ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

「真夏の夜のジャズ」のダイナ・ワシントン

2005年07月14日 | ミュージシャン




 きのう「真夏の夜のジャズ」の話をしたついでに。


 この映画の中に出てくるシンガーのひとりに、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)がいる。
 小さいころからゴスペルに接していたダイナは、15歳の時にシカゴのアマチュア・コンテストで優勝します。
 18歳のころにはジャズ・シンガー兼ピアニストとして活動するようになり、19歳の時にライオネル・ハンプトン楽団に加入したのがきっかけとなって名が知られるようになった。
 アクの強い、メリハリの効いた歌を歌い、奉られた異名は、「ブルースの女王」。
 ジャズはもとより、カントリー、リズム&ブルースなど、レパートリーはとても多岐に渡っている。
 もともとブルージーで、強いゴスペル色をも感じさせるボーカリストだったが、1959年にはポップス風にアレンジした「縁は異なもの」(What A Diff'rence A Day Makes)を大ヒットさせてグラミー賞を受賞、音楽性の幅広さも世にアピールした。


 「真夏の夜のジャズ」は、1958年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの模様を収めてた映画で、この時ダイナは、ウィントン・ケリー(piano)、マックス・ローチ(drums)、テリー・ギブス(vibraphone)などの豪華メンバーとともに出演している。
 映画に収められているのは「オール・オブ・ミー」。
 ダイナはダイナミックに歌い、かつ間奏部分ではマレットを持って、テリー・ギブズ相手にビブラフォンのバトルを繰り広げている。
 演奏には熱がこもっているし、ダイナのステージ・パフォーマンスはほどよくリラックスしているせいだろう、ゴキゲンにヒート・アップしている。
 ぼくはこの映像で、ダイナのステージの楽しさをはっきり伺い知ることができた。


          


 ダイナに関してぼくが最も好きな話。


 「ブルースの女王」ダイナがツアーでイギリスに滞在していた時のこと。
 イギリスのジャズ評論家、マックス・ジョーンズに夕食に招待された。
 その席で、マックスはダイナに詫びた。
 「今週は、エリザベス女王がカナダを訪問中なのです。だから申し訳ありませんが、宮殿へのツアーには案内できないんですよ」
 それを聞いたダイナ、鼻で笑ってこう言い放った。
 「ふん、あの女もちゃーんとわかってるんじゃないか。この国には女王はひとりいれば充分だってことが、さ」


          


 ダイナ・ワシントンは、1963年に39歳の若さで亡くなった。
 睡眠薬やアルコールなどを一度に過剰摂取したことがその原因である。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする