たとえば、アスリートが入賞や優勝をしたとき、受賞後のコメントでよくいうことばに、「応援してくれたみなさん、ありがとうございます」があります。
トップアスリートには、世間の期待が高く、メディアも取材して大々的に取り上げ、報道します。
アスリート自身は、応援や声援はたしかに、自分のプレーを後押ししてくれるのは知っています。
しかし、同時に、なによりも本人自身が自分の力を発揮しないと、よいプレーができないことも知っています。
周囲の期待に応えるためのプレーは、本来的には大きな力を与えてくれません。
だから、「自分らしい演技やプレーをしたいと思います」とか「自分らしいプレーができてよかったです」という言葉が、ときどき本人の口から出ます。
では、応援や声援を必要としていないかというと、そうではありません。
応援や声援は、自ら引き出した自分の力を後押しして、その力を最大限以上に引き立てる効果はあります。
しかし、自らの力を引き出すのは、まず自分自身であることを、痛感しているのは選手本人であるのです。
翻って、子育てにおいても同様です。
親の期待に従って子どもを育てるのは、子どもにとって過酷なことがしばしばです。
そうでなくとも、子どもは親の期待に応えよとするものです。
だから、親は自分の満足でなく、子どもの喜びを育てることに留意するべきです。
80点をテストでとった子に、「よくがんばったわ。次もがんばって90点、いや満点をとりなさい」ではないのです。
「80点をとれたのね。よかったね。毎日コツコツと学習してたからね」と、子どもの喜びをわかちあうのです。
周りの期待に応えるための行動は、子ども本人に大きな力を与えません。
でも、喜びは次もがんばろうとする、子ども自身から生まれる最大のモチベーションです。
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