梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の時代

2012-08-26 18:15:13 | 雑記
日本映画の全盛期は東宝・東映・日活・松竹更に新東宝と新東映が有った、各社得意ジャンルがあって東映は時代劇、東宝はサラリーマン物や事件物、松竹は文芸物、日活は活劇物そして各社青春ものがある、
その他に戦争映画という奴が有ったが多分東宝だったろう、考えるとあの時代にまるで「帝国の栄光」みたいな映画をアメリカがよく上映させた物だと思う、「明治天皇と日露大戦争」とか言う題名は大戦の記憶が色濃くある時代に懐古趣味で片付く話では無い気がする、逆に今あんな題名の映画を撮ったら恐らく良識を疑うと言われかねなだろう。
私は東映の時代劇と日活の良く分からない活劇が好きだった、
東映では股旅ものと所謂「勧善懲悪」もの、遠山の金さん、大岡越前、旗本退屈男、定番の水戸黄門、そして毎年年末は「忠臣蔵」だがこれは勧善懲悪とは若干違うが気分は悪の吉良上野介とせいぎに準ずる四十七士的な見方だったろう、
長谷川一夫の銭形平次は大川橋蔵になるが同じ様な物は捕物話で人形佐七、むっつり右門など同じ様な役者でまた旅物も多く主題歌が流行った伊豆の佐太郎、作野鯉太郎、そして有名な清水次郎長(このHEPでは”じろちょう”では出て来ないわざわざ”じろう超”と打たないと変換しない、時代は変ったんだな)のシリーズで忠臣蔵と清水次郎長はオールスター向きである、なにしろ善玉がやたらに多い、悪役が少ないので看板役者を一斉に出しやすいのだ、
あの頃の悪役は結構個性的な役者が多く後から考えるとその役者の印象が強い、東映映画が凋落した後にテレビで味のある芝居をしていたがすっかり違う印象になって居た、進藤英太郎はなかなかとぼけた悪役で直情型というか解り易いワルで敵役なんだが妙に憎めない役、思わず笑ってしまう役者だった、最後の頃テレビドラマで人の良い好々爺を演じた気がする、
もう一人これは地位の高い悪人にぴったりだったのが山形勲だった、こっちは見ている方が本気で腹を立てた位の公演だったがこの役者もテレビに移ってからは正反対の役が多かった。
成田三樹夫と言う役者が居たがこれは冷たい感じの役がピッタリだったが作品は覚えていない
実際には此方側の役者の印象が強く残っているのだが看板役者と言われる様な役者はどちらかといえば役者の印象より役の印象が強くなってしまう、市川右太衛門は未だに真似される「旗本退屈男」片岡千恵蔵は大岡越前から遠山金四郎、忠臣蔵で大石内蔵助などイメージの違う役をすべてあの独特の台詞回しで押し通す役者で失礼を承知で言わせてもらえば「怪優」の部類にはいる、しかしこの時代は何でも有りでこの千恵蔵は現代劇でも活躍していて「7つの顔を持つ男」は結構受けていた、当時でも「どう見ても7つにはなってないぞ」と突っ込みたくなる扮装だがそれが面白いのだ、
考えると映画産業にとっては本当にいい時代でスクリーンの上は何でもアリだが何しろ歌舞伎の黒子が不思議でない国の映画だからそんな物だったろう、
なにしろ着物の上から切っているのに血は出ないし着物は切れていないし、大立ち回りで次々に切り倒すのに同じ位置に居るのに死体がひとつもない、それでも喜んでみていたものだ
今の映画に文句をつける前に自分たちが大喜びで見ていた映画も今見たら見られたものでは無いかもしれないがやはり懐かしい思い出である

