
教育者にとって「指導」とは、簡単なことではありません。
指導するとなると、子どもを望ましい方向に成長させるという使命がついてまわります。
子どものよくない行いは矯正しなければなりません。
子どもの学力向上のためには、知識や技能を教えなければなりません。
まちがったことを子どもがしたときには、注意しなければなりません。
したがって、保育や教育にはどうしても、教育者の意識には、「〜しなければいけない」という義務感が伴います。
それが行き過ぎると、大人の思い通りに子どもにさせることを至上主義にしてしまうことも少なくありません。
しかしながら、子どもには子どもらしい「やりたいこと」があります。
それを感じることが、教育者にとってはいちばん大切なのですが、多忙さも手伝い、それを感じとる感性がさびつきやすいのです。
これがエスカレートすると、近年現場で起こる不適切保育・教育につながるのです。
教育者としては、子どもを今という時代を共に生きる人として捉えるべきではないでしょうが。
子どもが何に興味関心があるか。何が心地よいのか。
子どもの心情をみつめてわかってくれる大人がいてくれると、子どもは安心して生活できると思います。
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