私の上に2人の姉が居たので初めの内は親子5人だった、家の前に少しの畑が有り自家消費の分だけ野菜を作っていた、その為色んな野菜を少しづつ作る、夏の野菜は瓜が多い、胡瓜と白瓜、ここらでは「じばい瓜」と言った、胡瓜は竹で棚を作ってぶら下がるように作るが白瓜は藁床を敷いて横に広げて作る、まくわ瓜、、トマト、この辺りは子供のおやつでもある、笊に入れて沢水に晒しておくと程よく冷えて居て学校から帰ると皆で食べた、胡瓜は味噌をつけてトマトは塩を付けて食べる、私は未だ緑色の所がある硬い青臭い奴が好きだったが最近東京で売っているトマトはやたらに甘くなってしまい余り食べなくなった、白瓜が出ていたので買って来たが漬物以外には余り使えないな、茄子と南瓜も作った、後トウモロコシも作ったな、此れだけ書くと凄い面積に見えるが実際は100坪程度のしかも段々畑だった、それでもやたらに取れる、出荷する訳ではないから一時に蒔くので出来る時期が重なってしまうのだ、それでも5人居た頃は捨てる事も無く残ったものは糠漬けにして食べたりしていたのだが、姉2人が中学を降りると就職で家を出てしまい、母が亡くなってしまうとそんなに出来ても仕様が無い、畑はいつの間にか花壇になって来た、今考えるとおかしな父親だったかもしれない、元々庭と畑の境目が余りはっきりしていなかったのに花壇になったら川原から漬物石くらいの石を運んできて花壇らしく設えていた。花は母が好きだった菊と芍薬位で菊の廻りにクロッカスを植えたのは母だ、父は野草を採って来て花壇風にする、春は漬物石で囲まれた中に畦道から取ってきたたんぽぽを隙間無く植えた、此れが時期になると見事な黄色の膨らみになる、春の内に山百合を球根から採って来て群生するように植え込んだ、此れも纏まって咲くので匂い立つ程咲いて見事な景観になった。もっとも此れは後で球根を食べる為でもあった、その頃ユリ根は結構な値段で売れたので小学生の頃は小遣い稼ぎに採った事もある、しかし母が作ってくれたゆり根の羊羹は美味しかった、小豆の羊羹と並べて紅白にして近所に配ったりしていた。話が彼方此方に行く、二人暮しになった年に父が何処から花の種を貰ってきた、「コロンブスと言うらしい、和名はアメリカ立ち葵と言うそうだ」と花壇の隅に蒔いたのだが大変に強い花で最初から見事な真っ赤な花を一杯につけた、背が家の屋根より高かったので恐らく3m近かったのではないか、株立ちで茎は濃い茶色で斑点がある、葉は尖った八手風だが柔らかい、オクラの葉に似ていたかな?花はハイビスカスのおしべが無い様な感じだったが色は非常に目立つ赤色だった、葉は地面から1,5m位の所から繁生し、その先端に花が無数に咲く、村には無い花で背が高くしかも色が派手なので結構目立っていた、しかし3年目の春先に家を捨てて村から出たのでその後はどうなったか全く解らない、暫く廃屋になっていたようだが浮浪者が入り込んだり子供が遊びに入ったりと無用心だと言う事で取り壊されたらしい、その後は何処かの金持ちが別荘を建てたとか聞いたが暫くして帰ってみたらあの頃の面影はすっかり無くなっていて当然「コロンブス」も見当たらなかった
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