学校教育の中で平和教育を実践するのは、おそらく第二次世界大戦後からです。
教え子を戦場に送ってしまったという教師の深い反省にもとづき始まったものです。
戦争体験者から児童生徒が聞きとりをしたり、平和学習の映画を見たりして、学習します。
さらに、修学旅行で広島、長崎、沖縄、または鹿児島の知覧などへ行き、平和の尊さを学びます。
ところで、「平和」とは戦争のない状態かというと、そうとも言えません。
戦争がなくても、人びとが安全に安心に日々を暮らす状況が脅かされるとすれば、それはもはや平和とは言えないでしょう。
つまり、平和とは人が人間らしく生きることができる状態と定義づけができると思います。
要するに、生存権が保たれているのが平和なのです。
ウクライナ戦禍から生き延びた人を手厚く保護することから、しきりに「人道」という言葉が使われるようになりました。
戦禍をのがれ避難してきた人に手を差し伸べるのは人道上の責務です。
そこには、日本人・外国人の区別はありません。
和歌山県串本沖で、1890年トルコの軍艦エルトゥールル号が台風に遭遇して流されて、岩礁に衝突しました。
串本沖の大島の人びとは、見ず知らずのトルコ人であっても、不眠不休で生存者の救助、手当て、また亡くなった人の遺体捜索、引き上げにあたりました。
生き残った人たちは、無事に帰国できました。
その恩をトルコ政府、トルコの人たちはけっして忘れていません。
ですから、トルコと日本は今も友好関係にあります。
このように、人道とは人間として歩む道であり、人間の命にかかわるときに、「助けたい」という思いに貫かれた安全保障に通じる通念です。
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