1995年1月17日、午前5時46分の阪神淡路大地震は、日本国内で初めて震度7を観測した大地震でした。
大阪の北部のわたしの自宅でも、すさまじい揺れ方で、最初は下からドーンと突き上げられ目が覚めると、次はガタガタガタという猛烈な横揺れが長い間つづきました。
家が潰れると思いました。
阪神間の被害は甚大で、、25万棟の建物が全半壊し、死者は6400人以上でした。
やっとのことで教育活動を再開できた学校の教師たちは、当時生き残った児童生徒に対して、願いを語り、思いを託しました。
「震災の体験を語り継いでいくことが、みなさんの役目です」。
学級担任のその言葉は児童生徒の胸に深く刻まれました。
その後、2011年の東北大地震では多くの子どもたちが犠牲になり、亡くなりました。
また、いつ地震が起きるかわからない。自分の体験を語り、いのちを大切にしてほしい。
この動機で学校の教師になった人がいます。
また、わたしの校長在任中に初任者で着任した教師がいました。
彼女は大阪教育大附属小学校で起きた児童殺傷事件のとき、その学校で学ぶ小学生でした。
自分の目の前で友だちが亡くなる凄惨な光景を体験しました。
彼女が教師になった動機は、「いのちを大切ににする人になってほしい」でした。
自ら体験をした事実とそれへの思いや願いを語れる教師の言葉は、他の体験していない教師の言葉より、深く児童生徒の胸に刻まれていきます。
いのちを大切にして、いのちのバトンをつないでいくよう、子どもたちを導く教師であってほしいと、この日1月17日に想うのです。
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