箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

好きだから好き 理由はいらない

2025年01月23日 07時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ




世の中で何か事件が起これば、コメンテーター、専門家、評論家が批評、批判、賞賛、解説などのコメントをしてくれます。



この人のバッティングはこの点がすばらしい。


凶悪犯罪が起こると、警備態勢のここに欠点があった。こうするべきだ。


この絵画はなぜよいのか。誰の影響を受け、どんな工夫をしてこの画風を打ち出しているか。


それらは根拠や論理・理屈で裏打ちされています。




たしかに世間ではたくさんの根拠・論理・理屈が、あらゆる疑問を封じ込めてくれます。


でも他人はどうあれ、自分にとっては素晴らしい絵なのです。


自分だけが気に入った映画。


推しにお金をつぎ込む。


それらには理由づけはいりません。


素晴らしいから素晴らしい。気に入ったから気に入っている。


好きだから好き。


そんな心中の不思議を正すのは、理屈抜きの自分の感性、感情だけではないでしょうか。


私はやっぱりこれが好き。これでいいのでしょう。


ありのままの自分の感覚・感性を大事にしたいのです。


相談相手としての保健室の先生

2025年01月22日 10時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2024年12月16日のブログで、保健室の先生のことを書きました。

「それら以外に、保健室を訪ねてくる児童生徒からの相談業務も、学校では大きな意味をもっています。
教室に入りにくい子から話を聞いたり、拒食症の子、学校生活の相談など、学級担任に話さないことでも、養護教諭には話せるという子もいます。」

今日のブログでは、保健室の先生(養護教諭)は、生徒からどのような相談を受けているのかを紹介します。

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中学時代にある朝「名字が変わるから」と言われました。私は「ブチギレ」ながら登校したんですが、校内では明るい私で頑張らなきゃって。


「こんな悩みを分かってくれる同世代はいないだろう」と思ていたんですが、本心とのギャップに耐えきれず遅刻魔になり、保健室で過ごす時間が増えました。


保健室の先生は何もジャッジせず、ゆっくり待ってくれた。

ある時、「話したくないことは話さなくてもいいよ。でも、もし話して楽になるなら、いくらでも話していいよ」と接してくれたんです。


その瞬間、ワーっと泣いてしまって。この人になら言っていいんだ、と思えたんです。しんどさのサインを見逃さず、受け入れてくれた。何でも悩みを話す間柄にはならなかったけれど、その先生がいると思うだけで、たくましくなれた気がします。


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2025年1月7日の『毎日新聞』の「学校と私」に載っていた投書(抜粋)です。

人間関係にもよりますが、学級担任の先生には話せない生徒でも、保健室の先生になら話すことができる場合もあります。

生徒の相談相手になることができ、生徒の生活を支えることができる。

それが、養護教諭の役割の大きな側面です。




いい気分にさせる人になりたい

2025年01月21日 06時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新しい年を迎えましたが、今年1年を過ごすのに不安を感じているのはわたしだけでしょうか。

海外のできごとが直接私たちの日常に影響する今の時代に、危機感を抱いている人は少なくありません。

海外の情勢次第で、留学を予定している大学生に影響が出たり、活動ができなくなる人が生まれます。

また国内の治安がどうなるかも心配であり、気候変動で今年の夏はまだ暑くなるのでないか。

安定した気候や安心して暮らせる経済状況があれば心穏やかに過ごせますが、最近は心がすり減り傷つく事件が多くて気分が落ち込みがちになりがちです。


そして、イライラしたりうっぷんをため込んだ人が、そのうっぷんを周りに伝え広げます。


SNSでは、他者に対して容赦ない攻撃が行われます。


人は他者の攻撃性に触れると自分も攻撃的になることもあります。


そのように、他人の怒りが自分に無意識のうちに影響するのです。


お互いに非難しあったり、他者を否定したりする場面を、去年はたくさん見聞きしました。


ただ、そんな状況でも、ひとつ救いになるは、人は悪意だけでなく親切で温かい態度にも影響されるということです。


悪意だけが伝わるわけではなく、他者への共感も伝え広がるのです。


イヤな態度を見たり、悪意ある態度をとられた後には、意識的に共感を寄せれる人と話したり、気分を良くする本を読むなどが



そこからさらにもう一歩進み、自分自身がいい気分を伝える人になりたいと思います。


いつもというと無理かもしれないませんが、時々でもそんなふうになれたら、人にいい気分や安らぎを運ぶことができるのではないでしょうか。


人はうそがない自然な笑顔に接すると、ホッとした気持ちになるのです。



新教育課程での共通テスト

2025年01月20日 06時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大学入学共通テストが18日、19日と二日にわたり実施されました。


