さわたしの教え子で営業の仕事に就いている40歳過ぎの人が言っていました。
「先生、この仕事について最近わかったことがあります。」
「営業という仕事は、お客さまにたくさん話しても売れることはないということです。」
「たくさん話すときは、そちらに自分の気が行っていて、いかにうまくセールストークができるかで、自分に無理をしているのです。」
「そこで、無理するのをやめました。するとなにか余裕のようなものができるんですよね。」
「不思議なことに、その余裕で相手に目が向くようになりました。」
「そして、相手の表情や言葉に集中するようになりました」
そのようにして、彼は営業成績を伸ばしていったそうです。
わたしはなるほどと思いました。
教師が生徒と一対一で面談するときも同じではないかと考えました。
とにかく、「自分は教師だから、指導しなくては」と思う人が多く、とかく話し過ぎます。
そうなると、関心は生徒ではなく自分を向くのです。
そして余裕のない教師は、生徒の表情の変化に気がつかず、生徒の発する言葉な意味に無頓着になります。
結果的に一定時間面談をしたとしても、その時間のほとんどを教師が話していたということになるのです。
生徒の側からすれば、ほとんど先生が話していたと受けとるのです。
心得た教師は、生徒からの話を引き出します。
そうすると、自分のことを話せたという実感が生徒に残り、話すことで自分が気づいてなかった気持ちに気がついたりします。
また、自分の中で言葉にして相手に伝えたことで、その子の気持ちが固まり、どうしていくかという方向性まで定まることもあります。
とくに思春期の生徒と面談するときは、教師が話し過ぎないことが大切です。
この点で、教職は対人関係の専門職であると言えます。
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