実現させた。
大学側は
差別の歴史を広く共有するためアジア系カナダ人の歴史と文化を学ぶ学部を新設。
キタガワさんは“生きた証人”として大学に招かれ教壇に立ってきた。
差別の解消に向けた社会の変化を肌で感じてきたキタガワさん。
しかしいま 再び人種差別が表面化していると危惧している。
(メアリ・キタガワさん)
「コロナ禍になって
肩越しに誰かが攻撃してこないか振り返るようになった。
アジア系の人たちへの暴力が増えている。」
カナダでは最初にウィルス感染が拡大した中国への風当たりが強まり
この春バンクーバーのチャイナタウンでは破壊行為が相次いだ。
(CTV News)
中国文化センターの窓などにヘイトメッセージがなぐり書きされている
店に入ろうとしたアジア系男性が追い出される事件も発生。
地元の警察は
アジア系移民へのヘイトクライムが去年と比べて8倍以上増加したと報告している。
(メアリ・キタガワさん)
「新型コロナウィルスはアジア系の人々をおおっぴらに攻撃する口実に使われている。
今こそあらためて人種差別の歴史を伝えるべきだと感じたキタガワさん。
若い世代の力を借りて新たな模索を始めている。
教え子のキャロリン・ナカガワさん(29)。
日系人の歴史や文化を発信する博物館に勤めるナカガワさんは
9月 キタガワさんたち日系人の半生を展示する企画に携わった。
さらにナカガワさんは若い人に向け展示物が見られるスマートフォン用のアプリを開発。
12月から利用を開始した。
(キャロリン・ナカガワさん)
「『こんなときキタガワさんならどう思うだろう』
日系人の経験や遺産をどう生かすか問われている。」
(メアリ・キタガワさん)
「「私たちは声を上げ続けなければならないし
沈黙はできない。
息ができなくなるまで戦い続ける。」
2020年12月10日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」
2021年夏に延期された東京オリンピック。
11月にIOCのバッハ会長が来日し
大会の実現に向け
どのような感染対策が必要なのかを日本側の関係者と話し合った。
そうしたなか徹底した感染対策を取り感染者をゼロに抑えた日米のスポーツ大会が注目されている。
大規模な感染対策の成功例としてあげられるNBAアメリカプロバスケットボール。
フロリダ州のディズニーワールドに選手344人を集め
1か所で集中的に開催することで
3か月間1人の感染者も出さずにシーズンを乗り切った。
期間中 選手や関係者は施設内にとどまり
外部との接触を遮断。
観客は入れず
取材メディアの数も制限。
選手たちには連日PCR検査を実施。
腕には特殊な端末をつけ
どの場所に出入りしたのか
行動を細かく管理された。
NBAはこうした感染対策に約200億円
6,500人ものスタッフをかけ
ウィルスを抑え込んだのである。
長年NBAを取材し
今回日本人でただ1人内部の取材を許された杉浦大介さん。
関係者は資格に応じて黄色や緑といった色で区別され
互いに交わることが無いよう動線が細かく決められていたという。
さらに手渡された機械で他の人と近づきすぎるとランプの色や音で警告され
人が密集することはほとんどなかったという。
ただ唯一人が集まってしまったのが
(杉浦大介さん)
「トイレはスポーツ取材だと
バスケの場合ハーフタイムやクオーターの合間に駆け込む。
みんな慌てているので
用を足している間にブザーが鳴ってしまい笑い合ったりしていた。
ほぼ唯一トイレがソーシャル・ディスタンスが難しかった場所だった。」
日本でも2021年のオリンピックに向けた感染対策のモデルケースとして実施された大会があった。
11月に東京で開催された体操の国際大会である。
日本をはじめアメリカ・中国・ロシアの4か国の選手30人が参加。
大会の出場はほぼ1年ぶりという選手もいた。
アメリカ代表のユル・モルダウアー選手。
堂々とした演技で会場を沸かせた。
(アメリカ代表 ユル・モルダウアー選手)
「他国の選手と特別な時間を過ごせました。
東京五輪に向けたすばらしい大会でした。」
大会前
モルダウアー選手は自宅のガレージを改装して練習を積んできた。
選手たちは日本へ出発する週間前から隔離が求められたためである。
(YouTube)
「僕のトレーニング場へようこそ。
ここではあん馬やつり輪ができます。」
庭には特注のエアマットを敷き
すべての種目をカバーした。
韓国出身で幼い頃に養子として引き取られ
アメリカで育ったモルダウアー選手。
オリンピック出場は育ててくれた両親のためにも叶えたい夢だった。
夢の舞台を実現させるためならばと
モルダウアー選手は今回の国際大会への出場を自ら志願。
安全にスポーツが行えることを世界にアピールしたいと考えたのである。
(アメリカ代表 ユル・モルダウアー選手)
「私たちが安全に競技ができることを見せたいと思います。
懸念を払しょくする良い機会になります。」
日本に到着してからはホテルと試合会場以外は外出は一切禁止。
PCR検査は毎日義務付けられた。
さらにチーム以外の人とは接触を禁じられ
ホテルでの食事も国ごとに仕切られている。
