梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

鼻のシラノとおふくろと

2019-06-02 13:13:26 | 雑記
キンドルの無料書架を見ていたら「シラノドベルジュラック」が出ていたのでダウンしてみた、
かなり読みにくい形態の本だが実はこの物語はずいぶん昔に知った、
クライマックスシーンはモノクロームでロクサーヌに看取られるシラノの二人が蝋燭の光と陰で書かれたものをどこかで見た記憶がある、
この話を私に聞かせたのは11歳の時に死んだ母親だった、
癌で2年以上入退院をしていたのでまだ小学低学年だったとおもうがこんな話を夜なべで着物を縫いながら私に話した、
敗戦で父の疎開先に小屋を建てて和裁の仕立てとお針子に和裁を教えて家計を支えていたのだが私に話してくれた事をつなぎ合わせると結構裕福な育ちだったようだ、
死んだのが47歳で私がまだ中学一年生だったので昭和38年の春になるので明治生まれか、
関東大震災で伊勢崎も大きく揺れたと言う話やその時神田にいた兄が火災になった楽器店からマンドリンを持ってきたと言う話や本人も「女学校に行っていた」という話、学校がミッション系だったようで「私はカソリックのクリスチャン」と言う話など、
讃美歌も良く口ずさんでいたが学校で合唱隊にいたと言い「城ヶ島の雨」の二部合唱の上下の歌や波浮の港なんかも良く歌っていた、
旧約聖書の一部も話してくれた、ソドムとゴモラや暴君ネロの話、アダムとイブの話、ノアの箱舟等々、その中に「シラノドベルジュラック」もあった、
鼻のシラノとロクサーヌへの恋、親友の為に片思いのロクサーヌに恋文を書きその仲を取り持ったが戦場で傷を負い親友の遺言としてロクサーヌに最後の言葉を伝えながら息絶えると言うスト―リーは本当の話と合っているのか、
母の創作だったのかもしれないが私にとってはそれがシラノドベルジュラックの話だった、
ダウンした本は数ぺージで閉じることにした
母親の記憶は声や顔貌ではほとんどない、話をするときもずっと針仕事をしたままなので其の手元しか覚えていない
裸電球の下でずっと針を動かしていたのを布団の中からのシルエットと長い髪の匂いでしか覚えていない、
女学校の友達と「利根川の河原で月見草が開くのをずっと待っていたんだよ、月見草はね開くときに小さくポッと音がするんだよ、」
そんな話が幻灯の様に記憶にある、敗戦後私を生んで帰りたかっただろう故郷に一度だけ帰ったことが有った、私はまだ未就学の時なのでおそらく昭和27~28年位だろう、
静岡の山奥から伊勢崎まで当時は東京~上野と乗り継いで12~14時間くらいかかっただろう、お土産に焼き饅頭を持ってきた事を覚えている、
そしてその後乳癌が見つかったときには全身に転移していたらしい、右の乳房を完全に切除したが1年足らずで肺癌が悪化して入院して1ヵ月足らずで死んでしまった、
残念だが私には母の故郷は全く手掛かりがない、当然親戚もわからないがそれでよいのかもしれない