1歳上の従姉&私&妹(三人の孫)を、赤ちゃんの時から育ててくれた「お祖母ちゃん」
早朝の暗いうちから働いて、優しいけれど厳しかった「お祖母ちゃん」は、6人の子供を産み育てたそうです。
大切な長男と次男は、太平洋戦争中、異国のビルマで戦死しました。
召集令状が来て、次男は兵隊さんの格好をして(記念写真を撮って)ビルマへ行ってしまったそうです。
大阪で働いていた長男は、何度「帰って来い」と伝えても帰宅せずに、ギリギリまで大阪に居てビルマへ出兵したそうです。
自宅の梅の実が、たわわに実っていたのに!或る日、全部落果してしまい、祖父は「縁起でもないことだ」と不安に・・・
直後に、ビルマで戦死の知らせが届き、遺骨さえ戻ってはこなかったそうです!
気の強い祖母でさえ、当時の心情は計り知れるものではありません。
名古屋に嫁いだ長女、そして伯母ちゃん、三男、末っ子の母と続き・・今も健在なのは「伯母ちゃん&母」の二人だけです。
神戸中学の先生が、自宅に来て「息子(三男)さんは大変賢いので、上の学校に行かせてやってください」と言ってくださったそうですが・・・
稼ぎ頭の息子達の戦死や、家計も苦しかったので・・三男は夜間高校(四日市の工業高校)に通いながら働いたそうです。
でも、これからと言う時に、病気で亡くなってしまったそうです。
そうして(戦後)復興した日本は、多くの公害や汚染された食べ物などによって国民の健康を害してきました。
今は、目に見えない放射能で(日本中が)汚染されています!
日本の為?国民の生活を豊かにする為?4流国家から、1流国家になる為?
国民の命を軽視して、私利私欲の為だったとしたら・・何の為に母の兄達は、異国の地で散っていったの
何よりも不可解なのは、戦後に「アメリカの真似?」のようなことが流行ったことです。
社交ダンスや、当時の服装といい・・・アメリカナイズされた風潮に「信じられない思い!」です