現行の新学習指導要領高校編は2022年度から実施されています。


この学習指導要領は、「主体的・対話的で深い学びの学習」により、生徒の思考力、判断力、表現力を高めることをめざしています。


資料を読みとる力や考察する力が求められ、高校での授業はそれらの活動を日頃から実践するように変わってきたのです。



そして、今の高校3年生は1年からずっと現行の学習指導要領に基づく新教育課程で学習してきた生徒たちです。


その意味で、今回の共通テストは、新教育課程の特徴が反映され、思考力を確かめたり、グラフやレポートを分析する力を測ったりする問題が多かったのです。


18日の社会(歴史総合)のテストをとりあげてみましょう。


「主体的な学び」を意識し、生徒間の対話や探究活動を題材としたが目立ちました。


保護者の中には、今も「社会は暗記科目だから」という人がいますが、とんでもありません。


確かに覚えた知識が問題を解くのに必要になるという側面はあります。


しかし、その知識をもとに、資料を考察したり、資料を読みとり、探究する実力がなければ、とうてい答えられない問題で今回の共通テストは埋められています。


ということですので、高校での日常の授業が一昔前の知識伝達型(教師が知識を教え、生徒が覚える)でなく、思考力等をはたらかせ、考察したり探究する活動のある授業を実践してきたかが問われていると教員は受けとめなければなりません。






これが今回の問題の一部ですが、知識を覚えていれば、答えられるような問題ではないことが理解できます。



柳の木になりたい

2025年01月19日 07時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ

仕事にしても、私生活にしても、生きていくうえで、ブレない自分の軸をもつことは大切です。

ただし、自分の軸が「ねばならない」「でなければならない」という思いが強すぎると硬直化してガチガチになり、いつかポキンと折れてしまいます。


そうではなく、人の話や意見に耳を傾けるゆとりが大切です。


柳の枝のようにゆらゆら揺れながらも、軸がしっかりしている。


しなやかに生きるとはそのようなことだと思います。


そんなふうにいられれば、どんな困難に遭遇しても、自分を見失うことなく一歩ずつ前に進めるのではないでしょうか。


人は自然とつながる

2025年01月18日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今年は、大阪で万博が開催されます。

先端の科学を見たり、体験したりできそうです。

1970年の大阪万博も科学の進歩は一つの大きなテーマでした。

そこで、思うのですが、どれほど科学や技術が進歩しても、生身の人間は自然と連なっています。

ですから、生活のほんの一部でも自然を取り込んでいくのが大切だと思います。

1月ごろこ冬の木立は広葉・落葉樹の場合、まったくといっていいほど、葉をつけていません。

ほんとうに幹と枝だけになります。

冬の木立は寒風が吹き荒むなかで、じっとがまんして立っています。

先日、その背景に冬の抜けるような青空がそびえていて、木と空のコントラストに感激しました。


空が青いというだけでなにか胸がときめくというワクワク感を覚えました。


日常にある、自然と連なった何気ない小さなときめきを感じる生活はいいものです。





避難所になった中学校 阪神大震災から30年

2025年01月17日 09時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 30年前の今日、1995年1月17日午前5時46分ごろ、阪神大震災が起きました。
 わたしは、そのときも大阪府北部に住んでいましたが、猛烈な揺れは今でもハッキリと覚えています。
 最初に下からドーンと突き上げがあり、そのあとはガタガタガタガタと激しい横揺れがきました。家が潰れると思いました。
 あれほど激しい揺れを体感したのは生まれて初めてあり、それ以下も今までにありません。
 そのあと出勤したのですが、道には落石というか大きな岩が落ちていました。信号は消えていました。
 そのあと、神戸方面がとんでもないことになっていることをテレビのニュースで知りました。
 今日は30年にちなみ、神戸市須磨区の神戸市立鷹取中学校の震災当時校長だった人から聞いた講演をお伝えします。少し長いですが、ご一読ください。

 私は大地震のとき、神戸市の鷹取中学校の校長だった。1995117日午前546分、神戸市で大地震が起きた。わずか20秒の揺れで、神戸の町がなくなり、人の生き方が変えられた。神戸市の学校の約65%は避難所になり、残り82校は倒壊して避難所にもならなかった。

