梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ヤマモモの思い出

2022-06-19 11:03:44 | 昭和の頃
通勤途中にある病院の中庭が道路になっていて何本かの植え込みがある、
先日からその植え込みの下に赤い小さな実が落ちている、
見上げてみたら濃い緑の葉の中に幾つもの実がなっていた、




まだ黄色い実や熟した赤い実、すでに黒くなった実があちこちになっている、

ヤマモモの実だ、数本同じような木が植わっているのだがヤマモモはこの木だけの様だった、
実の感じは野イチゴやキイチゴに似ている、子供の頃食べた記憶はあるが味は覚えていない、
未舗装の県道には一日数本のバスが来る、我が家のバス停は終点の一つ手前、
終点とこのバス停のちょうど中間位に竹細工の工場がある、
元々は竹箒と笊や背負籠を作っていた職人だったが終戦後になって息子が孟宗竹でジョッキなんかを作って「倉真竹材」と言う工場にした、
それが人気が出てそこそこの規模になった、と言っても10人を少し超える程度だった気がする、
工場はバス通りに面しているが住まいはそこから九十九折に段々畑を5~6分上がったところにあってその家の裏に一本だけヤマモモの木があった、
村でもヤマモモの木はここだけだったが家の屋根を超えるくらいの樹勢だったから結構年代物だったのだろう、
昭和20年代、村の万事屋には多少の飴玉くらいは売っていたがそれを毎日買えるような生活ではなかった、
しかし、育ち盛りだ腹は減る、夏場は炊いたご飯は笊に入れて布巾をかけて軒下にぶら下げて置くが梅雨時の湿気のある蒸し暑い日にはすぐにすえくさくなってしまう、
それを水で洗って食うのだがあくまで腹を満たす為の食糧だ、
子供はおやつとしては野に生えているもの、生っているものを片っ端から食べる
誰もがやっていたので多分昔からみんなやっていたのだろう
春先は虎杖、少し暖かくなると野イチゴ、木苺、桑の実だが桑の実は腹を壊すと親から厳つく止められていたが内緒で食べる、
しかし此奴は色素が強くて舌が赤紫に染まってしまい水ですすぐ程度では全く取れず「口を開けてみろ!」と言われて叱られる、
ヤマモモの実は一つの木でかなり大量に採れるので子供にとっては実にありがたい存在だった、
敷石の上に点々と落ちている赤や紫の実の跡を見ながらこんなことを思い出していた、



Miniaturw roses"ロサ”と言うらしい