箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

近くにありて、ふるさとを想う

2024年03月16日 06時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは生まれてから現在まで、ずっと大阪北部の同じ地域に住んでいます。

一度も引越しをしたことがありません。

いまの住居も一度は建て替えをしましたが、ずっと同じ番地に住んでいるのです。

つまり、今住んでいる地域が、わたしのふるさとです。

しかし、長く生きている間に、まわりの風景はだいぶ変わりました。

子どもの頃は、庭に出ると家の前には、大きな山の景色が開けていました。

一度、小学生のとき地域で夜に民家の火事がありました。

祖父が「火事や!」と叫んだので、すぐに外へ出ました。

すると、谷を挟んで300メートルほど離れた火事でしたが、なんとうちの家の前にそびえたつ山は、真っ赤な山になっていました。

火事の炎が山で反射して映っていたのです。

いまでも、その恐ろしい光景ははっきりと思い出します。

でも、今はその山が少し削られ、国道が通り、車やダンプがよく通ります。それとともに空気も汚れてきました。

子どもの頃の夜空は、空気が澄んでいて、まさに満点の星が見えました。

夏には、蛍がたくさん家の周りを飛んでいまし

その蛍の光を眺めながら、眠りにつきました。

でも、今は、最近でこそ少しは蛍を見ることができますが、子どもの頃に比べると格段に少なくなりました。

昔は、人の前にふつう姿を現すことがなかった鹿をしょっちゅう見かけます。

時間の経過が、自分を追い越していくようで、淋しくなります。

時代というものは、刻々と変化していくもので、ふるさともまたかつての面影をかき消すように変わっていくのです。

と、わかってはいるのですが、感傷的になるのは、ふるさとの風景が変わり、わたしの思い出だけが残り、行き場を失っているからかもしれません。

日本社会は成長期を終え、停滞期に入っているとも考えられますが、わたしは成熟期に入ったと思いたいです。

爛熟期に入ったと考えてもいいでしょう。その時期に入り、失われていくものに寄せる想い。

それは、変わっていくふるさとに対する大人たちの哀歌のようです。










友情の花 フリージア

2024年03月15日 07時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ


卒業シーズンのいまの時期、花束がよく出ます。

その頃、スイトピーやバラと合わせて花束の中に仕込まれる花がフリージアです。

甘く、フレッシュな香りがします。

この花の発見場所の起源は、南アフリカです。

花言葉は、友情とか感謝です。

ですから、卒業シーズンに似つかわしい花になるのです。

厳しい寒さには苦手な花で、日本では暖かい八丈島でよく栽培されます。


栽培する場合は春に咲き終わると、しおれた花を根元から切り取ります。

夏の初めに葉が黄色くなると、土から球根を掘り出し、日陰に保管して、秋になると植え付けます。

そうすると、卒業シーズンにはきれいな花が咲きます。


マルはつけません

2024年03月13日 07時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
若い人のSNSのメッセージや書き込みには、文末に⚪︎(マル、句点)をつけません。

ところが、年配の人は多くの人が⚪︎をつけます。

わかりました。

ありがとうございます。

待っています。

これを見た今の若い人は、文末が冷たいとか、なんか威圧的と感じることが多いようです。 

わたしは、ラインでも文末に⚪︎をつけます。

これからは、若い人とのやりとりでは、⚪︎をつけないようにしょうと思います。


若い人たちが⚪︎をつけないのは、スピード感を重視するからかもしれません。

若者が楽しむのは会話のキャッチボールやスピード感であり、句点を使われるとやりとりが切られてしまうような印象を受けるからかもしれません。
















確かな踏み応えで進む

2024年03月12日 06時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は娘が小さい頃、公園へ連れて行き、自転車に乗る練習につきあいました。

