行政が発出する、通知文などの文書には、しばしばとても長い文章が並ぶことがよくあります。
たとえば、令和5年4月28日に出された「5類感染症への移行後の学校における新型コロナウイルス感染症対策について(通知)」の通知文の中に、次の一文が出てきます。
各都道府県教育委員会教育長におかれては所管の学校(専修学校高等課程を含む。以下同じ。)及び域内の市(指定都市を除く。)区町村教育委員会に対して、各指定都市教育委員会教育長におかれては所管の学校に対して、各都道府県知事及び小中高等学校を設置する学校設置会社を所轄する構造改革特別区域法(平成 14 年法律第 189 号)第 12 条第1項の認定を受けた各地方公共団体の長におかれては所轄の学校及び学校法人等並びに域内の市(指定都市及び中核市を除く。)区町村長に対して、各指定都市・中核市市長におかれては所管の認定こども園に対して、附属学校を置く各国公立大学法人の長におかれてはその管下の学校に対して、各文部科学大臣所轄学校法人理事長におかれてはその設置する学校に対して、厚生労働省社会・援護局長におかれては所管の専修学校高等課程に対して、周知されるようお願いします。
これは一文にまとめてあり、息継ぎなしで文頭から文末まで読むことは、誰もできません。
国の教育行政であるので、全国津々浦々のさまざまな種類の学校のすべてに行き渡る必要があります。
あれもこれもとなるので、どうしても長くなるのです。
この例が示すように、国や政治家は全体がよければいいという「全体最適」を求めます。
それに対して国民はあくまで自分の生活が良くなること、つまり「個別最適」を切望しています。
どちらがいいとか悪いという問題ではありません。
ですから、政治家がしょっちゅう口にする「国民の皆様の信頼を得るために」という言葉の裏には、どんな国民を念頭に置かれているのかを考えないといけません。
たとえば、政府はいま貯蓄するより投資することを国民に求めています。
若い人たちが少額投資非課税制度を利用してリスクをふまえながらも、ある金融商品を買うようになると、政治家は「若者が投資に目覚めた」と喜びます。
でも実態は、給料だけでは最低限の生活どまりと考え、生活不安から投資に向かうのです。
先行きが不透明で不安な若者たち、不安定な非正規雇用の人などは、生活の安定を得るために、「なんとか」という思いで、貯蓄より投資に向いています。
目覚めたというような余裕ある心理ではありません。
つまり政府は、全体が良ければいいという「全体最適」を求めているのに対し、国民はあくまで自分の生活が良くなること、つまり「個別最適」を切望しています。
政治家は国民個々の切実さやたいへんさを実感として受け止め、そのためにどんな政策が必要かを考えないといけません。
そして、弱者を救済するためのきめ細かい対応が今、いちばん求められていることです。
日本の経済政策には今までずっと「個別最適」の視点がありませんでした。だからこそいわゆる「バラマキ政策」ばかりが行われてきたのです。
高度成長期には「全体最適」を求めればよかったのです。
しかしいまは全体がよければいいというよりも、苦しみや困難、痛みある部分を個別に見極め、手当てすることが求められているのです。
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