大阪府では、全国に先駆けて障害のある子が支援学級に在籍しながらも、可能なかぎり普通学級でともに過ごす教育を進めてきたという歴史があります。
障害のある子とない子がともに生活することで、お互いが成長していく。
その教育実践が教育関係者の間で紹介され、普遍的な取り組みとなっています。
これを「ともに学び、ともに育つ教育」といい、大阪府教育委員会も推進してきました。
世界的にはインクルーシブ教育が普及し、推進されて、世界の潮流は障害があろうとなかろうと、「いっしょに」が人びとのなかで合意されています。
国連もこの共生の方針を進めています。
ところが、日本国内では文科省が今年4月に出した通知が、その方針に逆行するものとして、学校現場や保護者の間で波紋を呼んでいます。
通知の内容は、特別支援学級に在籍する児童生徒は授業時数の半分以上を支援学級で学習することを求める内容でした。
ずっと以前の日本では障害のある子は学校に通えないという時代がありました。「就学猶予」という制度で、公教育から障害児は実質的にはじきだされていたのでした。
それを改め、いっしょに通えるように年月をかけて制度が変わってきたのです。
ところが、今回の通知は共生社会の実現をめざす世界の流れとはなじまないものです。
国連の人権委員会は、この日本のやり方はインクルーシブ教育とは相いれないものであり、改善するように勧告しています。
日本という国は、ほかの件でも国連から勧告をうけています。
入管施設での外国人への対応を改めなさい。
核兵器禁止条約に署名を求めます。
女性への暴力を根絶しなさい。
他にも、たくさんの勧告を受けています。
でも、日本はその勧告を聞き流し、法や制度の整備改善を進めようとしないのです。
日本は、客観的に見ても、人権尊重では世界の後進国です。
障害者問題に関していえば、教育からはじきだされた当事者の「高校へ通いたい」という声を受けて、学校現場が順高生の制度を要求実現してきました。(大阪府立柴島高校・松原高校)
それを制度化して高校進学の道を開き、障害のある児童生徒も府立高校は進学する道が開かれてきたのです。
私立高校も可能な限り、障害のある生徒の受け入れに応じてきました。
たとえば、「車いすの生徒だから教室の階をこえての移動はムリだね」ではないのです。「耳が聞こえにくいから、高校の授業では対応できません。」
だから入試を受けることはできませんとはならないように取り組みが進んできました。
社会では、車いすでも駅を使い、電車に乗れるように、バリアフリーを整備してきています。耳が聞こえにくい人には、手話や音声を文字に変換するアプリが開発されています。
その経過を知って、共生の教育を志向するのが大阪の教師であり、学校でなければなりません。
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