ホテルから一切出られず調整に苦しんだ選手もいたが
モルダウアー選手は苦にはならなかったという。
(アメリカ代表 ユル・モルダウアー選手)
「ホテルでは国ごとに部屋のフロアも別で
他国の選手とは一切会いませんでした。
さまざまなルールがありましたが私は負担とは思いませんでした。
日本は安全コリンピックを開催できると
この大会で示してくれました。」
こうした対策を取ったことで大会は1人の感染者も出さずに終了。
実施されたノウハウは今後さまざまな場面で生かされることになる。
多くの制約を受けながらも少しずつ動き出しているスポーツの現場。
オリンピックという巨大イベントの開催に向けて
限られた時間の中で
クリアすべきハードルをひとつずつ乗り越えようとしている。
2020年12月10日 NHK「おはよう日本」
世界的なレストランガイドとして知られるミシュランガイド。
今年から
環境などに配慮した店を評価するグリーンスターという指標が
アジアで初めて導入されることになった。
コロナ禍で飲食業界の先行きが見えないなか
新たな活路になるのか注目されている。
今回新たに三つ星に選ばれた東京港区のフレンチレストラン。
環境などに配慮した「グリーンスター」も獲得した。
「すばらしい すばらしい。
こんなおいしいもの食べられない なかなか。」
自慢の料理はカモのむね肉の一皿。
美味しさだけではなく
作り方にも評価ポイントがある。
その1つが薪をくべる釜である。
使っている薪は東京都桧原村でとれたミズナラの間伐材。
二酸化炭素の排出を減らすだけではなく
地元の林業を応援する狙いもある。
薪を使ったことで調理にもある変化がー。
炭火でじっくり肉を温めることでこれまでにない柔らかさと香ばしさを生むことができた。
「香ばしさが全然違う。」
「レフェルヴェソンヌ」のシェフ 生江さん。
新型コロナの影響を受ける今だからこそ新たな挑戦に取り組まなければいけないという。
(「レフェルヴェソンヌ」 エグゼクティブシェフ 生江さん)
「向かい風の時だからこそ前に進む。
三つ星 グリーンスターという称号は
未来への規範のひとつにならなければいけない。」
メインの肉料理の後に出されるのが
カモの砂肝やはつなどとトリュフを組み合わせたパスタ。
全体をまとめるスープに秘密がー。
スープのもとになっているのが
料理を作る際にどうしても出てしまう切り落としの肉や骨。
賄いや泣く泣く捨てていた部分を
野菜と一緒に煮込んでコンソメスープに生まれ変わらせた。
(「レフェルヴェソンヌ」 エグゼクティブシェフ 生江さん)
「かもは頭からしっぽまで全部使っている。
残っている素材を有効活用して最後まで使い切って
余すことなく作ることができるレシピを作る。」
有名レストランガイドが新たに採用した指標「グリーンスター」。
困難に直面する飲食業界を救う新たな道しるべとして期待が寄せられている。
(「レフェルヴェソンヌ」エグゼクティブシェフ 生江さん)
「今そして未来にとって
僕らがとるべき食の選択は何なのか。
個人的にも店的にも追及していきたい。」
2020年12月10日 NHK「おはよう日本」
創業100年を超える富山県高岡市の鋳物メーカー。
さびにくく自由自在に形を変えられるすずの特徴を生かしたデザイン性の高い食器などを生産している。
会社が力を入れてきたのがものづくりの現場で制作体験などを行なう産業観光。
2020年4月には「旅行業」の認可も受けた。
県内のさまざまな観光資源を組み合わせるツアーを企画して
さらなる集客につなげる狙いである。
しかし団体客を中心に多い日には800人が訪れていた観光客の数は
新型コロナウィルスの影響で半分以下に減少。
そこでターゲットを団体客から個人客に移してツアーを企画した。
(鋳物メーカー 「能作」専務)
「個人向けのプランの中で家族やカプルに向けて
どういったご旅行が提案できるか
寄り添う形で提案させていただきたい。」
この日は東京の新婚夫婦が1泊2日のツアーに参加した。
ツアー第1弾のテーマは「思い旅」。
2人だけの制作体験や特別な宿に宿泊するオリジナルプランである。
(客)
「ことしの2月に婚姻届けを出した。」
「新型コロナで新婚らしいことを何もできていない。」
「国内でもこだわりのある旅行ができたら
別に海外に行かなくてもいいんじゃないかな。」
ふたりはランチをとるために工場内に併設されたカフェへ。
「これもさあ すずじゃんね。」
食事はすべてこの工場で作られたすず製の食器に盛り付けられ使い心地を体感できる。
スタッフの指導を受けながら実際に鋳物づくりも体験。
約250度に熱されて液体になったすずを流し込む。
そして出来上がったのはふたりの名前と日付入りの箸置き。
「作られるところから使うところまでを一日で体験できたというのはすごく貴重なことだなと思っています。」
宿泊は木の伝統工芸が有名な南砺市井波の宿。
古民家をリノベーションした知る人ぞ知る宿である。
地元の陶芸家が製作した食器は食事で利用することができ
浴室は自然が感じられる半露天の釜風呂。
都会の喧騒を忘れてふたりだけのゆったりとした時間が流れる。
