梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自殺考

2022-05-15 11:02:09 | 雑記
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自殺した、
少し前に渡辺裕之さんが、更に数か月前には神田さやかさんが自殺している、

「自殺」と表現すれば「自らを殺す」と言う意味になる、
生きると言う事、生き続けると言う事は生き物に与えられた最大の権利である、
しかしそれは同時に生続けると言う大きな責任でもある、
生命の維持継続と言う生命体に与えられた重要な義務でもある、
宗教的にも生きる事は神から与えられた義務であり、クリスチャンは自殺を禁じられている、
「自殺」はその責任を犯して被害者と加害者が同じの「殺人」である、
「自死」と書かれることもあるがこの「罪」を回避する為なのか最近増えてきている
自殺は積極的、自死は消極的と言う感じがしないでもないが同様に使われている感じがするが本来自死は「生の放棄」と言う事なのだろう、
消極的な「生の放棄による致死」は自分にも何となくわかる気がする、
「もう、いいか」と言う感覚、突然何もかも面倒になる瞬間が有るがそれが継続していれ恐らく「緩慢な自死」あるいは「緩慢な自殺」と言う時は何度かあった、
それは仕事が嫌だとか、生活が苦しいとか、人との軋轢とか、特に理由は無く突然襲ってくる、
若し家族がいなかったら自分はもうとっくの昔にそんな死に方をしていたかもしれない、
「橋の下で野垂れ死に」が何処か憧れでもあった時もあったし、若しかしたら今でもどこかにあるような気がする、
自殺している人達の殆どは「死にたい」と明確な意思の結果として死を選んだのだろうが
「生きる事を放棄して結果としての死」と言う事も若しかしたら結構あるんじゃないかとも思う
ホームレス、路上生活者と言う人達は恐らく最後はどこかで一人で死んでいるのだろう、
行き倒れ、「行路死亡人」となる事を承知で命を紡ぎ、どこかで疲れ(もういいか)と死を受け入れる、
消極的な自死と言えるだろうがそれを神は責めるだろうか、

万民が生まれつき持つ「生き続ける権利」をロシアは無差別に奪っている、
ロシア正教でも恐らく自殺は禁止しているだろう、それ以上に「殺すなかれ」と教えているだろうにプーチンを祝福している、
ロシア正教では地獄思想が無いがもしあるならその魂は間違いなく地獄に落として貰いたい