 学校に駆けつけた私は市教委へ何度も電話をしようとした。①鷹取中学校が避難所になったこと②救済の窓口はどこか③指示系統を確認したい。しかし電話は通じなかった。そのため、すべて私が指揮をとることになった。

 鷹取中学校には統計上は2000人の避難者だったが、実際はいちばん多いときで4689名の避難者がいた。117日から831日まで避難所となった。その間、教師と生徒で避難所を運営した。開設当初は「先生、何をしたらいいんですか」などと聞く余裕などいっさいなかった。すべてがその場、その時期での判断だった。

 鷹取中学校は須磨区にあるが須磨区のいちばん東端であるので、避難者は長田区から来た人がほとんどだった。須磨区の住民のほとんどは西へ逃げたのでした。

 震災当日は午前730分、教師6名が学校に到着、4カ所の校門周辺に約300人の避難者が集まっていた。北門を開き、避難者を校内に誘導した。停電のためシャッターは開かず、2名の教師がこじ開け、けが人・老人を優先して校舎内に誘導した。学校の被災状況を確認後、校長室・事務室・職員室・保健室以外のすべての施設を提供した。

 水がなかった。中2のある男子生徒が突然倉庫を壊し始めた。受水槽を壊し、避難者に水を配ろうとしたのだった。これもシャッターをこじ開けた教職員の姿を見ていた生徒が生徒が自主的に水をくみ上げ、配ってくれたのだった。

 鷹取中学校の避難所は日本人をはじめ、ケミカルシューズの工場に勤務していたベトナム人130人、韓国朝鮮人300人、ペルー人、ギリシャ人からなる多民族の避難所でもあった。

 ある日、倒壊した家屋の中に生存している夫婦がいると聞きつけ、教職員で救助に向かった。老夫婦が鉄瓶に入った一杯の水を分け合って飲みながら生存していた。このような人たちを大切にしたい。被災した人たちに思いを寄せ、かかわりきる。これが避難者と学校の関係をよくして、学校再開につなげることができた。 

 社会福祉協議会から支援隊を出してくれる申し出があった。鷹取中学校は1週間以上いてくれることができる支援隊のみをコーディネートすることになった。そのとき私は物資の奪い合いで暴動が起きそうな気配を感じていた。そこで、今避難している人が将来、同窓会ができるような避難所にしようと提案した。(実際、避難所解消後も同窓会を毎年できた)

 次に避難所の中で外国人差別が見えてきた。「外国人を放り出せ」という発言や無視をするという言動があらわれてきた。差別いじめのない学校づくりを人権教育として進めてきたし、行政が人権啓発を進めてきた。しかし非常時になると差別があらわれる。関東大震災のときの朝鮮人虐殺を繰り返してはならない。N教師が敢然として差別に対抗した。「同じ地震である関東大震災のときに起こった朝鮮人虐殺。あなたたちはそれと同じことをしようとしているのですよ」と訴えた。その後、避難所が助け合う場になった。

  2のある男子生徒は、よく授業をサボり、学校を飛び出す子だった。子どもたちは班をつくり、水を担当する班、トイレを担当する班(縦割り)などに分かれた。彼は班長になっていた。物資を運んだりするとき、「がんばってください」と言う声かけをはじめた。やがて声かけが避難所に広がるようになった。

 赤ちゃんを抱いた母親は、元気な声をかけてもらって心が安らぎます。ある日、校長室におじいちゃんが子どもを連れてやってきた。「この子はわしの知らん子やねん。でもおじいちゃん寒ないか。背中さすろか」というてくれるんですわ。・・・・・

 子どもがみずから学習していった。生きていくためのかかわりを通して、差別が解消していった。一つのものを分けて食べる、一つのものをともにつくるという行動が差別をなくしていった。

 最初に日赤から500枚の毛布と500人前の食糧が届いた。しかし鷹取中学校の避難所は震災3日後には3000人を超えていた。その後、折り詰め弁当や缶詰も届いた。しかし一人1個もあたらない。弁当が届いたとはなかなか言えなかった。奪い合いが起こるかもしれない。

 子どもたちは弁当はすべて自分たちが受け取り、避難者に分けると言ってきた。その後弁当が届くと、1個の弁当を何人で分けるかを決め、「~人で分けてください」と1個ずつ弁当を手渡していった。