(古民家の宿を経営 Bwd and Craft 山川代表)
「団体で密になって移動することがはばかられるような世の中に
物の価値に改めて気づいてもらう
そんな旅にしてもらえたら。」
ツアーを企画したメーカーは
時代の変化に合わせてさまざまな旅行プランを打ち出していきたいとしている。
(鋳物メーカー “能作” 専務)
「家族できずなを深めたいとかカップルで思い出を作りたいという要望は
コロナの前に比べるとさらに高まっているように感じています。
富山の魅力を深く知っていただくとともに
産業を楽しむきっかけになればいい。」
2020年12月9日 NHKBS1「国際報道2020」
世界で活躍するアーティスト 長坂真護さん(36)。
アフリカのガーナの子どもをモチーフにした作品では
パソコンのキーボードやビデオテープなどが使われている。
これらはすべてガーナで集めた廃棄物である。
1点30万円のものから
オークションで1,500万円で落札された作品もある。
なぜ遠く離れたガーナの廃わって作品を作り続けるのか。
アーティストの長坂真護さん。
都内にあるアトリエ。
(アーティス 長坂真護さん)
「実際に捨てられています。
日本からの廃棄物は本当にたくさんあります。
もしかしたら自分が握ったものかもしれないという可能性もある。」
20代のとき独学でアートを始めた長坂さん。
しかし当時“人生に絶望しか感じられなかった”という。
(長坂真護さん)
「お金も稼げない
税金も払えない
保険料も払えない
母親からは就職しろと。
自分の人生って低迷した状態がずっと繰り返されると決めつけていた。
本当に自信がなかったですね。
生きがいがなかった。」
3年前の33歳のとき転機が訪れる。
雑誌で目にした1枚の写真。
スラムで暮らす子どもの姿だった。
(長坂真護さん)
「スラムでたくましく生きる子どもの写真だったんですけれど
その写真見ただけで行かなきゃいけないと思って。」
たどり着いたのがアフリカのガーナだった。
長坂さんを追ったドキュメンタリー映画の映像ー。
(Still A Black Star)
覆い尽くすゴミ。
先進国で使われなくなった家電製品などが中古品としてこの国にたどりつき
リサイクルされずに捨てられていた。
(長坂真護さん)
「目的地に進めば進むほどスモークがどんどん濃くなって。」
廃棄物を燃やし取り出した金属を売って生計を立てる住民たち。
燃やした際に出る有毒ガスで若くしてがんで亡くなる人も相次ぐ現実を目の当たりにした。
(長坂真護さん)
「俺たちは死にたくないと言われて
ガスマスクを持ってきてと言われた。」
厳しい現実を前に
自分に一体何ができるのか。
長坂さんはあらためてアートと向き合う。
(長坂真護さん)
「選択肢は僕の中には2つあった。
世の中にはこういう世界もあるんだとフタをする。
もう1つは
アートで自分の持っている技術で少しずつ変える挑戦をしてみる。
2択だったんです。」
先進国の暮らしがアフリカの人々の命を脅かす現実を伝えたいと
作品を作り始めた長坂さん。
しかし厳しい意見もあったという。
(長赤真護さん)
「言われましたよ 僕の友だちに
『君の1枚の絵を売って何かが変わるの?』って。
これは友人は愛情をもって僕に言ってくれたんです。
『それが現実だよね いいことやっているのは分かるけど』
でも めげなくて。」
(Still A black Star)
自分にできることをしようと
作品を売ったお金の約9割を現地の支援活動にもあてるようにもなった。
「ガスマスク持ってきたよ。」
これまでにガスマスク800個を届け
現地に子どもが無料で通える学校を建設した。
こうした取り組みを応援しようという人の輪も広がっている。
ベンチャー企業の経営者 北村さん。
1、500万円で作品を購入。
アートを通じた支援にビジネスとは違う可能性を感じたという。
(ベンチャー企業経営者 北村さん)
「絵の価値だけでなく
絵を通じて
人の動きを変える
行動を変えるというのが彼の絵の本質。
アートを使って課題解決をしているというのが彼の特徴というか魅力。」
長坂さんの活動は世界からも注目されている。
エミー賞受賞などハリウッドで活躍し
長坂さんのドキュメンタリーを制作した映画監督 カーン・コンウィザーさん。
監督を撮影に駆り立てたのは長坂さんの本気度だった。
ドキュメンタリーでは
長坂さんが世界の人たちに目を向けてもらおうと
住民を巻き込み廃棄物でモニュメントをつくる様子や
活動が現地の子どもたちの生きる希望にもなっている様子が盛り込まれている。
(Still A Black Star)
「長坂さんから学んでいる。
機会があれば画材を買って絵で稼ぎたい。」
(映画監督 カーン・コンウィザーさん)
「世界中の人に映画を通じて伝えたいことは
1人の芸術家が1本の筆で成し遂げられることの大きさです。
それは彼だけができることなのではなく
本来 私たちの誰もができることなのです。」
ガーナの現実を知ってから3年。
思いはますます強くなっている。
(アーティスト 長坂真護さん)
