蒲田東口駅前ロータリーにだいぶ前から石造りの像がある、たしか新島だったと思ったが伊豆七島の加工しやすい石で造られていると思ったが、イースター島のモアイ像をもじって「モヤイ」と名付けられたと聞いた、これが長年の間にいい風合いになってきている、少し苔むしてきた感じが良い、確か此処だけではなく立っていたはずだが思い出せない、
広場を挟んで小さな花壇があるがここにはヤマユリが咲いている(山百合ではないかもしれない)周りには色とりどりの花が植えてあるのだが私はこちらの方が好みに合っている、山百合は故郷の山にはずいぶん咲いていた、結構香りが強く花粉も衣服に付くとなかなか落ちないのであまり家には飾らないが田舎の事で花なんぞを家に飾る家自体なかった、しかし市内では結構人気があって中学の頃はいい小遣い稼ぎになった、
山の中である、小遣い稼ぎは山や川で採ってくる、大人がやると金額もシャレにならないので問題だが子供の稼ぎは大したことはないしまあそんな事をするのは貧乏人に決まっている、実はそれで家計の足しにしたりしていた、大体田舎にあるのは食糧品を主にした雑多店しかないので使う先もなかった。
初夏は山百合の蕾が付いた形の良いものを朝採って町の花屋に卸す、仕掛け針で鰻をとり村に2軒あった温泉旅館に売る、これは結構いい金になるが形の良い鰻はそうはとれない、秋口に良い蔓を見つけておいて晩秋に掘り出す山芋が結構金になる、
更に冬になると真竹の枝が竹箒の枝を拾って竹箒屋に卸す、こちらもいい金になるがとにかくがさばるのが難点だったが、それでもありがたい収入源だった
何しろ新聞配達や牛乳配達と言う子供の仕事は山奥ではありえない、ほとんどの農家が牛を飼っているし、鶏やヤギも飼っている、新聞なんぞはほとんど取っていない、市内の子供達のアルバイトはない替わりに山では結構割りの良い小遣い稼ぎがあったのである
沢に行ってセリや三つ葉を採ってくる、田んぼでは田螺をとり、野蒜と酢味噌で和える、春は蕨やゼンマイがある、考えると結構金は掛かっていなかったかもしれないな、
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