先日、中秋節について調べていたところ、お月見についての興味深い事柄が載っていましたので、ご紹介したいと思います。
古くから旧暦8月(グレゴリオ暦(新暦)では9月ごろ)は、北半球では太陽と月の角度が観月に最も良い時節(明るい)である。この夜は、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めた(お月見料理)、豊作を祈る満月法会など。このことから芋名月とも言う地方もある。
十五夜は、日本では、1684年に、十三夜を満月に合わせた宣明暦を廃止して貞享暦に改め、毎月1日が新月になるように2日ずらしたため、満月が15日目の夜に当たるようになった。また、十五夜は、中国が始まりとされ、仲秋節として日本より盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったという。朝鮮にもこれは伝わり、チュソク(秋夕)とよび、ソンピョン(松餅)をつくる。大陸(中国、朝鮮)では、大きな年中行事になり、休暇をとり帰省する者も多いが、これは節句の名残であり月の風情を楽しむ日本の月見とは少々異なる。
十三夜は、日本では、862年から1683年まで822年もの長きにわたって続いた宣明暦に基づくもので、毎月13日目が満月に当たるように定められていたもの。なお、中国では、822年から892年まで使われていたもの。日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。
江戸時代の遊里では、1684年貞享暦元年以降、満月が15日の夜に変わっても、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
更に、地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たてまち-)、居待月(いまち-)、寝待月(ねまち-)、更待月(ふけまち-)、というのはこの名残である。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる(『広辞苑』より)、という口実を付けて月が昇る(大体、深夜二時ごろ)まで遊興にふけった。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは月に対する考えがヨーロッパと似ていたようだ。
なお、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では葉月十四日、十六日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
(百科事典調べ)
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