「僕は“アート”“経済”に“環境”や“社会貢献”をつけてサスティナブルで循環型にしたいんです。
僕がやっているのは問題提起ではなく
問題解決型のアートでありアーティスト。
彼らがいたからこそ絵を描く力をいただいたものだから
この幸せ
この生きがいは絶対に彼らに返さなきゃいけない。」
12月3日 NHKBS1「国際報道2020」
新型コロナワクチンの接種が間もなく始まろうとしている。
パンデミックの終息に向けて期待が高まるが
ワクチンを途上国も含めてどのように世界にいきわたらせることができるかが今後の焦点となってくる。
そのカギを握っているのが
COVAXファシリティである。
WHO(世界保健機関)などが起ち上げた協力体制のことで
現在日本を含む世界189の国と地域が参加している。
この枠組みの中でまず
“CEPI”と呼ばれる国際的な団体はワクチンの開発の支援を担っている。
“Gaviワクチンアライアンス”が各国と交渉して資金調達などの調整を担う。
“unisef国連児童基金”がWHOが承認したワクチンを途上国へと配布する。
世界が注目するワクチン供給の見通しは今どうなっているのか
最前線に立つキーマンたち。
(8月24日 スイス ジュネーブ WHO テドロス事務局長)
「COVAXはコロナワクチンの開発から配布までのすべてを担います。」
世界各地で急ピッチで進むワクチン開発。
COVAXの中で世界中の製薬会社・研究所と連携し開発の支援などを担う国際的な団体 CEPI。
CEOのリチャード・ハチェット氏。
これまで9つのワクチン開発などに11億ドルを投資。
モデルナやアストラゼネカなど
安全性・有効性が確認された後ただちに大量配布できる体制を整えている。
しかしハチェット氏が懸念しているのは
先進国によるワクチンの独占である。
(CEPI ハチェットCEO)
「もし各国の指導者たちが自国民のことだけを考えればパンデミックは長期化します。
死者も増え
経済的打撃も大きくなるでしょう。」
ハチェット氏が教訓としてあげたのが
2009年に流行した新型インフルエンザのケース。
この時アメリカなどの先進国がワクチンを買い占めたため
途上国などの患者に行き届かなかった。
ハチェット氏は
グローバル化した社会でパンデミックを終息させるには
ワクチンを世界規模で公平に供給し
優先順位が高い人々に接種するべきだという。
(CEPI ハチェットCEO)
「自国民のワクチンを確保しても
パンデミックに苦しむ世界の一部であり続けることには変わりありません。
限りあるワクチンを管理して
医療従事者や症状が悪化する可能性の高い地域の人々へ割り当てる。
これがパンデミックを早く脱する方法です。」
世界が自国優先に陥らないために課題となるのが
十分な量のワクチンの確保である。
各国と交渉し
資金の調達など全体調整にあたっている Gavi(ワクチンアライアンス)。
Gaviによると
現段階で確保できるめどは7億回分で
来年末までに目標としている20億回分の半分に満たないという。
そこで期待を寄せているのがアメリカと中国の資金力とリーダーシップである。
すでに中国はCOVAXへの参加を表明。
(北京 10月9日 華春瑩報道官)
「中国はGaviと協定を結び
正式にCOVAXに参加しました。」
残るアメリカも
バイデン氏がCOVAXに積極的に関わり資金面などで大きな役割を担ってほしいと
バークレー氏は期待している。
(Gavi バークレー事務局長)
「我々はアメリカの現在の政権とも連絡を取っているし
次期政権の専門家とも連絡を取り合っています。
来年に向けてさらに50億ドルを調達し
途上国向けに10億回分のワクチンを購入したい。
この目標に向けアメリカが資金提供してくれることを期待しています。」
ワクチンがWHOに承認されれば
ユニセフが途上国へ配布し接種を支援する。
年内に5億2,000万個分の注射器を確保し
途上国へ向けて配布の準備を進めるユニセフ。
ベンジャミン・シュライバー博士は
南半球が秋を迎える来年3月までに大量のワクチン配布を始められるよう準備を急いでいる。
(unisef シュライバー博士)
「私たちはフルスピードで通常18か月かかることを半年でやっています。」
最大の課題がワクチンを冷蔵したままどう運び届けるかである。
COVAXが支援するアストラゼネカのワクチンは2~8℃で少なくとも6か月間
モデルナのワクチンも30日間保存ができるとされている。
そこで活用が期待されているのが
ユニセフが途上国で整備してきた太陽光などで動く冷蔵庫。
肺炎などのワクチンを配布するため
この5年で4万台が設置されてきた。
ユニセフがいま各国で
ワクチンを大量輸送できる拠点と
冷蔵庫を設置した集落までをバイクや徒歩などで結ぶ低温輸送体制の整備を急いでいる。
(unisef シュライバー博士)
「設置した冷蔵庫はCOVAXのワクチンも受け入れることができます。
本当に重要なことです。
しかし課題もあります。
冷蔵庫は低温輸送体制の外
遠隔地域や村落地域に置かれているからです。
各国がワクチンを受け取り
輸送できる適切な方法を確実に持てるようにしなければなりません。」
