世の中に仕事はたくさんあれども、今の時代でさえ、男性・女性に対等に開かれた仕事はそれほど多くはないのではないのでしょうか。
女性議員、女性社長、女医、女芸人など、あえて「女性〜」、「女〜」を付けて呼ぶのは、その仕事が「男性・男の」仕事(することが多い仕事、するべき仕事)というニュアンスをもって話されるからです。
人によっては「一般的に男の」という意味で使うこともあるでしょう。
そうではなく、「男がするべき仕事」というジェンダーバイアスがかかった意識で話す人もいるでしょう。
この固定的な意識は、根強く日本の社会に残っています。
学校の校長も、女性の場合は、たんに「校長」とも言いますが、「この学校は、女性校長の学校です」とか「今度着任した校長は女性だ」と言われます。
女の人で務める人の数が少ない仕事の場合、意識が変わりにくい原因になっていると思われます。
いかにうまく女性として立ち回れるかに価値を置き公言する男性もいます。
なかなか、女性解放の道は険しいですが、学校でいえばわたしが教師になった頃と、いまの学校では、大きく男女対等の道は開かれてきました。
男子が先に来る男女別名簿は男女混合名簿にかわって久しいですし、男女共習の技術科・家庭科も定着しています。
小学生のランドセルの色も、女子は赤・男子は黒から、いまはいろいろな色のランドセルを背負う子が増えました。
けっこう男女対等の意識や考えをもった子が増えてきているのいうのが学校の現場の感覚です。
その生徒たちが社会に出たとき、意識を高くもってジェンダーの波に飲み込まれていかないよう、学校で対等な男女関係を学ぶ学習と社会の人びとの感覚是正と意識の高まりを期待したいです。
私の父方叔母が、北九州市で(確か女性初の)校長先生でした。
かなり出世を意識しつつ、相当な努力してなったと聞いています。
戦前は旧帝大は男性しか行けなかったそうで、
その名残か?
父親の入学時に女性が法学部に3人しかいなかったとか〜
しかも、その3人が3人共に親が裁判官!か弁護士!
しかも、頑張って国立大学の法学部を出ても、当時,女性は就職がなかったそうです。
親の法律事務所を手伝っても、お客さんがお茶汲みにしか見なかったとかで〜
ルース・ベイダー・ギンズバーグの例をとっても、
社会や人の構造&意識の改革は難しいですね。
私としては、
仕事や役割は、男性女性よりも個人的な向き不向きが大きいと思います〜