 1日に1回の食べ物。中1の女子生徒はおばあさんに「今日の弁当は3人で分けてください」といって渡そうとした。あばあさんは「お嬢ちゃん、わたしは昨日ももらっていない。一昨日ももらっていないんや」と言った。でもその生徒は泣きながら「今日の弁当は3人で分けないと足りなくなるのです。この人とこの人との3人で分けてください」と言って分けていた。

 子どもに「食べもんをとってこい!」とすごむ人もいた。しかし、子どもは泣きながらも弁当を渡さなかった。子どもたちは弁当を守り抜いたのだった。ある日、弁当が悪くなっているときがあった。私はすべて捨てるように指示をした。中学生はわかってくれたが、小学生が悲しそうな顔をした。そこである中学生の男子が怒り出した。「何か腐っているのか調べたんか」 と。調べてみるとスパゲッティだけが腐っていることがわかった。そこで、スパゲッティだけを捨てて、弁当をすべて配ることになった。その後、その男子生徒は、のちに隣保館の大鍋を借りてきた。そして炊き出しが始まった。

 このようにして、19日後には鷹取中学校の18クラスすべてが授業再開にこぎ着けることができた。すべての年齢の子が 、それぞれの思いで、自分のできることをやり、避難者にかかわっていった。子どもは等しく同じ力をもっているのだと実感した。

 生徒の安否を確認したかった。しかし避難者がいるので探しに行けなかった。その一方で、必死になって安否確認をしてくれていた3人の女性教師と女子生徒がいた。避難所をまわり、道を通る人に尋ねた。しかし最後まで4名だけはどうしてもわからなかった。民放に安否確認を流してほしいと頼むと、もう今は一般番組にかわっているので流せないという回答だった。私は怒鳴った。「人の命と番組とどっちが大事やねん!」。その後大阪のNHKが流してくれた。その結果二人が見つかった。

 授業を再開するためには教室が必要だった。教室には避難者が生活していた。企業で部屋を貸してくれるところがないかと交渉に行ったが、どこも貸してくれなかった。教頭先生と須磨の陸橋の上で座り込んで、がっかりしてため息をついていると、目の前に須磨の水族園が見えた。二人で顔をあわせ「行こか」といい行ってみた。「うちのレストランを使われたらどうですか」と言ってくれた。「黒板がないなあ。」とつぶやいていたら、次の日には黒板も用意してくれた。

 大震災はかけがえのない命を奪った。亡くなった命は6434人の命。そのうち児童生徒は179名である。毎年「1.17希望の灯り」のセレモニーのときには、6700本の竹筒に灯りをともし、霊をとむらう。灯りの下には「この灯りは奪われたすべての祈りと生き残った私たちの思いをつなぐ」と書かれている。

 あるときおじいさんに出会った。年老いたおじいさんは80歳ぐらい。おさなごを背に背負い「わしの孫や」と言ってくれる。しかし、その子はおじいさんの背中ですでに息絶えていた。もう一度、このおじいさんに会いたい。「あのとき十分なことができずに」と伝えたい。

 中2の子が瓦礫の下敷きになっていた。余震で残った建物がまた崩れ、瓦礫が高くなる。「待っとれよ」と言って学校に行き、みんなで瓦礫をのけはじめた。そのとき、避難者が「火が来るぞ」と言った。しばらくして火が広がり、その子は友人の前で、先生の前で亡くなっていった。

 女性の先生がこんなメモを見せてくれた。「とても悲しい。あんなに優しかった父が地震でこわい父にかわった」と書いてあった。住んでいる賃貸のマンションが崩れ落ち、働 いている町工場がなくなり、父はパニックになった。地震は人を変えた。

 子どもと教師が本当の思いでかかわった。また、午前546分といえば、ほとんどの家族が家に揃っている時間。父が血を流しながら家族を助けた。母が髪の毛を振り乱し、おじいちゃんおばあちゃんを助けた。子どもたちはそれを見て親を再発見した。命がけで家族を救い、地域の人が助けあって大震災を切り抜けた。絆が生まれた。

 ある母親の手記がある。「あの子は天使です」というもの。母一人、娘一人の家族が被

災した。瓦礫の下から5時間後に救出された。娘の足には重い柱が長い時間のったままだった。「もうあの子の足はあきらめよう。命が残ったのだから」と母はつぶやいた。娘は元気に手術室に入った。