浮いたり沈んだりではなく沈んだり浮いたり

2012-08-25 18:43:54 | 雑記
今日も暑い日だった、漸く日差しが陰り少し気温も下がった気がする、西の空は少し明るいがかなり厚い雲がずっと上空まで覆って来た、未だ雨は降るまいとは思うがそろそろ帰った方が良いかなと考えながらこの文を書いている、
8月に入ってから一度も休みを取っていなかったが明日は久しぶりに休もうかと思う
この商売はずっとそうなんだが4月以降殆ど仕事らしい仕事が無かったのに1つ少し長い仕事が決まったら違う所からもう1つ仕事が入って来た、長い仕事の方は何とか確定したかったのでかなり無理な依頼だったが休まずに何とか信頼関係を構築できたと思う、
殆ど諦めていた、9月一杯で会社を閉じてしまおうと準備に掛かっていたのだが「3年間掛かる工事だが協力会社が足らない、規模を上げて全面的に協力してくれないか」と言う話になった、
「棄てる神有れば拾う神あり」と言う事か、又目黒の導師が言っていた「決して駄目にはならない」と言う言葉を思い出した、「特別すごく良くなることも無い」と言う事とセットだから有り難いのかありがたく無いのか、まあ兎に角後3年は頑張れと言う事か、浮いたり沈んだりと言うが此処数年は「沈んだと思ったら又浮いた」と言う様な状況だな
改めて組みなおそうと半年前まで仕事を依頼していた大阪の会社に電話を入れたら「現在使われていません」と言うコメント、社長の携帯に電話を入れたが此方も「只今この番号は使われておりません」と言うメッセージだった、恐らく辞めてしまったのだろうが私より一回りほど若いが一生懸命頑張っていた戦友の様な社長だったが、何時辞めてしまったのか、若しかしたら今日まで何とかなっていたら協力出来たのに、少し暗澹とした気分になってしまった、
廻りの取引先も「しずんだり浮いたり」だったり「沈んだまま」だったり、まあ自分は幸せな部類かな、
後3年、実質半年は過ぎていたので2年半の工期だがそれでも毎月有る程度の仕事が期待出来る、「他の工事図面も協力してもらうと思う」と言う話も出て来た、この工事だけでも終えると自分は67歳になる、70歳までは何とか続けられる可能性も出て来た、
明日は気分的にもやっと休む事が出来そうだ、外は真っ暗、そろそろ帰ろう

映画俳優の思い出「水木譲と佐久間良子」

2012-08-23 18:26:26 | 雑記
ラエティ番組を見ていた女房がサイボーグ009の扮装をしたタレントを見て「水木しげるじゃないし、水木譲でもなし」と言うのを聞いて「水木譲」と言う役者を思い出した、
彼を有名にしたのは「忍者部隊月光」だったが私はその前からこの役者を知っていた、
中学校の1年だったと思うが2年だったかもしれない、村の駐在が替わって1つ上の男の子が転校して来た、歳は上だったがどう言うわけか直ぐに仲良くなり毎日一緒に下校する事が多くなったのだが彼が私のクラスの女子を気に入って「あの子可愛いよな」と言う事に成った、
名前は麗子と言うのだが小学校の間はずっと「礼子」と書いていて中学になったら突然「麗子」になったので聞いたら「字が難しかったので簡単に済ませていた」そうだ
彼女の家は自分の家とかなり離れていたが小学校の頃から気の置けない友達だった、小学校に入学当時から同じクラスで男女の区別なく遊んで来た子だったので余りそう言う見方をした事は無かった、しかし転校して来たちょっと町の匂いのする彼にそう言われると確かに可愛いのかなと思ったものだが別にそれでどうと言う事もなく彼女を捕まえて「堀内君がお前の事を綺麗だと言ってるぞ」とからかうでもなく普通に話したりしていた、
ある日彼が「お前は彼女と親しいみたいだから今度映画に誘ってくれないか」と言う事に成った、「二人だけだと来ないだろうからお前も一緒に行こう、金は大丈夫だから」と言う話になり彼女も人数あわせでもう1人の女友達を連れて来て4人で掛川の映画館に行く事になったのだがその時の映画が「故郷は緑なりき」と言う映画で主演が水木譲と佐久間良子の純愛物だった、
映画を見るのは村の公民館や校庭に掛かる移動映画か、学年毎に行く映画鑑賞会が殆どで他に何度か姉が連れて行ってくれたことが有るが子供同士で言ったのはこの時が初めてだった、
随分古い話である、佐久間良子はセイラー服で水木譲は学生服だった、ストーリーは全く覚えていないが確か最終的に二人は離れ離れになると言う構成で別れ前のラブシーンがその先を想像させるようにセイラー服の下に水木譲の手が入るシーンで暗転するのだがこの時に彼が私に「何をするんだろ?」と耳打ちをしたのを思い出す、当然解らないで聞いたわけではない、
彼の向こう側に件の彼女がすわりその向こう側にもう1人の友人(誰だったか思い出さない)が座って自分は彼の隣に座っていたので彼女の表情は見えなかったが、まあ今の時代から考えると本当に可愛い物だった、
その後彼は中学を卒業し音信は無くなったが後で彼女に聞いてみたがその後何回か有ったらしいがそれ以上にはならなかった様だ、もっとも有ったとしても言うわけも無いか、
水木譲は52歳の時に自殺をしたという、佐久間良子もその後テレビで見たりするが申し訳ないが昔日の面影は全く無い、時間は残酷な物だ、昔が美しかっただけに余計に感じる、
しかし八千草かおると言う女優は本当に凄いよな、若いと言うより美しいまま歳を重ねていると言う感じがするがもう大変な年齢だろうに

