
両陛下がお住まいの皇居から東へ数百メートルほど離れた場所にある東京駅は、「天皇の駅」という構想から造られました。東京駅が出来る以前の官営東海道本線の東京側の起点駅は、現在の新橋駅でした。

1890年(明治23年)9月に官営東海道本線の延伸工事を実施することが決定され、新橋駅と上野駅の間を高架橋で結び、途中に「東京中央停車場」が建設されます。それが現在の東京駅であり、当時の東京駅周辺は広大な荒れ地が広がっている状態でした。

両翼に乗車口・降車口を、中央に皇室口を配する基本はそのままに、これらをつなぐ中間の部分を総3階建て構造とし、これにより水平線が通って建物のまとまり感が生み出されまています。

皇室専用貴賓出入り口をズームで撮影しました。中央部の皇室口の中には玄関広間、広間の両側に2か所の待合室、休憩室、また階段の上にも待合室が設けられています。

新橋駅から上野駅までの高架橋や中央停車場駅施設の設計には、ドイツ人の技術師であるフランツ・バルツァー氏が関わっています。バルツァー氏は駅舎や線路の設計のみならず、東京の鉄道網のグランドデザインを行った人物でもあるのです。

1891年(明治32年)に来日し、勅任官待遇で逓信省鉄道作業局(当時の国有鉄道網を管轄する役所)の技術顧問に就任したバルツァー氏は中央停車場駅舎の設計案も作ったのですが、当時の日本人には受け付けず、結果的に日本人設計者である辰野金吾が設計を担当することになります。

8年間に及ぶ設計作業の過程で、第1案、第2案、第3案の設計案が考案されましたが、第3案に微修正を加えたものが「最終案」として完成し、1910年(明治43年)12月には中央停車場の設計作業が最終的に完了しました。

設計された駅舎は鉄骨煉瓦造のもので、荷重を煉瓦の壁面だけではなく鉄骨を組んだ柱や梁で支える構造になっています。地上3階(一部4階)・地下2階建てで最高高さは約46.1メートルとなっています。

駅舎は中央部に皇室専用貴賓出入り口がスロープと共に設けられていて、一般乗客は丸の内北口と南口を利用することになります。

丸の内北口へ向かいます。駅舎周辺は現在でも多くの見物客の人たちで賑わっていました。

丸の内オアゾの高層ビル群を見上げて撮影しました。この場所にはかつての日本国有鉄道本社、1987年4月の民営化後はJR東日本本社ビルが建っていたのですが、その後新宿駅南口へ移転し、跡地の再開発工事が始まりました。2004年に現在の丸の内オアゾが開業しています。

丸の内北口の北ドームをズームで撮影しました。ちょうど太陽の午後の光が綺麗に当たって、赤レンガ壁が光り輝いていました。南北両ドーム屋根は1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で攻撃を受けて大破炎上しています。

その後応急処置が施されて約60年間そのままにされていたのですが、2007年から復原工事が始まり、去年2012年10月1日の鉄道の日に開業しました。

丸の内北口内を散策していきます。復原工事の完成に合わせて、丸の内駅舎内の内装や設備なども全面的に新しくなっています。

去年10月の開業以降は、多くの見物客の人たちがこのドーム内から上を見上げて撮影したりしていたのですが、最近はその姿もあまり見かけなくなりました。

大正時代の姿に復元された丸の内駅舎のドーム屋根内部を見上げて撮影しました。壁には細やかな彫刻が施されていて、方角に合わせて干支(えと)のレリーフが取り付けられています。

去年10月の復原工事完成当時は大混雑でドーム屋根内部をじっくりと観察することは難しかったのですが、現在はそれが可能です。