 クラシュシンドロームだった。その後、ICUに入った娘は目を決して閉じようとしなかった。20日後、意識がなくなっていった。その後、いったん止まった心臓が動き出した。そして娘は両手を上げて、渾身の力をこめてつぶやいた。「母さん、生きてね」。そして息絶えた。

 学校を休みがちだったある2年生の女子生徒K子がいた。震災後、毎日ボランティアで学校に来るようになった。なぜ学校に来るようになったのか。自分の家が崩れ、自分が下敷きになったとき命をかけて家族を救おうとする両親を見たのです。このことを誰かに伝えたい。だから私は学校へ来てボランティアをするのです。こういった。

 その後、2年生の女子生徒は、ある体の衰弱したおばあちゃんに、手に入れたお弁当を毎日毎日運んだ。200日間、体の動かないおばあちゃんの世話をしつづけた。おばあちゃんはその後、亡くなった。亡くなった日、その女子生徒が校長先生のところへやってきた。 

「先生、おばあちゃんがきょう「ありがとう」と言って、私の手を握ってくれたんですよ。そしてその後おばあちゃんは亡くなったんです」 

「おばあちゃんは私に感動をくれた。私に勇気と希望をくれたんよ。」 

 また別の話もある。断水が3ヶ月続いていた。男子トイレの大便器は数が少ない。3日間ぐらいで流せない大便は山盛りになる。すると大人の男性はどこへ行くか。女子トイレで用を足そうとする。

 「ここは使わないでください」と女子生徒と女性教師が頼んだ。「何ゆうとんじゃ」と突き飛ばされた。ある日トイレの戸が蹴破られた。それを見た男子が怒って、盛り上がった大便を木片でとり、バケツに入れ地面に穴を掘って埋めた。そしてプールから水をくんできて、トイレを流した。その後は、手で便をとる子もあらわれた。

 それを見ていた避難者が立ち上がった。「なんで子どもがせなあかんねん。自分らがやったものは自分らがかたづけるんや」。その後、避難者の自治組織ができた。

 震災が学校を地域に開いてくれた。生徒は卒業しても多くが地域で暮らしていく。この避難所でいっしょに生きた人たちが、また地域で暮らしていく。

  K子の話をはじめとして、かかわった人と避難者の間に感動が生まれた。感動は生きる勇気と生きる力に発展していく。教師と子どもの間でいかにして感動を生み出していくか。これが子どもに生きる勇気と生きる力を与えていくものと、鷹取中学校の避難所が私に教えてくれた。

(講演は一部省略してのせています)


 

 


 

 


2025年度の学校教育の施策

2025年01月16日 06時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2025年度の国の学校教育予算が決まりました。

今回、文科省の要求に対して、財務省はかなり譲歩して予算をつけたようです。

その予算づけで、実施される施策としては、


◯教員定数について


・現在小学校5・6年で実施されている教科担任制を小学4年にも広げます。


・初任教員をサポートする教員を充実させます。


・中学校で不登校への対応などに当たる生徒指導担当教員を増やします。



◯教員の処遇改善について


・残業代の代わりに給料月額に上乗せ支給する「教職調整手当」を段階的に引き上げます。


現行の4%を2026年1月から5%として、支給率は2030年度までに10%となります。


・学級担任をする教員に月3000円を支給します


・教員の業務負担を軽減するための支援スタッフ、授業準備の補助や資料整理を担う教員業務支援員を増員します。



・管理職をサポートする副校長・教頭マネジメント支援員は1300人を配置します。


・不登校の児童生徒の増加を踏まえ、専門職と連携して相談支援を行う人材をあらたに配置します。


教員の働き方改革の必要性は、社会にかなり浸透してきたと考えられます。


大学の冬の時代少子化 

2025年01月15日 08時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今後、急速な少子化が進行していく見込みです。


2023年の大学入学者は約63万人です。


しかし、2040年には約46万人になり、大学は現在の定員の7割程度しか埋められなくなります。


それを見越して、今後は大学や学部の設置認可要件を厳しくしていくことになるでしょう。


大学は、「冬の時代」に入ります。


大学・学部の新設を抑えられることになります。


文科省は、教育の質が十分見込めない大学には縮小や撤退を促すことになります。


国立大は学部定員を見直し、大学教育の重点化を打ち出しました。



今後、留学生や社会人などの受け入れを拡大するとともに、認可審査で財産保有や経営状況などに関する要件がチェックされます。


教育効果の評価では、学生が在学中にどの程度力を伸ばしたかなども審査されることになります。


今までは高等教育の充実ということで、大学の新設、学部の増設は比較的容易でしたが、今後は難しくなります。








教科書の分量を適正に

2025年01月14日 08時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2002年度から始まった、学校教育でのいわゆる「ゆとり教育」は、詰め込み教育に反対していた有識者から支持されていました。

