教職経験年数の少ない教師が陥りそうな過ちがあります。
「よい教師」とは熱心に指導をして、生徒に自分の言うことをきかせることができる教師であることに自信をもち、まわりからもそれで評価される。
要するに、生徒を変容させる力をもつ人がすぐれた教師だと、私も若い頃は思い込んでいました。
逆に言えば、生徒を思い通りに動かすことができなければ、指導力がない教師ということになります。
ただ、若いがゆえに、情熱のあることが多く、年齢も近いことから、生徒には魅力になることがあります。
それを自分の力だ勘違いして尊大になると、少し年齢が上がってくると、やがて行き詰ってしまいます。
しかし、そもそも人を自分の思うように動かそうとするなんてことはできません。生徒を変えようなんてことは、どだい無理なのです。
自分が相手の言いなりになれと言われたら、どれほどイヤなことか。生徒も同じです。
「よい教師」とは、生徒を変えようとするのではなく、生徒が変わるように支えていく(サポートしていく)人です。
子どもの可能性を信じて、子どもの成長の可能性を信じてかかわりを続けるという肯定的な人間観をもっている人こそが教師であるべきです。
本来、どんな生徒も、心の底では「変わりたい」「成長したい」という願いをもっています。
もちろん、素直になるのが難しく、本当の気持ちを打ち明けない生徒もいます。
でも、少なくとも、その生徒を変えようとはせず、未熟な存在としてあるがままのその子を受け入れることはできます。
どうしようもない(と感じている)自分を認めてくれる人がいることで、自分を変えようとその子は思うようになります。
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