六本木ヒルズ六六プラザの上から撮影した六本木通りとその上を走っている首都高速3号渋谷線の高架橋です。これから六本木七丁目界隈の住宅密集地の中を歩いて、「国立新美術館」へ向かいます。住宅街や繁華街としての性格が強い六本木地区において、六本木通り沿いはオフィス街としての雰囲気が強いです。
六本木通りは港区内を斜め上右方向へまっすぐ通っている大通りで、霞ヶ関からJR渋谷駅東口で国道246号線に合流しています。3号渋谷線は首都高速都心環状線の谷町ジャンクションから世田谷区の用賀料金所まで伸びている自動車専用道路です。3号渋谷線はその先で東名高速道路にそのままつながっているので、日本の大動脈の道路が六本木地区の中を通っているわけです。
麻布トンネル(ハリウッドトンネル)の上には再開発工事によって「六六プラザ」の巨大な人工地盤が構築されています。この人工地盤の感性によって、地下鉄六本木駅の地上出口(メトロハット)から森タワーのメインエントランスへ直接アプローチできるようになっています。また、人工地盤そのものが広場としての機能も持っています。
六本木通りは東京都心部から渋谷方向へ抜けることが出来る大通りなので非常に交通量が多いです。歩道にはビジネスマンの姿が多く見られました。
外苑東通りは六本木通りの脇で地上へと出てきます。そのまま「六本木六丁目交差点」を経て青山方面へ北上していきます。
六本木通りと外苑東通りが交差している「六本木六丁目交差点(通称「六六交差点」)」です。地下道を渡って青山側へ移動しました。これから再び外苑東通りを散策して国立新美術館へ向かいます。
六六交差点から外苑東通りを青山方面へ向かって散策していきます。大通りの周囲は六本木七丁目の中層マンションや住宅が密集していて、大変閑静な雰囲気です。再開発工事が行われる以前の六本木六丁目界隈もこのような雰囲気だったのかもしれません。
外苑東通りはこの先で「六本木トンネル」で在日米軍基地の敷地の下を通過していきます。このトンネルが完成する1993年(平成5年)以前は、外苑東通りは六本木側と南青山側で分断されていた状態だったのです。
外苑東通りの車道部分はこのまままっすぐにトンネルへと入っていきますが、歩道部分は下り階段となっていて崖下の住宅街の中を歩いていくことになります。
この辺りは六本木ヒルズのある「麻布台地」の丘陵地帯と、青山霊園が広がる「青山台地」の高台に囲まれた緩い谷間の底の部分や斜面に住宅や中層マンションが密集していて、道路なども非常に入り組んだルートになっています。
国立新美術館と同時期に東京大学生産技術研究所、同物性研究所跡地に建設された「政策研究大学院大学キャンパス」の脇の坂道を登っていくとこれから向かう「国立新美術館」の敷地と建物が見えてきます。
坂道を登っていくと、常に目の前には東京ミッドタウンの「ミッドタウン・タワー」の巨大な建物を見ながら歩いていくことになります。国立新美術館へ寄った後に東京ミッドタウン・檜町公園へ向かいます。
意外と急な坂道に沿って中層マンションや住宅街が密集しています。平日の昼間の時間帯ですと人通りはほとんどなく、閑静な住宅街といった雰囲気でした。港区内では斜面の上に住宅街が広がっているのが普通の光景なんですね。
政策研究大学院大学の敷地に沿ったカーブの先を抜けていくと・・・。
都市型のタワーマンションが林立していました。東京都心部でタワーマンションといえば隅田川や豊洲など湾岸エリアに多いイメージがありましたが、最近では都心の内陸部でも見かけるようになりました。
上り坂の緩いカーブをさらに曲がると正面の高台に「国立新美術館」の広大な敷地が広がっていました。元々日本陸軍の基地であり、戦後の東京大学生産技術研究所跡地にできた美術館なので、どうも交通アクセスが良くない立地なのは確かです。最寄駅である地下鉄千代田線乃木坂駅からだと歩道の狭い道路を歩かなければいけませんし。
地図の中心点が外苑東通りの六本木トンネルの入り口です。ここの階段を降りて国立新美術館へ向かいます。トンネルの上には在日米軍基地や青山公園の緑地帯が広がっていて、トンネルの東側(現在の政策研究大学院大学キャンパス・国立新美術館)はかつて東京大学生産技術研究所、同物性研究所の敷地となっていました。