同時に長年続いた午前中に授業があった土曜日を学校の休みの日にした、完全学校週5日制も実施されました。

しかし、学力が低下したという教育関係者からの厳しい指摘は学習指導要領の見直しを文部科学省に迫りました。

そして2011年度以降には、脱ゆとり教育の流れを受けた学習内容を増加させる学習指導要領が施行され、現在に至っています。 

その間、教科書は雪だるま式に分量が増えてきました。

2024年度に小学校の主要4教科で教科書の平均ページ数(A5判換算)の合計を2002年度と比較したところ2・7倍に増加しています。

中学校の国語、社会、数学、理科、英語の5教科でも1・8倍に増えています。

その増加は、現在文科省が重視している、児童生徒の思考力・判断力・表現力の育成と無関係ではありません。

しかし、教科書の分量増は教員の負担につながるという指摘を踏まえ、今回の改定(2030年度から実施)には、授業時間の5分短縮とあわせ、教科書の適正な分量の検討も中央教育審議会で行われていきます。

授業時間の短縮と教育内容の削減は併せて行われるべきであり、教科書の削減も教科書会社の努力が求められます。

授業時間 45分→40分、50分→45分に

2025年01月13日 06時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ

学習指導要領は各学校で教える学習内容最低基準を定めるもので、法的な拘束力をもち、ほぼ10年に1度改訂されます。


各学校は、それを受け教育計画(教育課程)をつくり、授業等を行います。


ただし、通常は文部科学省がいきなり学習指導要領を公表するのではなく、中央教育審議会(中教審)に改訂を諮問し、中教審が検討を重ね答申を示します。


今回の改訂については、2026年度中の中教審答申を受け、文科省が改訂学習指導要領を出します。


それを踏まえて、文科省は学習指導要領を告示するのです。


その改訂学習指導要領に基づいた教育課程は、2030年度に小学校から順次実施される予定です


今回文科省が中教審に諮問した内容が、先般明らかになりました。


その中でも特筆すべきなの、学校や教育委員会の裁量で、小学校の1コマを現状の45分から40分に、中学校では50分から45分に短縮することができる。


かつ、生まれた余剰時間は学校で柔軟に活用できるというものです。


5分ずつの短縮で、5分×6時間=30分の余剰時間が生まれます。


多様な個性や背景をもつ児童生徒を包摂する必要性を強調。学校や教育委員会の創意工夫を引き出すのがねらいだそうです。



その授業時間の短縮に、わたしは3点の懸念をもちます。


① 指導内容を減らさずに、授業時間だけを削るとそのしわ寄せは、教員の負担増につながます。


② 時間をかけてゆっくりと授業内容を理解していく児童生徒への影響への配慮が必要です。


③ 現行の学習指導要領が推奨する「主体的で、対話的な深い学び」の学習(現行)の実現には、5分短縮では小中ともそれぞれ授業時間がたりなくなります。


「めあて→発問→一人で思考→友だちと交流→自分の思考を深める→ふりかえり・まとめ」の活動を最後まで行うには、現行の授業時間でもギリギリか足りないくらいです。


それは私が何度も教員の指導をするため、授業参観をした経験から思うことです。


ふりかえり・まとめまで終えてこそ、子どもに確かな学力がつくのですが、5分短くなると授業の終末までたどりつくのは無理になります。 


このことは、授業をしないとわからないことなのです。


それが現場の実状です。問題は、審議会の会議室で見えてくるのではなく、現場で起こっているのです。


中教審の委員はぜひ現場に足を運んで、授業を見て、ベストな答申を出してほしいと願います。













保護司の人材確保を

2025年01月12日 08時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今では数としては、「荒れた学校の時代」と比較して少なくなりましたが、中学生のなかには問題行動や非行に走る生徒で、学校側の懸命な生徒指導が届かず、少年鑑別所や少年院に入所せざるをえないケースがあります。


