今日は、日本ガーデンデザイナーズ協会主催のシンポジウム「植治の庭」に行ってきました。
植治(小川治兵衛)さんというのは、明治維新後に活躍された、近代日本庭園の先駆者となった偉大な作庭家です。大変おおらかな作風で、私も憧れています。
学校でその庭の構成について学んだこともあったのですが、今日はさらにその時代背景についてもたくさん面白い話を聴くことができました。中でも、特に印象に残ったのが、「なぜ、京都風なるものが存在するのか」つまり、なぜ、京都はここまで景観の様式が統一されているのか、というものでした。
うまく伝わらないかもしれませんが要約すると、京都の様々なデザインや景観は、ひとりひとりの個人の営みの結果あのような街並になったのでは決してなく、ひとえに「ある一つの行事」の為、つまり、東京に行ってしまった天皇が、即位の大礼という行事のために戻ってくる、それに伴い戻ってくるであろう当時の皇族、貴族、官僚達を迎えるべく大々的に街を整備した結果なのだ、というものでした。
植治さんの庭のある邸宅は、ほとんどがそういった方々の宿舎の候補であったそうです。
「まちなみづくり」の手本として京都を捉えていた私にとっては、これは非常に目からウロコなものでした。ウツクシイマチナミへの道のりはまだまだ遠そう…。
薄曇り~夜は雨。やっと温度計を見つけました!明日から計測できる!!!(*^0^*)/
植治(小川治兵衛)さんというのは、明治維新後に活躍された、近代日本庭園の先駆者となった偉大な作庭家です。大変おおらかな作風で、私も憧れています。
学校でその庭の構成について学んだこともあったのですが、今日はさらにその時代背景についてもたくさん面白い話を聴くことができました。中でも、特に印象に残ったのが、「なぜ、京都風なるものが存在するのか」つまり、なぜ、京都はここまで景観の様式が統一されているのか、というものでした。
うまく伝わらないかもしれませんが要約すると、京都の様々なデザインや景観は、ひとりひとりの個人の営みの結果あのような街並になったのでは決してなく、ひとえに「ある一つの行事」の為、つまり、東京に行ってしまった天皇が、即位の大礼という行事のために戻ってくる、それに伴い戻ってくるであろう当時の皇族、貴族、官僚達を迎えるべく大々的に街を整備した結果なのだ、というものでした。
植治さんの庭のある邸宅は、ほとんどがそういった方々の宿舎の候補であったそうです。
「まちなみづくり」の手本として京都を捉えていた私にとっては、これは非常に目からウロコなものでした。ウツクシイマチナミへの道のりはまだまだ遠そう…。
薄曇り~夜は雨。やっと温度計を見つけました!明日から計測できる!!!(*^0^*)/