『マー君』が体調不良で三重大学病院に入院中、医師から初めて肝移植の話をされたのが・・マー君が22歳の頃、今は亡き父が四日市市民病院に入院していた時だったね
私は父の看病疲れもあり、迷っている間に、無事に三重大学病院を退院した『マー君』
それでも、その肝移植の話があってから十数年間は「何事も無く、マー君は元気に過ごせた」
普通に仕事に行き、休日には友人とアイドルの握手会に出かけたり、会食を楽しんでいた
その後(2021年1月下旬)に高熱が出て、三重大病院で様々な検査を受けさせられ「シンドイのに、検査であちこち移動して・・動くのがエライ」と言ってたね
その夜、入院したマー君は「人工透析1歩手前の体調だった」と主治医に告げられた!
そして、私は主治医に呼ばれて「いずれ(胃)癌になります!癌になってからでは遅いので、生体肝移植を考えてください」と言われた
(癌になると言われて、そんな体の次男=マー君に生体肝移植をせよと言うのか)
答えを出せないまま、2週間ほどでマー君は退院した
約1か月ほどの自宅療養後、本人の希望で会社に復帰したが・・約三ヶ月後の6月下旬、体調不良で再度入院
(息子が入院中、私も仕事終了後、毎日三重大病院に通って息子の着替えや飲み物を持参した)
そして、退院後、マー君は「8月初旬から仕事に復帰したい」と医師に相談した
仕事復帰後の8月下旬の定期健診で「血液検査で変な数値が出ている!血液内科の先生に診てもらうから、お母さんと共に2日後に病院に来てほしい」と肝臓内科の主治医に言われたマー君
2日後、私とマー君は血液内科の女性医師から「急性骨髄性白血病です」と地獄のような告知をされてしまった!
「何もしなければ1ヶ月、治療をすれば・・よく持って三ヶ月でしょう」と言われた
即、私は「生体肝移植は?」と尋ねたが「末期癌ですから無理です」と言われた
(末期癌!? つい半年前に肝臓内科の医師から生体肝移植を勧められたのに?)
(高熱や腎臓機能が落ちていたのは、当時すでに白血病を発症していたのではないの?)
いずれ癌になると分かっていながら、生体肝移植を勧めた医師の頭の中は・・?
『死は敗北ではない』『短くとも深く生きる』子どもホスピスの医師の言葉が蘇る
『何が何でも延命ではなく、病院から外に出て楽しいことを経験し笑顔で過ごす』
三重大病院へは週に2度の通院治療(自宅での療養&看病)と決めたので、友人達や大切な女友達との楽しい会食の時間を何回も持てたし、母(私)との外食グルメタイムも十数回(#^^#)
「早くて1ヶ月、よく持って三ヶ月」と告知されたマー君は「5ヶ月半も頑張った」
38歳10ヶ月だった
医師は「胆道閉鎖としては、長生きしたほうです」と言った