思えば、自転車に乗るのはけっこう難しい技術が要求されると思います。

細いタイヤのわずか二点が地面と接するだけで、バランスをとって乗るのです。

少しバランスを崩すと、横に倒れます。

そして何度も練習して、ゆっくりと走ればフラフラして安定せず、速く走ると安定するのです。

その感覚を娘は一度覚えると、好きなように、思うままに乗れるようになりました。

そして、自転車をこぐ爽快感を味わい、公園を楽しそうに走っていました。


年度末が近づき、4月からは新しい生活を始める人もいるでしょう。

たとえ目の前に坂が立ちはだかっても、自分が進む道ならば、力強く進んでいきたいです。

体重をかけて、たしかに、しっかりとひたむきにペダルを踏みます。

その態度が、自分の着実な成長につながると信じて。




富士山はそびえ立つ

2024年03月11日 10時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ダイヤモンド富士は、富士山の山頂に太陽が重なる景色で、その瞬間にはダイヤモンドのようにキラキラと輝きます。

曇りの日でも、また趣があります。

雪をかぶった富士山も素晴らしいです。

雨の日には、見えませんが、富士山はどしっとして同じ場所にあり、そびえ立っています。


中村天風さんが詠んだ富士山にかかわる言葉があります。

晴れてよし、曇ってもよし 富士の山 同じ山に違わざりけり



珠州の製塩

2024年03月10日 09時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
珠州市には製塩所があります。






その製塩法は「揚げ浜式」といわれ、伝統的な作り方で500年以上続いています。

海から海水を汲み上げ、塩田の砂浜に均等にまきます。






それを天日干しして、塩分を含んだ砂を集めます。

それに、さらに海水を注ぎ、凝縮した「かん水」を釜に入れ煮込み、水分を飛ばすと塩ができると、現地の人に聞きました。

ここの塩は人工的でないというよさがあり、天然のうまみが散りばめられています。そしてほのかな甘さもある味をしていて、観光客にも好評で、お土産に買って帰る人も多くいます。

製塩所はパイプを海岸まで伸ばして、塩田まで海水をひいていましたが、今回の地震で海岸が隆起して海岸が遠くなり、パイプが届かなくなったと聞きます。






また、かん水をためておくタンクのパイプも地震で損傷しました。

それでもかろうじて、タンクの中にはかん水が入っていたので、それを使い塩作りを再開した会社があるのです。

珠州の塩作りが、たくましく復興していくのを願います。



出産と子育ては人生のリスクとなる社会

2024年03月09日 09時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の若い世代を束ねて、結婚や子育てについては、こういう意識になっていると断じることはできません。

人は、それぞれだからです。

ただし、今の日本での少子化の進行は、若い世代のの人びとにとって、出産や子育てはある意味でのリスクとなっていると言えるでしょう。

少子化のもっとも大きな要因は、結婚しない人が増えていることです。

結婚するかどうかは、個人の自由です。

でも、結婚したくても、経済的な理由で結婚がかなわない状況は改善しなければなりません。

最初の仕事が非正規だった女性は、正規だった人と比較して、配偶者、子どもをもつ割合が低くなります。

また、男性の場合は、非正規労働の人の結婚度合いは、正規労働の人のおよそ3分の1程度になります。

また、結婚しても、共働きは当然で、出産後も働き続けたいと考える人は多くなっています。

そうなると、出産すると、自分のキャリア形成に影響が出るというリスクがあるので、出産を望まなくなります。

女性がそう思うのは、育休を取るのはほとんどが女性であり、男性の取得率は以前として低迷しているという現実をふまえるからです。

経済的な理由で、出産や子育てがリスクになりかねない社会は発展しないでしょう。







ゴールにたどり着く地図

2024年03月08日 06時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人生は地図にたとえることができます。

終着点(ゴール)は、決まっています。

でも、そこへ行き着くまでには、山を登ってもいいし、小川沿いに歩いていこうが、平原を歩いて行こうが、構わないのです。

1人ひとり描く地図は異なっています。

つまり、1人ひとりがひとりぼっちで地図のうえを孤独の道を歩むのです。

道といえぼ、日本では、華道、茶道、剣道のように、きわめるものを「道」にたとえます。

道に例えるがゆえに、どこまで進んだかを気にする傾向が強くなります。

すると、他人と比べがちになります。立ち止まれば遅れてしまうという意識がはたらきます。

しかし、1人ひとりの地図が違っていれば、焦ることも比べることも関係ないのです。

それが「孤独」というもので、淋しいものではないのです。

そう達観して自分が目標を目指すことが、孤独です。







「わからない」からこそ

2024年03月07日 07時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「多様性」や「多様性尊重」という呼びかけが、今の時代のトレンドのように使われています。