また、犯罪や非行に走った人たちは刑務所や少年院に入所します。


やがて出所して社会に入ったり、戻ったりするのです。


その人たちが社会に復帰するのをサポートする過程を更生保護といいます。


更生保護として、大きな位置を占めているのが「保護観察」です。


その保護観察を担う人が保護観察官とボランティアの保護司です。


ただし、保護観察官はたくさんの更生保護対象者を受け持つので、保護観察対象者の指導や支援の実務は保護司に任されるのが通常です。


そのようにして、保護観察官と保護者が協働で保護観察を行い、対象者の社会参加や社会復帰を支援するのです。


保護司は市民のボランティアが引き受けていて、おもに面談で生活上のアドバイスや就労支援にあたります。


ところが、保護司は今厳しい成り手不足に直面しています。


また、高齢化が進んでいます。いかにして人材を確保するかが、目下の課題となっています。








これから先のことはわからない

2025年01月10日 07時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は退職するまでに買いためた服がけっこうたくさんあります。

退職してからは、家にいる時間も増えましたので、そんなにたくさんの服がいらなくなりました。

そこで、着ない服は処分しようと思うのですが、これがけっこう、わたしにとっては難しいのです。

そのとき、自分の気持ちとしては、「また、今度着るかもしれない」となるのです。

しかし、実際に着る機会はなかなか訪れず、物がなかなか減りません。

「12月の◯日にこのスーツが必要になる」ではなく、「いつか必要になる」は、たんなる見込みというか可能性です、

つまり、とっておくことにこだわる気持ちは、要するに「可能性」に縛られているのです。

逆に、可能性が皆無のときは、私たちは悩まないのです。こだわりがなくなるのです。

愛する人の場合も同じです。

別れた彼女のことが忘れられないというのは、付き合っていた楽しい日々を甘い出して、忘れられないということもあるでしょう。

でも、いっしょにまた過ごせる可能性がゼロであると悟っているならば、こだわりはもちません。

こだわりとは、未来の可能性にしばられていることです。

可能性を思うから、人は不自由になるのです。

未来やこれから先はどうなるかわからない。

未来のことはわからない。これが「未知性」です。

可能性よりも、未知性に心開いているのが、こだわらない生き方ではないでしょうか。

103万円から150万円へ引き上げ

2025年01月09日 06時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ


大学生らを扶養する親の税金を軽くする特定扶養控除は、対象となる学生の年収要件が103万円から150万円に引き上げられることになりました。


103万円を超えないようにアルバイトで働く学生は、引き上げを歓迎します。


しかし、アルバイトをかけもちしたりして、疲れ切って、大学の授業では学習に身が入らないなどの弊害が今でもあるのに、限度額の引き上げはいかがなものでしょうか。



ただ一方で、そもそも学業そっちのけで働かざるを得ない状況は好ましくないのです。


アルバイトをしないと、大学での授業料が払えないという制度そのものに問題があるのです。

そもそも学生の本分は学業です。学生が落ち着いて学問に取り組める環境を整備するべきです。

学生や外国人が低賃金の労働力として、労働市場や働き手として組み込まれているしくみ自体をなんとかするべきではないでしょうか。











家でも仕事ですか?

2025年01月08日 08時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしは、教員で学級担任をしている頃は、生徒指導上の問題や進路指導の一環で、自宅でも電話のやりとりをして、プライベートな時間の確保に、あまり神経を使わずに学校の仕事をしていました。


でも、そのようなやり方が今の時代には適合しているとは思いません。


今は勤務時間が過ぎると、緊急の場合を除き、保護者からの電話がつながらないようにしている学校もあるほどです。


学校の働き方改革の方策として、それも必要かと考えます。


仕事のメールや電話でプライベートの時間を奪われる。


そのような経験をした社会人は少なくないと考えられます。


通信技術の発達でテレワークが可能になった半面、長時間労働の温床にもなりかねないとの指摘もあります。


最近ではヨーロッパを中心に、勤務時間外は電話やメールを拒否できる「つながらない権利」が確立されつつあるのが世界的な状況です。


情報道技術の発達で、メールやチャットなどで連絡が取りやすくなる一方で、労働者のプライベートを守る意識は主にヨーロッパで先行して広がってきました。


いま日本でも導入に向けて本格的な議論が始まっています。


とはいえ、日本での労働基準法の改正など法制化への道はまだ遠いようです。


多様化する働き方に対応するため、労働基準法遵守、業務方法などを含めた総合的な職場ルールを労使で検討していく積極的な方策を検討することが必要でしょう。