12月3日 NHKBS1「国際報道2020」
アメリカのロックバンド BON JOVIのボーカル
ジョン・ボン・ジョヴィさん。
デビューから間もなく40年。
今年 激動のアメリカ社会に様々なメッセージを投げかける作品を出した。
2020年10月に出したアルバム「2020」である。
大統領選挙の年にアメリカを二分した黒人人種差別の問題。
それをジョンさんは葛藤を抱えながらも歌い上げた。
2020年
アメリカはまたもや人種差別の問題に揺れた。
それに正面から切り込んだ曲をジョン・ボン・ジョヴィさんはアルバム「2020」に加えた。
タイトルは「American Reckoning “アメリカの報い”」。
(American Reckoning ユニバーサル・ミュージック)
♪ アメリカが燃えている
路上では抗議活動
国の良心は略奪され
その塊は包囲された
またひとり母親が泣く
歴史の繰り返しで
“息ができない”
(ジョン・ボン・ジョヴィさん)
「ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警察官に殺されたことで
この曲を書かずにはいられませんでした。
そしてアルバムは時事的になると理解しました。
政治的なアルバムではありませんが
時代の証人として作ったのです。」
♪ なんて長い8分間だったんだ
顔を地面に押し付けられ
腕には手錠
通行人たちは慈悲を乞い
警察官は群衆の子どもを押しのけた
いつから裁判官と陪審員は警察官のひざに取って代わられたのか
この事件で“アメリカは報いを受けるべきだ”と憤ったジョンさん。
一方で警察に対する日頃の感謝の念からためらいも生じたという。
(ジョンさん)
「私は常に警察に最大の敬意を払っています。
警察・消防・救急隊の人たちに感謝しています。
ニューヨークで暮らすと自分がどれほど弱いのか自覚するものです。
同時多発テロ時はもちろん
普段も家事や事故・銃撃などで常にサイレンが響きわたっています。
彼らに守られていることに感謝しているのです。」
それでもジョンさんはこの曲を作ると決断。
“果たして自分にジョージ・フロイドさんの気持ちが理解できるのか“と自問自答しながら。
(Amerian Reckning ユニバーサル・ミュージック)
♪ 決して彼の追体験はできない
あんな悲劇は話さずに済む
自分の身には起こらないだろうから
(ジョンさん)
「この20年間で
白人と有色人種の格差
白人の特権の存在に気づかされました。
私はそうした特権の広告塔になりえるのです。
年配の白人で裕福な男性でそしてセレブです。
私が警察官に止められて車に押し付けられる可能性はまずないでしょう。
そうした格差を我々がもっと意識すれば
肌の色の違いを乗り越えられるでしょう。」
しかし人種差別への抗議に対する賛否は大統領選挙の大きな争点になっていった。
(ワシントン 6月 トランプ大統領)
「この国はプロの無政府主義者や暴力的な群衆
放火犯・略奪者・犯罪者・暴徒・アンティファなどの極左勢力に脅かされている。」
(民主党 バイデン氏)
「結束して癒しと正義を実現し
暴力をやめ
構造的な人種差別を終わらせよう。」
アメリカの分断はさらに深まった。
Q.大統領選挙の年に「ブラック・ライブズ・マター」をめぐる曲を発表することに
ためらいはありませんでしたか?
(ジョンさん)
「ためらいはあってはならないと思います。
アーティストとして妥協するようなら人間としての自分も曲げることになるからです。
この時代に自分としての真実を語らなければ自らの価値観を見失います。
私の真実ではなくなります。
自分の目で見て生きて読んだことを
歴史の証人として
記者のように曲を書きました。
そのために誰かがアルバムを聴かないというのなら仕方ありません。
実を言えばこの曲をかけるのを拒絶したラジオ局もありました。」
Q.アメリカはなぜこれほど分断したのでしょうか?
何が現在の状況をつくったのでしょう?
(ジョンさん)
「この状況は以前からくすぶっていたのです。
そして4年前にトランプ氏が大統領に選ばれたことで一種の“目覚め”が到来しました。
これまで軽んじられてきたと感じていた人たちが声をあげるようになったのです。
今はソーシャル・メディアが事態を拡大させていると思います。
陰謀説を唱える人々
そうした説を真に受けてしまう人々はニュースを読みません。
SNSの見出しだけ見るのです。
あるいは読んだ話を検証しないのです。
すぐに事実だと思い
陰謀説のサイトへの書き込みに騙されてしまうのです。
それは恥ずかしいことです。
歴史の書物を読み
複数の新聞に目を通すべきです。」
Q. アメリカはバイデン氏のもと少しずつ団結できると楽観的ですか?
(ジョンさん)
「バイデン陣営が言う前から私も述べてきましたが
今は傷を癒すべき時です。
政治的に自分とは違う立場の人であっても同じアメリカ国民なのです。
“勝ったのはこっちだ!”と相手を非難すべきではありません。
手を差し伸べ“傷を癒そう”と語りかけるべきです。」
Q.傷を癒すうえで音楽はどのような役割を果たせるでしょうか?
