梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

蚊燻と蚊帳

2012-07-29 14:57:12 | 雑記
2~3日気温が下がったと思ったら一昨日から又暑い日が続く、、
子供の頃は田舎の山奥だったので此れほど暑くは無かった気がするが田舎では家の構造がシンプルで障子を外すと殆ど東屋に畳敷きの様な状態になる、
その分蚊が半端では無いので寝る前は囲炉裏に火を焚いて生のススキや蓬などを乗せて猛烈な煙を出す、「蚊燻し」と言っていたが田舎だけなんだろうか?誰にも聞いたことも無いので分らないが当時は不思議でも何でもなく殆どの家は「蚊燻し」をやっていた、
寝る時は蚊帳を釣って寝るのだが上手く釣らないと蚊が中に入る事があるので蚊帳を釣る前には特に派手に燻して置いて蚊帳を釣る、8畳間だったが蚊帳は6畳用の物だった、
蚊帳に入るには畳に引き摺った部分を両手で持って勢い良く左右上下にパタパタと煽ってからすばやく入る、蚊が入らないくらい細かな簾で出来ているから風通しはそれ程良くないので結構暑く、寝るまではお袋が団扇で煽ってくれていた記憶が有る、
何時頃からかあの渦巻きの蚊取り線香が出始めると蚊帳は使わなくなった気がする、
日立時代は夏の記憶があまり無い、どちらかと言えば毎年数回雪が積もるのでそちらの記憶が多い、
アイスクリーム会社の借り上げアパートに住んでからは夏の暑かった記憶が多くなる、時代のせいではなく住んでいたアパートが西陽が強くそのせいである、特にトイレが2階に上がる狭い階段の中程に有って足元の小さな引き扉と立つと腰の直ぐ上位にある摺りガラスの窓が見事に西向きで2時過ぎから5時前までは地獄の暑さになる、
若気の至りと言うか馬鹿さと言うか寝苦しいからとのみ始めてそのまま明け方までと言う事もちょくちょく有った、胃液が逆流するほどの酷い二日酔でこのトイレに座り込んだ事が有ったが(若しかするとこのまま此処で死ぬんじゃないか)と思うほどの酷い気分だった。
20代の頃伊豆の菖蒲沢と言う小さな入り江に毎年通った、友人夫妻と必ず付いて来た金槌の友人でゴールデンウィークから潜る、友人の奥さんとその金槌が磯で焚き火をしてくれる、ゴールデンウィーク頃だと海に入る時は噛んだシュノーケルが細かくゆれて止まらない位水が冷たいのだがそれでも入る、
その頃はボンベを使わない、ウェットスーツを使わないで入っていると地の漁師も大抵大目に見てくれた、特に4月頃から入っていると「お前らも好きだなあ」と笑っている位だったので其れを1つの目安で潜っていたのだった、
その菖蒲沢で5月の前半だったと思うがスーツなしでシュノーケルも付けないで潜っていたが焚き火で暖を取っていたら入り江の入り口から少し中に入ったあたりから両手に伊勢海老を持って上がってきた、かなり良い形で「凄いですね、どの辺りにいるんですか」と聞いたら「10mで探せば結構居るよ」と言う事だったが手掴みでと言うのも凄いが当時の二人にはとても獲物を探せる棚ではなかった、必死で潜って底に触ったら直ぐ浮き上がるのが精一杯で「少し探せば結構居るよ」と言われても「そりゃ無理だ」と言う話で、「よし!今年は駄目でも来年は」と思って居たのだが結局翌年からは石廊崎の少し手前の「良子浜」と言うところに移動してしまった、
当時の良子浜は今の突堤が無く本当に信じられない位緑の美しい入り江で此処の近くで探した民宿「大和館」の女将さんは海女さんだったので「ヒレだけなら組合に話してあげるから」と言う事で安心して潜れるのと磯が遠浅で子供を遊ばせるのに良いと言う事で此処にその先5~6年通う事になる、
夏休みに行くともう獲物は殆ど居ないが多少アワビと蛸が採れた、姫サザエも取れたが数は余り無かった、とこぶしも居る。
蛸は自分の巣穴の廻りに獲った獲物の殻を撒き散らすので分りやすい、出てくるのを待ってモリで突き刺して獲る、毎回数匹は獲れた獲物は民宿で友人(飲屋の親父)がさばいて食べる、
菖蒲沢とは縁が遠くなったがその後通ってみたら菖蒲沢は観光開発されて入り口に駐車場とドライブイン的な店が出来ていた、