しかし、多様性は異なった価値観や異質なものと共存することであり、それは本来、誤解を恐れずにいうならば、相手のことが「わからない」ので居心地はよくないものです。

そこで、一定の我慢をすることが要求されるものであるとわたしは考えます。

それなのに、多様性社会をユートピアのようにたたえるものだから、「お互いにかかわらずにいましょう。わたしたちはわたしたちで、あなたたちはあなたたちで、別々に」。

そのように、かかわりあわず、それぞれが別々に併存しているのが多様性であると曲解されているのです。

そうではなく、ほんとうの多様性とは、ちがう価値観に触れ、自分を変革していくからこそ、すばらしい概念なのです。

自分が変わることは、自分を縛っている慣習やならわし、しきたりなどの価値観から解放されることになります。

そうなったとき、「わからなさ」とつきあっていくことができるようになり、本当の意味での多様性尊重が生まれるのだと思います。





人の幸せはコミュニティの中にある

2024年03月06日 08時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


人はお金があれば幸せに暮らせるのでしょうか。

地方の地域には、都会のような経済的な豊かさや便利さはないかもしれません。

でも、別の価値観があります。それは土地への愛着とお互いに関わりあう人間関係です。

わたしも大阪府の山間部の山あいの地域で暮らしています。

でも、わたしは自覚しています。

わたしの幸せはコミュニティや家族の中にあります。自分一人では幸せになれないのです。


福島原発事故で、放射能で汚染され、いまも帰ることができない地域(帰宅困難地域)になっている福島県浪江(なみえ)地区。


「補償を十分すればいいじゃないか」

と思う人は世間にいるでしょう。


でも、人の幸せは浪江というコミュニティでともに暮らす中にあるのだという価値観を知っておきたいのです。



存在していることに価値がある

2024年03月04日 10時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ


10代の子どもたちには、「好きなことを見つけなさい」とか「夢をもち、その実現にがんばりなさい」と、おとなは言います。

でも、そのおとなたちは、好きなことを仕事にしているのでしょうか。

一生をかけてやりたいことや夢はなくても、人は生きていけます。

生きていること自体、存在していることが素晴らしく、価値のあることなのです。

夢を求めて生きることができる人は、それでOKです。

しかし、すべての人がそういう生き方ができるのではなく、社会の理不尽な現実に直面したとき、「自分はダメなんだ」と自信を喪失します。

考えてみれば、いまの10代の子の保護者は、就職期が2000年代だった人たちです。

就職超氷河期であり、時代は勝ち組、負け組という言葉が生まれ、負け組は自己責任という考えが言われ出しました。

自分の努力が足りなかったとか能力がないと思わされてきた世代が子育てをしている場合も少なくはないでしょう。

そうなると、その子どもたちも自己責任、自己否定の連鎖にはまっているとも考えられます。

しかし、繰り返しになりますが、かりに社会の理不尽にでくわしても、生きているだけで価値があるのです。

人間の尊厳は、夢がなくても、やりたいことについていなくても、そんなことで価値がなくなるものではありません。










その地の文化は食にあり

2024年03月04日 05時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは中学生の修学旅行の下見や引率で、何度も沖縄を訪れました。

沖縄の文化を知るという意味では、「食」も欠かせません。

中学生も沖縄そばを食べて気に入り、大阪へ帰ってからも、沖縄料理店や物産展で手に入れた沖縄そばやソーキそばをよく食べます。


修学旅行で班別行動中の食事を自分たちで選んで食べられるようにすることがあります。


そのときには、ファーストフードの店に行ってしまう生徒たちが多いのです。


また、ホテルでもで「生徒が喜ぶから」ということで、ハンバーグやエビフライなどが出されることもあります。


でも、「食べる」ことも修学旅行での貴重な体験の一つであり、日頃よく食べるものより、その土地の郷土料理を食べるのがいいでしょう。


食べないと、わからないからです。



さて、「せっかく〇〇に来たのだから」と、地元の人が地元のグルメ・美味しい店を紹介するTV番組があります。


どこにでもある「まち中華」が取り上げられることもあります。


でも、その地方に行かなくては食べられない食材や料理が出てくることもあります。


「今度ここに行ったら食べてみよう」とチェックすることもあり、わたしは京都市のからしそばに関心をもち、実際に行きました。


満足できる味で、得をした気分になりました。



各地の郷土食の食材、調理法、保存方法などには、その土地の文化や風土が詰まっています。


食べること、つくってみること、そしてその背景を知ることで、訪れた土地の歴史や人々の生活が見えてくることもあります。



せっかく修学旅行でこの地に来たのだからという感覚で、その土地の食文化を楽しんでほしいと思います。










言葉にして表すこと

2024年03月03日 06時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
小中高の学習指導要領では、現行のものも、以前のものでも、授業の中での「言語活動」を重視しています。