(ジョンさん)
「音楽はバランスを保つのに優れた手段です。
言語・政治信条・文化や世代的な違いがあっても
音楽は人々をひとつにするのです。
光のように広がり
輝きます。
ポップカルチャーは人々をまとめる可能性を持っています。」
♪ 生きろ 生き続けろ
光を灯して 生き続けろ
声を上げて 私を思い出してくれ
アメリカの報い
アメリカが受けるべき報いの中で
12月2日 NHKBS1「国際報道2020」
アメリカのロックバンド BON JOBIのヴォーカル ジョン・ボン・ジョヴィさん。
ジョンさんは間もなくデビューから40年。
ロックのスーパースターにとっても今年は苦しい年だった。
新型コロナウィルスの感染拡大
そしてアメリカ社会を揺るがした黒人差別や社会の分断。
この激動の年にジョンさんは新しいアルバムを発表した。
その名も「2020」。
いったんは完成したものの新型コロナ禍を受けて発表を延期し
ジョンさんは2曲を加えた。
ジョン・ボン・ジョヴィさんが拠点としているニューヨーク。
アメリカの中でも特に新型コロナが猛威を振るった都市の1つである。
バンドのメンバーやジョンさんの家族も感染。
予定していたツアーは中止に追い込まれた。
Q. 息子さんが感染されたと聞きましたが今は大丈夫ですか?
(ジョン・ボン・ジョヴィさん)
「ええ 今は皆元気です。
ビジネスにとっては厳しい環境が続いていますがなんとかやっています。」
2020年10月に発表された新しいアルバム。
コロナ禍と正面から向き合ったのがこの曲である。
(Do Wyat You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 普段することができないときは
今できることをしよう
これは私の祈りでなく
思いついたことなんだけど
Do What You Can
新型コロナのせいで普段の仕事や行動ができないなら
“代わりにできることをやろう“。
ジョンさんはそう呼びかけた。
この曲が生まれたきっかけ。
それは妻のドロシアさんが撮った写真だった。
洗いものをするジョンさん。
彼にとってはこれが“今できること”だった。
この写真にドロシアさんが添えたメッセージが曲名となったのである。
実はジョンさんは15年前から「 JSBソウル・キッチン」と名付けたレストランを運営している。
目的は低所得の人たちへの支援。
メニューには値段が書かれていない。
寄付をできる客は寄付をする。
そうした余裕がない低所得の人でも同じ料理を無料で食べることができる。
(ジョンさん)
「もし来ることができたら20ドル寄付をしてほしいのです。
その20ドルがあなたと隣の誰かの食事費用を賄います。
一方 寄付ができない人はボランティアでレストランを手伝えます。
しかしコロナのせいでボランティアがいなくなりました。
そこで毎日私が皿洗いをしていたのです。
そうやってソウル・キッチンはパンデミックでも運営を続け
何千もの人々に食事を提供できました。」
こうした経験の中で生まれた Do What You Can。
“コロナ禍でも人は何かを成し遂げられる“
そういうメッセージを込めた。
(ジョンさん)
「曲を書き始めてから
ここアメリカでは実に多くの出来事が起きました。
私はこれは時事的なアルバムなのだと認識しました。
私は発表を差し止め
曲作りを続けました。
一部の曲は歌詞を書き直し
新しい曲も書き続けたのです。」
曲作りはファンとの共同作業でもあった。
コロナの感染が急拡大した3月
直面している困難を教えてほしいと呼び掛け
歌詞に反映させた。
(Do What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 窓越しに見て何をするべきか考えても
仕事には1年か2年は就けない
Q.ファンと一緒にこの曲を書いたということですね。
その過程はいかがでしたか?
(ジョンさん)
「いったんは曲を書き終えたのですが
我々はまだ特別な事態を経験している最中だとも感じていました。
日本の皆さんもニュージャージーの人たちも
みな同じ事態をくぐり抜けています。
そこではじめの1小節と歌詞をネット上に掲載してこう書きました。
『歌詞を書いてください ご自身のストーリーを書いてください それを私が歌います』と。
ファンとのやりとりがあり
ファンが送ってくれたストーリーは私と共通するような体験ばかりで
なんて特別な曲なのだと気づかされたのです。」
この曲でとりわけ強い印象を受けた一節。
(DOo What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ ソーシャル・ディスタンスは保つけど
世界が必要としているのはハグだ
ワクチンが見つかるまで
愛情の代わりはない
自分と家族を愛そう
隣人と友だちを愛そう
そろそろ見知らぬ人を愛するときじゃないか?
彼らはまだ巡り会う前の友人たちなんだ
Q.“愛情の代わりはない”という歌詞でどのようなメッセージを伝えたかったのですか?
(ジョンさん)
「私たちは皆限界まで追いやられました。
このウィルスの前では私たちは平等なのです。
日本人であろうとアメリカ人であろうと
共和党員でも民主党員でも関係ないのです。
コロナは相手を選びません。
そのような状態に追いやられ
人々は家族・健康・友人などが最も大切だと気づかされました。
それらに代わるものはないのだと認識すべきです。
仕事・レコード制作・旅行に忙しく駆け回って過ごすことよりも大切なのだと。
そこには人を謙虚にさせる要素があります。」
世界的なロックスターが
自分にできることとして
低所得者向けのレストランを運営する。
それはどういう意味合いを持つのか。
Q.ソウル・キッチンはあなたにとってどれほど大事なのですか?
