私が幼い頃、大晦日には、毎年のように雪が積もっていました
枕元に「母が用意してくれた新品の下着・靴下・洋服」を置いて眠りにつきました
私が幼い頃、大晦日には、毎年のように雪が積もっていました
枕元に「母が用意してくれた新品の下着・靴下・洋服」を置いて眠りにつきました
高校時代からの親友グループの1人から電話がありました
お互いに「口下手」の私達ですが、様々なことを話し続けました
「私達は、もう、親を失う年齢になったってことだよ」「娘としてやれることは、やったはず」
「いろんな処に、お母さんを連れて行ったりして・・尽くしたんだから・・お母さんも本望だよ」
「娘にとって、母親は偉大な存在なんだよね」「世の全ての娘にとって、母親は大事な人なんだよ」
数年に1度の寒波到来で、辺り一面雪景色! すっかり「雪の降る街」になってしまった
早朝=五時半出勤の三男のために、私は四時から車に積もった雪を払いました~
私の〇〇回目の誕生日 末っ子から、可愛い花の贈り物
ようやく気持ちも落ち着いて、涙を流すことも少なくなって、普段通りの日常が戻りつつあります
「全長100メートルもの長い長い雲! あまりにも長すぎて画面に1枚で収まらない!」
雪景色の鈴鹿山脈を撮ろうとしたYちゃん(前の職場仲間)が、ラインで送ってくれました
学生時代の純な頃の、損得勘定抜きの友情は「一生の宝」知り合ってから50年
美しい花と温かい心遣いを「ありがとう」 母も、きっと喜んでいるでしょう
二人の娘、六人の孫が涙を流して送った言葉が蘇ってきます
「お母さん!お父さんが迎えに来てくれているでしょう?」
「(母の両親の)政治郎さん、とくさんも迎えに来ているでしょう?怖くないよね」
「おばあちゃん!ありがとう!」「長い間、優しくしてくれてありがとう」
「寂しくないよね!おじいちゃんも、迎えに来てくれるよね」
幼い姪っ子たちが、愛おしそうに「小さな手で母の顏の周りを花で飾ってくれました」
先週の土曜日(4日)に、母の面会に行った際・・いつも通りに会話ができました
母は食欲も良くて、普通に話せていましたし・・状態は良いと思っていました
面会時間の10分を少しオーバーしていましたが、私が母の手を握ると母は笑顔に(#^^#)
そして、母は私に手を振りましたので、私は母の額や頭を何度も撫でました
6日に病院から(私のスマホに)電話が入り、容体が悪いので面会に来てくださいとのこと!
三男と共に急いで病院まで車を走らせました!
母は酸素マスクをして、ただ息をしている状態でしたが、何度も耳元で母に話しかけました
8日に次男の(三重大学病院での)診察や輸血が終わった後、母の面会に行きました
「お母さんの大好きな八朔が初めて実ったから、それを食べないと!頑張って食べてよ~」
「三月まで完熟させないで取ってくるから、千切ってきて母さんの枕元に置くから」
「こないだまで御飯も沢山食べていたでしょ?しっかり食べてよ」
母の耳元で、いっぱい話しかけると・・母は時々頷いたり、何かを飲み込むような仕草をしました
月曜日の面会時には冷たかった母の顏が、今日はとても温かかったので少し安心しました
帰宅してから、その夜の7時半頃、病院から「直ぐに来てください!」との電話が・・
大急ぎで、私独りで車を走らせました(三男は夜勤仕事でした)
8時5分に母の病室に駆けつけると、母は直ぐに遠くへと旅立ってしまいました
次男の病院に行く朝、出ていた虹を見上げた・・その日・・母は虹を渡って行ってしまいました
母の好きだった、我が家で初めて実った八朔と・・・
母が長年参って集めた御朱印帳2冊を、持って行ってもらいました
長女・次女、6人の孫、その配偶者、3人の曾孫に見送られて・・・