緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の旧麻布区散策:テレビ朝日本社ビルと六本木ヒルズ毛利庭園

2012年10月08日 14時33分54秒 | 城南・港区全域


六本木ヒルズ敷地内にある緑地帯「毛利庭園」の中を散策していきます。平日の昼下がりの時間帯の毛利庭園、昼食のために出歩くビジネスマンの人たちで賑わっている六六プラザやテレビ朝日本社ビル周辺と比較すると、まるで時間が止まっているかのように閑散としていました。




六本木ヒルズアリーナの敷地から「毛利庭園」へと入っていきます。この庭園は無料で敷地内を散策することができ、六本木ヒルズを訪れる人や、近隣住民の方にとっての憩いの場としての緑地帯となっています。7:00から23:00の時間まで入園することができます。




日本の中心が畿内(京都・大坂周辺)であった江戸時代、東京(江戸)の江戸城周辺には全国の大名の屋敷が建てられていました。とりわけ江戸城の南側、「城南地区」と呼ばれている港区から品川区、目黒区の一部の傾らかで平坦な微高地が続いている地域には多くの大名屋敷が存在しました。ここ六本木ヒルズのある六本木地区には長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷がおかれていました。




毛利庭園は麻布台と呼ばれる斜面に造られていて、敷地の中央には池が掘られています。池を囲むように長さ160メートルの散策道が作られていて、斜面に形成された滝等、立体的な雰囲気の日本庭園を楽しむことができます。また敷地内にはモミジ、桜、イチョウ、クスノキなどの木々が植えられていて、四季の移り変わりによってその表情が変わります。




毛利庭園内から西側を見上げると、どこからでも「森タワー」を見上げることができます。




江戸時代の六本木六丁目地区は「麻布日ヶ窪」と呼ばれてて、慶安3年(1650年)に毛利元就の孫である秀元が甲斐守となり、この地にに上屋敷を設け、その大名屋敷の庭園として毛利庭園は造成されます。当時は六本木六丁目の高台から東京湾を眺めることができたと言われていました。




毛利庭園の敷地の大部分を占めている「毛利池」、六六プラザのある斜面から流れてくる滝の水が流れ込んでいます。この池の真下の地中には、かつてこの場所がニッカウヰスキーの工場であった時代の「ニッカ池」と呼ばれていた池が保存されています。池の背後には「六六プラザ」の巨大な人工地盤の構造物が見えます。




毛利庭園とテレビ朝日本社ビルの敷地の境界は、養生中の芝生広場として整備されています。夕方や夜のテレビ朝日のニュースなどで、この毛利庭園から中継されることが多いですね。




散策道から振り返って六本木ヒルズアリーナの方向を撮影してみました。テレビ朝日本社ビルや映画館、住居区間である六本木ヒルズレジデンスの建物群に囲まれているのがわかります。




明治維新後には上屋敷は取り壊されて法律家・増島六一郎(中央大学の前身である英吉利法律学校の創立者の1人で初代校長)の邸宅になります。取り壊されたのは建物だけで、庭園自体はそのまま残されていました。第二次世界大戦の戦災に遭った後、1952年にニッカウヰスキーの工場、後に日本教育テレビ(NETテレビ)(後の全国朝日放送→テレビ朝日)の敷地となります。




また、日本で最初の美容室として知られるメイ牛山のハリウッドビューティサロンやハリウッド化粧品、ハリウッド美容専門学校の広大な敷地が戦前からありました。再開発以前の六本木六丁目の麻布トンネル(六本木通り)の真上にハリウッドの古い建物が建っていたことを今でも覚えています。




戦後のテレビ朝日周辺の六本木六丁目は住宅密集地だったこともあり道路が狭く、消防車が通行する事も困難な状況であったため、1990年(平成2年)に同局本社の移転も兼ねた再開発計画地域に指定されます。愛称で「六六(ろくろく)」と呼ばれているのも六本木六丁目が由来となっています。




再開発工事は1984年(昭和59年)にアークヒルズ完成に伴いテレビ朝日の本社が一時移転します。権利変換により森ビルが地権者となり、ここを中心にアークヒルズに続く大規模な都市再開発計画が同社内でスタートしました。しかし再開発工事を行うには、約500世帯の住民の立ち退きが必要不可欠であり、粘り強い交渉が長い間続けられていました。




全面ガラス張り構造となっている「テレビ朝日本社ビル」です。六本木六丁目の再開発工事に伴って1986年(昭和61年)にアークヒルズに本社機能が移転した後、六本木ヒルズが竣工した2003年(平成15年)に再び登記上の本社がここ六本木六丁目に戻ってきました。




2003年4月22日、六本木ヒルズのオープニングーセレモニーが行なわれました。出席した当時の小泉純一郎首相は「この東京の新たな街づくりに極めて刺激的、魅力的な六本木ヒルズが誕生したという、この誕生に立ち会うことができたのは幸運だと思います」と祝賀挨拶しました。あれから9年経ち、六本木の街のイメージは大きく変わったと思います。




現在の「毛利池」はニッカウイスキー東京工場時代まであった毛利庭園の旧池の上に土を盛って造成されています。

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