(ジョンさん)
「気持ちの上でとても大切です。
これまでにないような喜びを与えてくれました。
いいことをするとステージで大声でシャウトするのと同じくらいいい気分になると気づきました。
その活動がひとりひとりの人生に大きな違いを生み出している。
そう考えるのが魔法のようですね。」
Q.巨大なステージでたくさんのファンに囲まれている時の喜びとはまた少し違いますか?
(ジョンさん)
「どちらも大きな喜びです。
私にとってステージに立つのはすばらしいことで
私はそれが好きだし
得意でもあります。
ただ
それは仕事であり
ありのままの自分とは違うように感じるのです。
支援活動は私が私らしくあるために取り組んでいることなのです。」
(Do What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 普段することができないときは
今できることをしよう
12月2日 NHK「おはよう日本」
タイではいま若者たちを中心とした反政府デモが連日続いている。
こうした若者たちのデモは2020年7月以降活発になっている。
デモは警察の取り締まりに対抗して連日集まる場所を変えながら行われているが
現場に並ぶのがタイでおなじみの屋台。
デモの情報をいち早くつかみ現場に駆け付ける様子が評判になっている。
デモが2時間後から始まる予定の現場。
告知されたばかりの集合場世に駆け付けると
まだデモは始まっていないが
屋台が軒を連ねている。
(屋台店主)
「私が一番乗りです。
材料を仕入れる前にフェイスブックでデモの情報をチェックしています。」
“タイはこれでいいのでしょうか?”
“民主主義を返せ!”
警察とデモ隊が対峙するなか屋台には長い行列が。
(デモ参加者)
「デモは長時間続くので
この場を離れずにすむのは便利です。」
背景にあるのは新型コロナウィルスによる屋台への影響。
(屋台店主)
「最悪です。
デモで商売して収入を得るしかありません。」
「皆外出しません。
だからここに来るしかないのです。」
中には収入が以前の3分の1にまで落ち込んだ屋台もあり
客を求めてデモの現場に集まってくるのである。
8月からクレープの屋台を始めたチャイピチットさん。
以前は宝くじを売っていたが感染拡大の影響で休業。
妻と2人の子どもを養うためデモ隊相手の商売に踏み切ることにした。
(チャイピチットさん)
「ほかに手段がありませんでした。
でも生活していくために道を見つけなければなりませんでした。」
大規模デモが予定されていたこの日
チャイピチットさんは開始2時間前に到着し客が来そうな場所を確保した。
(チャイピチットさん)
「ここなら4~5時間ですぐ売り切れるでしょう。
到着が遅れたら難しかったですね。」
ところがデモ隊が急に動き始めた。
ついていくべきか
とどまるべきか。
屋台仲間に連絡して情報を集める。
結局 首相府を目指したデモの本体ではなく残った参加者たちに売り込む作戦が的中し
クレープは約5時間でほぼ完売。
売り上げは日本円で約1万4,000円と
デモがない時の3倍にのぼった。
きょうも屋台を引くチャイピチットさん。
平和を願いつつも
家族の暮らしのため現場にいち早く駆け付ける。
(チャイピチットさん)
「デモの情報を聞きつければ
私はまたそこで屋台を出します。」
12月1日 NHKBS1「国際報道2020」
次世代のエネルギーとして注目される水素。
日本やEUなどが2050年までに“温室効果ガスの排出実質ゼロ”を目指し始めたなか
水素を使って温室効果ガスを減らそうという動きが本格化している。
その1つが水素を使った自動車である。
フランスの自動車の耐久レース
ル・マン24時間レース。
この過酷なレースに水素を使ったレーシングカーが挑もうとしている。
水素を燃料に走る水素レーシングカーのイメージ映像。
車から排出されるのはきれいな水。
“紅茶も飲めるほど不純物が少ない“とアピールしている。
2年前から開発が進められている最新型の水素レーシングカー。
試乗すると
「なんかちょっと狭いですね。」
「動き出しました。
ほとんど音がないですね。
エンジン音は感じません。」
「すごい・・・加速を感じます。」
「おお・・・いまカーブを曲がってるんですけどもすごい重力を感じます。」
最高速度はじ時速300km。
3秒余りで時速100kmに達するという。
「すごかったです。
スピードがすごくてもう夢中でした。」
この車の心臓部の仕掛けは
「水素タンクは全部で3つ積まれています。」
車内に注入さえた水素。
燃料電池の中で酸素と化学反応を起こし電気が発生する。
そしてこの電機がモーターを回転させる。
地球温暖化の原因となる二酸化炭素などは出さず
脱炭素社会の実現に向けて注目されている。
車の開発を進めているのは「ル・マン24時間レース」を主催する団体である。
2024年に水素を燃料にした自動車のレースを新たに開催することを目指している。
