「衣食足りて礼節を知る」という言葉が有る、消極的に言えば食うや食わずなのに人の事なんぞ構って居られるか!と言った事か(本来の趣旨とはかなり違うかも)しかし戦後世代からすると現在の生活に比べ当時はとても衣食が足りて居たとは言えない、しかし今よりずっと礼節を重んじて居たと思う、尤もあの状態では最低限の思いやりが無ければとても生き抜けなかった事もある、しかし今の人々を見る限りとても「礼節を知る」とは言えない感が有る、逆に十分に衣食足りた輩の方が礼節が無い、第一「礼節」と言う言葉自体知らないのではないかと思われる事が多い、礼儀と節度は日本人の育んで来た文化だ、世界で「勿体無い」と言う言葉が素晴らしいと言われたのは数年前だ、日本語以外にこの表現を的確に表す言葉は殆ど無いと言う、この言葉は節度に強く関連している、今多く使われている福祉とかボランティアと言う言葉に無い意味を感じるのは私だけだろうか、穿った考え方かもしれないが福祉と言う言葉には「お上が行う施し」と言う語感が有る、ボランティアと言う言葉の本当の意味を解って居ないのかもしれないが私が感じるのは「ボランティアをやって居るぞ」と言う歪んだ自己満足が垣間見えてしまう、仏教は日本から出た物ではないが日本語化したその言葉には独特の物が感じられる、慈悲と言う言葉は慈しみと悲しみと言う言葉の組み合わせだ、他人の不幸を身をもって悲しみ慈しむと言う事だろう、今で言う寄付と言う言葉にも無い意味で「喜捨」と言う言葉が有る、世に役立つなら喜んで捨てると言う様な意味だろう、有名人が声高に、或いはマスコミが「私は」或いは「A氏は」不幸の人達の為に多額の寄付をしたと言うのも少し前の日本人的には全く粋では無い、電車で、道で自分中心の行動を堂々と繰り返す日本人はやはり20年ほど前に発生した「新人類」がそのまま年を経ただけの感がして暗澹たる気分になる