日本映画の全盛期は東宝・東映・日活・松竹更に新東宝と新東映が有った、各社得意ジャンルがあって東映は時代劇、東宝はサラリーマン物や事件物、松竹は文芸物、日活は活劇物そして各社青春ものがある、
その他に戦争映画という奴が有ったが多分東宝だったろう、考えるとあの時代にまるで「帝国の栄光」みたいな映画をアメリカがよく上映させた物だと思う、「明治天皇と日露大戦争」とか言う題名は大戦の記憶が色濃くある時代に懐古趣味で片付く話では無い気がする、逆に今あんな題名の映画を撮ったら恐らく良識を疑うと言われかねなだろう。
私は東映の時代劇と日活の良く分からない活劇が好きだった、
東映では股旅ものと所謂「勧善懲悪」もの、遠山の金さん、大岡越前、旗本退屈男、定番の水戸黄門、そして毎年年末は「忠臣蔵」だがこれは勧善懲悪とは若干違うが気分は悪の吉良上野介とせいぎに準ずる四十七士的な見方だったろう、
長谷川一夫の銭形平次は大川橋蔵になるが同じ様な物は捕物話で人形佐七、むっつり右門など同じ様な役者でまた旅物も多く主題歌が流行った伊豆の佐太郎、作野鯉太郎、そして有名な清水次郎長(このHEPでは”じろちょう”では出て来ないわざわざ”じろう超”と打たないと変換しない、時代は変ったんだな)のシリーズで忠臣蔵と清水次郎長はオールスター向きである、なにしろ善玉がやたらに多い、悪役が少ないので看板役者を一斉に出しやすいのだ、
あの頃の悪役は結構個性的な役者が多く後から考えるとその役者の印象が強い、東映映画が凋落した後にテレビで味のある芝居をしていたがすっかり違う印象になって居た、進藤英太郎はなかなかとぼけた悪役で直情型というか解り易いワルで敵役なんだが妙に憎めない役、思わず笑ってしまう役者だった、最後の頃テレビドラマで人の良い好々爺を演じた気がする、
もう一人これは地位の高い悪人にぴったりだったのが山形勲だった、こっちは見ている方が本気で腹を立てた位の公演だったがこの役者もテレビに移ってからは正反対の役が多かった。
成田三樹夫と言う役者が居たがこれは冷たい感じの役がピッタリだったが作品は覚えていない
実際には此方側の役者の印象が強く残っているのだが看板役者と言われる様な役者はどちらかといえば役者の印象より役の印象が強くなってしまう、市川右太衛門は未だに真似される「旗本退屈男」片岡千恵蔵は大岡越前から遠山金四郎、忠臣蔵で大石内蔵助などイメージの違う役をすべてあの独特の台詞回しで押し通す役者で失礼を承知で言わせてもらえば「怪優」の部類にはいる、しかしこの時代は何でも有りでこの千恵蔵は現代劇でも活躍していて「7つの顔を持つ男」は結構受けていた、当時でも「どう見ても7つにはなってないぞ」と突っ込みたくなる扮装だがそれが面白いのだ、
考えると映画産業にとっては本当にいい時代でスクリーンの上は何でもアリだが何しろ歌舞伎の黒子が不思議でない国の映画だからそんな物だったろう、
なにしろ着物の上から切っているのに血は出ないし着物は切れていないし、大立ち回りで次々に切り倒すのに同じ位置に居るのに死体がひとつもない、それでも喜んでみていたものだ
今の映画に文句をつける前に自分たちが大喜びで見ていた映画も今見たら見られたものでは無いかもしれないがやはり懐かしい思い出である
その他に戦争映画という奴が有ったが多分東宝だったろう、考えるとあの時代にまるで「帝国の栄光」みたいな映画をアメリカがよく上映させた物だと思う、「明治天皇と日露大戦争」とか言う題名は大戦の記憶が色濃くある時代に懐古趣味で片付く話では無い気がする、逆に今あんな題名の映画を撮ったら恐らく良識を疑うと言われかねなだろう。
私は東映の時代劇と日活の良く分からない活劇が好きだった、
東映では股旅ものと所謂「勧善懲悪」もの、遠山の金さん、大岡越前、旗本退屈男、定番の水戸黄門、そして毎年年末は「忠臣蔵」だがこれは勧善懲悪とは若干違うが気分は悪の吉良上野介とせいぎに準ずる四十七士的な見方だったろう、
長谷川一夫の銭形平次は大川橋蔵になるが同じ様な物は捕物話で人形佐七、むっつり右門など同じ様な役者でまた旅物も多く主題歌が流行った伊豆の佐太郎、作野鯉太郎、そして有名な清水次郎長(このHEPでは”じろちょう”では出て来ないわざわざ”じろう超”と打たないと変換しない、時代は変ったんだな)のシリーズで忠臣蔵と清水次郎長はオールスター向きである、なにしろ善玉がやたらに多い、悪役が少ないので看板役者を一斉に出しやすいのだ、
あの頃の悪役は結構個性的な役者が多く後から考えるとその役者の印象が強い、東映映画が凋落した後にテレビで味のある芝居をしていたがすっかり違う印象になって居た、進藤英太郎はなかなかとぼけた悪役で直情型というか解り易いワルで敵役なんだが妙に憎めない役、思わず笑ってしまう役者だった、最後の頃テレビドラマで人の良い好々爺を演じた気がする、
もう一人これは地位の高い悪人にぴったりだったのが山形勲だった、こっちは見ている方が本気で腹を立てた位の公演だったがこの役者もテレビに移ってからは正反対の役が多かった。
成田三樹夫と言う役者が居たがこれは冷たい感じの役がピッタリだったが作品は覚えていない
実際には此方側の役者の印象が強く残っているのだが看板役者と言われる様な役者はどちらかといえば役者の印象より役の印象が強くなってしまう、市川右太衛門は未だに真似される「旗本退屈男」片岡千恵蔵は大岡越前から遠山金四郎、忠臣蔵で大石内蔵助などイメージの違う役をすべてあの独特の台詞回しで押し通す役者で失礼を承知で言わせてもらえば「怪優」の部類にはいる、しかしこの時代は何でも有りでこの千恵蔵は現代劇でも活躍していて「7つの顔を持つ男」は結構受けていた、当時でも「どう見ても7つにはなってないぞ」と突っ込みたくなる扮装だがそれが面白いのだ、
考えると映画産業にとっては本当にいい時代でスクリーンの上は何でもアリだが何しろ歌舞伎の黒子が不思議でない国の映画だからそんな物だったろう、
なにしろ着物の上から切っているのに血は出ないし着物は切れていないし、大立ち回りで次々に切り倒すのに同じ位置に居るのに死体がひとつもない、それでも喜んでみていたものだ
今の映画に文句をつける前に自分たちが大喜びで見ていた映画も今見たら見られたものでは無いかもしれないがやはり懐かしい思い出である