さ~あ、いよいよ梅雨明けでしょうか???ど~しますう~?あっついですよお~~~。や~ね~。お肌は焼けるわ頭はくらくらするわ、やってられね~っす…。なんて、言ってる訳にも行かないし。
まあでも、みなさま、ほどほどに、くれぐれも、ほどほどに、お過ごしくださいませね。こんなときには、今年も作ろうシソジュース!!!赤シソの葉っぱを煮出して砂糖を入れて、最後にクエン酸を一振り!どうでしょう!あっという間に鮮やかなピンク。自然のものとは思われぬこの美しい発色!夏はやっぱりこれですね!
さて、疲れて動けない~~~といいながらも、つい手に取ってしまった本をごろ寝読み。こ~れがまたなかなか。一気読みしてしまいました。
福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書、2007年。
「生命とは何か?」あるいは、何をもって生命と呼ぶのか?という問題提起から始まるこの本は、ずいぶん科学系読み物にご無沙汰していた庭主にもとても分かりやすく、刺激的なものでした。
すごくがんばって庭主なりに要約してみると…。
今ここに存在しているわたしという生命体は、どっしりとここに座っているように見えるけれど、原子レベルで言えば(細胞レベルではない)、体を形作っているありとあらゆる原子はいかなる瞬間も絶えず次々と入れ替わっており、われわれはその残像を見ているようなものである…「わたし」とは、粒子一つ一つの集積というよりは、それらの粒子が絶えず入れ替わることにより描かれる「流れ」そのもののことである…ってとこかな? 例えて言えば、おそろしい枚数のセル画で組み合わされたアニメーション???。う~、ちょっとはずしたかな。
ここに来るまでにDNAやらウイルスやら、ずいぶん本当にいろいろおもしろいお話があるのですが。いずれにせよ、今日食べたご飯は、単純に28日周期でお肌を整えまたはお腹の脂肪となって蓄積されていると思いきや、思ってた以上にすごい勢いでわたくしの体の隅々で前任者の原子さんと置き換わっているのですね。ええ、心してご飯を食べたいと思います。ああ、生物のなんと美しいことよ。→そうだ。流れだ。いらないものは溜めちゃあいけない。エントロピーの為にもさっさと片付けようっと。
と、いつもよりちょっと変わった方向への読後感を残し、家のお掃除に取りかかった庭主でございました。
さて。7月。去年はそうそう、遠野へ行ったのよね~。今年の夏休みはどおかなあ、なんて、ふっと宮沢賢治をなつかしく開いてみますと。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
宮沢賢治 詩集「春と修羅」序文より
え、ええ~~~~~!?こ、これって。
もしかして、賢治、「生物と無生物のあいだ」、読んでたあ~~~???(な訳ない。)
と思ってもおかしくないほどの、この一致。だって、原子、明滅してるらしいですもん。だって有機が交流して因果応報なんだもん。(こらこら)。
ええ、ネタバレするから詳しく書きませんが。いや~、恐るべし、賢治。
じれったいな、と思った方、読んでみてください。庭主の要約はともあれ、風景がいつもとちょっと違って見えること、請け合いです。
☆今日のちび庭気温:21~29℃ 今晩は蒸し暑いですねえ。そろそろアイスノンの季節かな。(^^;)
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