今の時代は、とくに若い世代を中心にタイパが広がりつつあります。
タイパとは、Time performance (タイムパフォーマンス)のことで、できる限り短い時間で成果を出すとか生産性をあげる行為のことです。
映画の2倍速再生や大学のオンライン授業を早送りで見ることで、内容を知ることと時間の節約を両立できると考えます。
時代の要請があり、タイパをする人が増えているのはわかります。
でも、知識や情報を取り込み、それをもとに思考し、自分の考えを深めていくという点では、タイパは十分ではないのではないか、とわたしは思います。
自分が感じた疑問やしっくりいかない点を深めていくプロセスを省いてしまって、はたしていいのだろうかと思います。
おりしも、いま学校の授業ではアクティブラーニングを重視して、実践を重ねているのが現行の学習指導要領です。
問題を見出し、主体的に解決のための思考をして、他者と交流して話し合い、自己の思考を深めていくという学習を授業で実践するのが、学校の現代的課題です。
そうなると、いまの小中高生の学び方と大学生以上の世代のそれは、正反対になっているのです。
そもそも、社会や人間の営みの中には、たんに白黒をはっきりとはつけることのできない、グレーゾーンがあることもあります。
たとえば、沖縄戦での住民の集団自決などは、聴き手が同時の状況が深く理解できてこそ、相手は話そうとするのです。
そこには語り手と聴き手の間に、一定の信頼関係があってこそ、わが子を殺めた人の何とも言えないやるせなさに触れ、共感するのです。
そこでは、人間としての、葛藤・悩み・迷い・あきらめ・希望・いのちなど一言では言い尽くせない思いに深い分かち合いや共感があるのです。
「これは善、それは悪」という単純二分割できない複雑さの中に真実があることも少なくありません。
タイパは、この深いかかわりあいを重視しない学び方や生き方につながっていくのではないかと、わたしはいま危惧しています。
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