授業で、子どもが言葉で発表すること、子ども同士が言葉を交わすことで、自分の感想や意見を表すのです。

言語活動はいまの私たちにとって、たいへん重要です。

SNSが普及一般化して、自分の考えや意見をきっちりと言葉にして表現しないまま、他の人の言論にふれることが多くなっています。

でも、本来は、自分が思っていることをちゃんと言葉にして、他の人に伝わったときに、はじてお互いの考えのちがいがわかるのです。

人の多様性が理解できるためには、言葉にしてちゃんと表現できることが欠かせないのです。

そして、debate(ディベート)のように、イエスかノー、白か黒かをぶつけ合う構造に陥るのはよくないのです。


それよりも、相手を思いながら、言葉により考え、意見・主張を交わし、ベストな道を選ぶ「グレーな部分をつくれる人」をどう増やしていくかが課題です。






運との巡り合い

2024年03月02日 06時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ
仕事をしていると、新しい仕事が舞い込んでくることがあります。

しかし、その仕事は自分には合わないと本人が思うことがあります。

そこで、その仕事を断るかどうかという選択が出てきます。

そのとき、思うのは引き受けるべきだと、わたしは思います。

なぜなら、運というものは真正面からは来ないことが多いのです。

斜めから、あるいは真後ろから来るのです。

「イヤです」という言葉には、運はついてこないですが、「イヤだけど、やってみようか」に運はついてくるのです。

わたしは教員で授業をしていましたが、教頭・校長を長い間勤めていたとき、学校運営や学校経営に力点を置くことになり、もう授業は持たないだろうと思っていました。

そのとき、「大学で教員志望の学生に授業をしないか」と言われた時、あまり気は向かなかったのですが、定年退職後に兼業でやり始めました。

そうすると、生徒に長年やってきた授業の感覚が蘇ってきて、自分がイキイキしているのを実感しました。

4月からは、大学生への講義に注力するよう切り替える予定です。

人への運は真正面からはやってこないので、縁だと思って引き受けることが大事なのだと思います。

きめつけといつ問題

2024年03月01日 08時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ

東京弁護士会が行なった調査では、過去5年の間に、警官から職務質問を受けた経験のある外国人は6割にのぼりました。


そのうち、2回以上の人は7割でした。


「外国人はあやしい


「犯罪を起こすのは外国人」


このようなきめつけ自体は問題ですが、きめつけに「治安を維持するために」という大義名分の公権力が絡んでくると、人の人格を脅かす行為が平然と行われることになります。



プロファイリング(profiling)とは、きまった集団の特徴を詳しく調べて、「こんな人たちである」と、そのプロフィールをつくるあげることです。

これが人種、民族、肌の色、宗教で集団を特定して、「この集団は、このような犯罪を犯す」と犯罪捜査の分野で用いられと、きめつけが起こり、レイシャルプロファイリングになります。

その捜査には、警察権力が介在するので、高圧的な事情聴取になることも、少なくありません。

近年、日本に住む外国人が増えてきて、レイシャル・プロファイリングにあたる職務質問や強制捜査への批判が高まっています。

ここまで読まれて、「でも外国人は犯罪を起こしやすいよ」と思う人がいるかもしれません。

たしかに、直近の報道では、ベトナム人グループや大阪のユニクロからたくさんの品物を万引きした事件が報じられました。


しかし、わたしが言っているのは、外国人すべてが犯罪を起こすわけではないということです。

真面目に、まっすぐに暮らしているは人が、疑われて、あやしまれて、警察から引き止められて時間を奪われ、心を傷つけられることが公権力により行われることは、重大な問題なのです。