ずっと以前から、大阪府で学校での人権教育を推進する女性教員のなかには、夫婦別姓で過ごす人も珍しくはありませんでした。
それは、男性中心の家父長制度に疑問をもち、夫婦別姓で職場で通していて、周りからも認められてきました。
また、家父長制への疑問から、教員が自身の家族の呼称を、あえて嫁と言わず妻、主人と言わず夫と表現する場合もあります。
とくに、ぜったいにそう言わなければならないという縛りはありません。
教員個人の意思でそのように呼び、まわりの人もその呼称を使う、使わないについて、柔軟な扱いでした。
わたしは先日高校の同窓会に出ましたが、女性の同期生はわたしの年齢層では結婚している人がほとんどでした。
姓がかわっているため、誰が誰かを思い出すのに一苦労しました。
私自身、夫婦別姓へのこだわりは以前からあまりなく過ごしてきました。
同じ姓であることが家族としての絆という主張がありますが、家庭が円満なら別姓でも全く問題ないと思います。
また、夫婦別姓の問題点として「子どもがとまどう、かわいそう」という意見が出ますが、夫婦別姓で過ごしている人の例をみれば、子どもは何も困っているとは思えません。
世間一般に視点を移すならば、希望すれば夫婦が結婚後も従来の姓(名字)を名乗ることができる「選択的夫婦別姓制度」の実現を巡っては約30年間、動かずに棚上げにされてきました。
しかし、いまの10~20代の若い世代は一人っ子が多く、一人っ子同士のカップルもおり「名字を変えると名義変更がたいへんで、仕事に支障が出る」という人がいます。
その場合は、自分がしたくない改姓を相手に押しつけられないと悩む人がいるでしょう。
また、「先祖代々受け継いだ名字を自分の代で絶やす罪悪感がある」として結婚に二の足を踏む人もいるでしょう。
もう、夫婦制度には限界がきています。ところが、国や行政は婚活事業に予算を割いており、優先順位を間違えているとも考えます。
選択的夫婦別姓制度は、すぐにでも法制化されるべきでしょう。
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