今回のプロジェクトにはエネルギー大手の「トタル」やタイヤメーカーの「ミシュラン」なども参加。
レースを通じて車の性能を高めていく計画である。
(プロジェクトの開発担当者 ニクロさん)
「水素や燃料電池は伸びしろがある技術。
開発を進めるにはレースをするのがベストだ。」
いま課題の1つとしてあげられているのが水素の補給である。
1回最大で4分ほどかかる補給作業。
1分1秒を争うレースでは
時間をいかに短くするかが重要である。
燃料となる水素は圧縮した形でタンクに入れられる。
しかし急激に入れるとタンク内の温度が高くなってしまう。
安全性を高めながらどう補給時間を短くできるのか
さまざまな角度から研究が続けられている。
(水素スタンド 開発担当者)
「目標は
2024年には
ル・マン24時間レースを走る車に2分以内で必要な水素を補給できるようにすることだ。」
(プロジェクトの開発担当者 ニクロさん)
「二酸化炭素の排出がゼロで信頼でき経済的な車を誕生させることが我々の挑戦だ。」
フランス西部にあるルマン市。
博物館には100年近く続く24時間レースの歴史が記録されている。
館長のブリゴさん。
“24時間走る続ける過酷なレースは自動車の技術革新に一役買ってきた”という。
(ル・マン24時間レース博物館 ブリゴ館長)
「このエンジンにはパワーを増やす2つのターボが右と左にある。」
車を加速させるターボ技術もその1つ。
ル・マンのレースで注目され
その後世界各国のチームで使われるようになった。
(ル・マン24時間レース博物館 ブリゴ館長)
「ル・マン24時間のような厳しいレースでは
自らの技術を試し
より信頼できる効率的な技術が生まれる。
ル・マンで証明された技術は一般の車にも応用されていく。」
長年24時間レースを支えてきたルマンの町。
ここでも水素を使った自動車の実用化が進んでいる。
市内を走る路線バスも誕生した。
1回の補給で250kmほど走ることができ
通常の路線バスとほとんど変わらないという。
ルマン市の近郊では海水から水素を作る工場の建設も始まった。
水素はほとんどが化石燃料で作られているが
この工場では風力を使って発電し
二酸化炭素を出さない計画である。
(水素製造会社 ゲネCEO)
「化石燃料を治療して水素を製造すれば
ガソリンと何も変わらない。
だからこそ二酸化炭素を排出せず製造される水素が必要だ。」
水素レーシングカーの開発をきっかけに広がる取り組み。
脱炭素社会の実現に向けて動き始めている。
12月1日 NHK「おはよう日本」
若松さん(27)は
1年半前
実家のみかん農家を継ぐために東京から愛媛県宇和島市に戻ってきた。
若松さんの実家は100年以上続くみかん農家。
高齢の祖父母にとって待ち望んでいた後継者だった。
「みかんパラダイスを撮って。」
農作業の合間には写真や動画を撮影。
SNSを使って発信する。
(若松さんの祖父)
「もう喜びに堪えないような思いです。
遊び自体が悪いとは思いませんが遊び過ぎたらそりゃもう大変な事で
そこはちゃんと気をつけて。」
宇和島に戻るきっかけは
東京でスケートボードに熱中していた頃
実家のみかんで作ったジュースを友人たちにふるまったときに聞いた一言だった。
(若松さん)
「飲んだみかんジュースが
『あれ全然違う こんな感じなんすか みかんジュースって』という感想。
その文化は愛媛で絶やしたくないし
確実に絶やさない方がいいと思うし
みかん作らないとっていう感情になった。」
去年1年間
若松さんは柑橘専門の研究機関 みかん研究所に通い続け
みかんの作り方を一から学んだ。
栽培技術や品種の開発方法など指導を受け
毎日が勉強だったという。
「これが成り枝?」
「来年の成り枝。」
息抜きは自作の“ランプ”でスケートボード。
若松さんは愛媛のみかんを若者たちに発信するため
自らブランドを起ち上げた。
Tシャツなどのアパレルやミカンジュースなどをオンラインやイベントで販売している。
(若松さん)
「反応はいろいろあるんですけど
とにかくおいしいって言ってくれたら一番うれしくて。
売りに出た後に戻ってきて
みかん山に上がってきた時にしみじみ思うときもありますね。
“頑張ろう”みたいな。」
農作業を終えて向かったのはみかんジュースを卸しているカフェ。
生産者の顔が見えることと消費者の声を聴くことを何よりも大切にしている。
「松山の若い子たちは若松さんを知っているので
インスタで見たことあるんですとか
けっこう聞かれることもある。」
「若松さんはちゃんと作ってるんだろうなって信頼して飲んでます。」
「ほんとにおいしかったんで
それはもうはっきり覚えてます。」
(若松さん)
「昔からのやり方じゃない部分のやり方でも
やって行けたら良いなと思いますね。
人間の生きる糧になるものを作っていることは
かっこいいことなんじゃないかなって思いますね。」
誰からもかっこいいと呼ばれる農家になりたい。
愛媛が誇るみかんの文化を若い世代へつないでいく。