鈴鹿から三重大病院に行くために、国道23号線を津に向かって走っていた私ですが・・・
(23号線は、皆がスピードを出して走行していますし車間距離も取っていないようです)
突然に、パーン!という音と共に車体が揺れて、凄い衝撃を受けました!
「パンクしたのかな?」とハラハラドキドキして、ミラーで後方を見ると・・・
後ろを走っていた紺色系の車(女性が運転していました)が、急激にスピードを落としていきました
あっと言う間に、その車は小さくなって、その後方で渋滞しているのが分かりました
もうすぐ三重大だったので、三重大病院の駐車場に入ってから我が愛車の点検をしました
(その時に、直ぐに路肩に停めて点検を行わなかった私にも「危機管理が薄かった」と反省)
幸いにもパンクではなく、どこも異常なしで、帰路も普通に走れました
直ぐに、いつも車検などをしてもらっている自動車会社に立ち寄って話をしました
すると「追突された跡がありますよ、小さな傷と、ナンバープレートも左側が歪んでいます」
「後ろの車体も、少し左側が歪んでいますね、おかま掘られて逃げられましたね~」と!
あ~あ!むち打ちとかにならなかったのは幸いでしたが、もし、逃げた方が私のナンバーを見ていたのなら・・
名乗り出てほしいです~・・・と、言っても、逃げるような女性ですから「無理でしょうね」
今朝の血液検査で「特に問題は無かった」ということで・・退院が決まりました
肝機能や黄疸の値が正常値になったということではなく、常日頃の値まで下がったということです
次男は、来月の3日の外来診察日まで、おとなしく自宅療養となります
久しぶりに自宅に戻り、そして久しぶりの入浴で、落ち着いたような嬉しそうな様子でした
脂っこいものをひかえて、和食中心のメニューにしてほしいということでした ^^) _旦~~
次男の入院中に、PCやラインで、様々な相談事にのっていただいたり・・必要な情報を届けてくださった『胆道閉鎖症の子どもを守る会の元・岡山支部長さん(女性)』にも、凄く感謝しています
本当に「ありがとうございました」「これからも宜しくお願いします」
疎遠になっていた守る会に、最近、会費を払っていない私です(必ず郵便局で振り込みます!)
朝食 お粥・赤だし・シシャモ・蕪のコンソメ煮。・野菜ふりかけ・牛乳
昼食 お粥・クリームシチュー・コールスローサラダ・オレンジ・ふりかけ
夕食 お粥・白身魚の磯辺焼き・海鮮炒め・小松菜和え
朝食 お粥・大根とみつばの味噌汁・かぼちゃサラダ・鮭の塩焼き・ふりかけ・牛乳
昼食 お粥・梅だれ豚しゃぶ・蕪のあんかけ・胡瓜のしらす和え
夕食 お粥・鰆の味噌焼き・蓮根の煮物・レタスサラダ
朝食 お粥・茄子となめこの味噌汁・冷奴・小松菜の胡麻和え・海苔佃煮・牛乳
昼食 お粥・白身魚の甘酢あんかけ・さつまいもの煮物・ブロッコリーのピーナッツ和え
夕食 お粥・鶏のチーズ焼き・大豆の煮豆・白菜の土佐和え・パインアップル
次男へ届ける荷物を持って、私が三重大病院に出かけたのは「午後2時過ぎ」
到着したのは、たぶん「3時前」 荷物を渡して、次男の様子を見て、直ぐに帰路につきます
津から鈴鹿に向けて、23号線を走って・・・白子駅近くの踏切で遮断機が下りて停められました
踏切の左右には民家や竹林があり、少し見通しの悪い「こじんまりとした場所」です
先頭で停まっていた私は、ふと何気なく「もし、ひのとりが通過したら、次男は何事もなく安泰」
「違ったら・・普通列車や急行だったら、主治医の仰る通りに2年後に移植を考えることが起こる」
そう思いながら、こんな怖い賭けはやめよう!万一、ひのとりじゃなかったら、どうするつもり!?
思考がごちゃごちゃになっていた私の目の前を通過したのはまぎれもなく
ひのとり
でした
「えっ!!本当に!?凄い!!」
今朝、夏水仙の葉が伸びているのを見つけました
大阪の妹から「買った雑誌に、そちらの和菓子屋さんの記事が載っていたよ」と、ラインが!
度々訪れては、美味しいクリームたっぷりのシュークリームやケーキ、和菓子などを買っていました
地元の御店が、こうやって立派な雑誌に載って、紹介されることは「とても嬉しいことです」
私が共同調理室から初めて単独校の調理室に移動になった頃、6年生の最後の給食の『卒業祝いデザート』に、キクノヤさんのケーキを(先輩調理員さんが)頼んだことがありました
果物(メロンやイチゴなど)で飾った素晴らしいケーキを、損得勘定抜きで届けてくれました
「せっかく、雑誌で紹介されたのだから」と・・・
お店の人と(雑誌のことで)笑顔で雑談しながら、お気に入りの和菓子を買ってきました
今日の昼食から「お粥が出る」と、次男から私のスマホにラインが入っていました
昼食のメニューは『お粥・サラダ・切り干し大根の煮物・回鍋肉』
夕食は『お粥・ほうれん草のお浸し。サツマイモの煮物・鱈の和風胡麻マヨ焼き』
次男が、14日に急に体調が悪くなったので、翌日の月曜日に(私は絵手紙教室の日だったので、仕事休みです)マイカーで連れて行きました
様々な検査をして、直ぐに入院するように言われたのですが「(いつも月1の診察をしてくださっている医師が、水曜日担当なので)もう1度水曜日に来てから入院が必要か決めてもらおうか?」と言うことで、帰宅。
ですが!あまりにも状態が悪そうなので、大急ぎで再度三重大病院まで連れて行きました
「連れてきてもらって良かったです!」と言われ、即、次男は入院となりました
帰路の途中、私は涙が止まらなかったり・・ショックだったり・・落ち込んだり・・最悪の気持ち!
その夜は眠れなかったり、ウトウトしても悪夢で目が覚めたりして、朝を迎えました
でも、仕事は頑張らないといけないので、職場の皆に悟られないようにしました
毎日、仕事を終えてから、洗濯物やペットボトルの水を持参して病院まで通いました
次男は入院してから点滴をして、ずっと絶食が続いていましたが・・何とか週明けから「御粥を食べることができそうです」
本当に酷い状態でしたが、三重大病院の肝臓内科の先生たちに救ってもらえました
親として、本当に辛すぎる毎日でしたが・・私がオロオロしたり落ち込んだり泣いていたりしては、次男は良くなるはずがありません!
次男が乳児の頃に手術や治療で御世話になった東北大病院の教授さんたちは「案外、気に病まずに、あっけらかんとして天真爛漫(?)な母親の患児たちのほうが予後が良いんですよ」と仰っていました
2年後には「移植を考えなければならない?」そうですが・・まだ2年の年月があります
その頃には、もっと医学が発達しているかも知れません
生まれた時から、何度も何度も「辛いことや痛いこと、恐ろしい状態になったこと」を乗り越えてきた次男です
親の私も、シッカリと気を強く持って「負けるもんか!」と、平常心で日々を過ごしています