梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自殺考・孤独死と「都会の孤独」

2022-05-17 15:25:03 | 雑記
入梅の発表は無いが今日は梅雨寒、薔薇がアチコチで咲き誇っている
バーボンの名前の黄色い薔薇

淡いピンク

赤い薔薇はあちこちにあるが臙脂に近い赤は珍しい

映画音楽で「薔薇の入れ墨」と言うのが有って好きな曲だがイメージはこんな色かな

Freesia Laxaフリージアの仲間か

都会の孤独と言う話がある、
雑踏の都会で誰とも繋がらず生きると言う事をそう言うらしい、
廻りには多くの人がいるのに誰とも繋がれない、(自分は独りだ)と強く感じてしまうのだろう、
自分はどうなんだろうと言えば確かに常に友人は居たがそれは職場の関係が殆どだった
20代のころ、まったく職場とは関係のない遊び友達が居たがあくまで遊びの上での友人で悩みを話し合うとか言う深い付き合いは無かった、
親は17歳までには他界し、兄妹は既に世帯を持っていたので其処では「他人」でしかない、
それが当たり前に暮らしてきていたので「孤独」と言う様な認識は無かった、
まあ性格ともいえる、基本的に遊ぶのは独りで放浪する事が好きで友人と行動を共にするのは酒絡みの付き合いだけだった、
そんな事を言えば怒る奴もいるかも知れないがこの歳になったらほとんど会うことも無いので知る事もあるまい、
孤独感から自殺を考える人がいると言うがそれは{都会}と言う混沌の中の隔絶社会だからかもしれない、
生まれた土地から離れないで済み続けている人にとっては「孤独感」と言うのは無いのだろうか、
30代の終わりころ気の迷いで同窓会に出た事があった、
その時に感じたのは田舎社会でずっと生き続けている連中にとっての人間関係は小中学校の時から全く変わっていないと言う事だった、
当時の餓鬼大将、昭和後半で言う「番長」とその子分達は其の儘宴会の席に残っていて番長の廻りには腰巾着だった奴が座り、酒を注ぎ、そのグループから目を付けられていた自分には同じ様に横柄な口きく、
社会的地位がどうなっているのか興味もないので聞きもしなかったのだがあれを見ると村社会では「孤独」を維持する事はかなり難しい、
都会に出て孤独にさいなまされても尻尾を巻いて帰るのはもっと苦しい、啄木ではないが「帰る所にあるまじや」である
都会に居場所が無くなったらホームレスか、行路死亡人か、自死しかないのかもしれない
ボランティアで救えることが出来るのは手段であっても心は救えるのは難しいだろうな、