領有問題に対する韓国政府の対応とその他の国

2012-08-22 12:31:51 | 雑記
竹島問題で日本側が国際司法裁判所(ICJ)への共同提訴に同意するよう求める口上書を韓国政府に提出したと言うニュースが流れたが
外交通商省の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は21日、口上書提出に先立って行われた記者会見で、ICJ提訴や合意文書に基づく調停の提案は「一顧の価値もない」と述べ、応じない姿勢を改めて明確にした。口上書への対応については「文書で日本側に我々の既存の立場を明確に伝える」と語ったと言う、普通の裁判だと提訴が起こされて裁判所から出廷命令が送付され再三の呼び出しに応じない場合は「訴状の内容を全て承諾する」と言う事に成るのだがICJではどう言う形になるのか、「歴史的に韓国の領土である事は明白」なら呼び出しに応じて堂々と裁判で戦う事が当然だと思うのだが恐らく国際司法裁判所の裁定と言うのはそう言う形にはならないのだろうな、
領土問題は戦争の危険性を常にはらんでいる事は有るのでそう通り一片には行けないのだろうがこの事で韓国には証拠を示して理路整然と竹島の領有権を主張出来ないのだと言う印象は付けられるし日本も世界に対して「我が国は正当な領有権を有しているが韓国はその事に関して反論出来なかった、この事は竹島の帰属は当然日本にある」とアピールが出来ると言う事だ、
それがどの程度効力が有るかは微妙な問題だが少なくとも韓国政府より正当性を主張する事が出来るだろう、
尖閣列島も北方四島もこの事で多少は中国とロシアに対して抑止効果はでるだろう、北方四島に関して日本政府と外務省が言質を取られている様だが其れはそれで国民にはっきりとした方が良い、時の政府と外務省がどの様にいい加減だったか解る筈だ、
ゴルバチョフやエリツィン時代の覚書も全て公表し矛盾点や時間経過から来る変更も両国間で取り交わした物を無視したロシア政府のやり方を両国民に知らしめるべきだがソ連の頃だからロシアとソ連の継続性をどの程度認められるか、
ロシア国民の世論と言う物は殆ど聞こえてこない、恐らくロシア国民としては極東の小さな島などは知識も興味も有るまい、それを選挙の度にナショナリズムを刺激し国内の不満ガス抜きに使っている事を多くのロシア国民に冷静に知って貰えば恐らくそれ程難しい問題では有るまい
問題は今住んでいるロシア人達だが明け渡すのではなく両国で友好的に領有することが望ましいだろう、彼らも日本からの経済的な効果は望んでいる筈だし第一モスクワやペテロスブルグより旭川や札幌の方が遥かに近く経済的にも裕福なのだ、
国籍はそのままで暫定的に交友パスポートを発行し、同時に元島民の居住と就業を認め、各々の国籍に納税する方法でも出来るのではないだろうか、
庶民レベルでは敵対する感情は余り無い、殆ど政治家、軍人が自らの地位を保つ為に行っているだけの事だと思う
尖閣列島も領有権は棚上げにして中国・台湾・日本で漁業協定を結んで友好的に進める事を先ず考えるのが良い、今まで大陸棚資源が取り沙汰されない頃はこう言う形で進んで居たのだが有用な資源が有りそうだと成った途端強力に覇権を言い出した事も記憶に新しい、
中国と言う国と言うより漢民族と言う人間性なんだろうな

民族問題と領土問題の差異

2012-08-21 18:51:15 | 雑記
中東の国境問題はその根本に宗教問題が有る、パレスチナ問題にいたっては聖書の「出エジプト記」からの問題だから簡単ではない、キリスト教と言う宗教も基本的にはユダヤ教の発展型(?)と言える、イスラム教も基本的には同じ経典から出ている様である、民族の相違と言う事より宗教観の違いが対立の根本にある、日本人はいい加減というか心が広いと言うかそれとも宗教そのものに対するスタンスの違いか隣の人が何の宗教を信じていようが余り関係は無い
自分に都合の良い経典だけ取り込んで時と場合によって使い分ける、東洋の宗教はどちらかと言えば哲学に近い経典で「こうしなければならない」と言った教義と言うものも無い、宗教人として生きるにはそれなりに規制が有るが単に信者であるだけなら普通に生活をして居ればよい、
だから宗教で戦争が起きることは考えられないし信仰の為に異教徒を殺してもよいという教義はしっくり来ない、キリスト教も「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」と俗に言われるように教義の根本は「慎みで生きて他人を愛せ」と言うのが根本的な教義のようだが「十字軍の遠征」などとなると若干違和感がある、
領土問題が宗教問題が絡んでいる事は今でも続く問題だがどうもお隣の中国と韓国、ロシアの日本の周りで起きる領土問題は宗教とは関係なく国土を拡大したい、覇権型と言う様な問題に見える、まあそれでも韓国は日本との間くらいだが中国は隣り合った国と片っ端から問題を起こしている、しかし良く見ると一番国境が接しているロシアとは余り問題が聞こえてこない、
要するに国力の違う相手か外交が下手な国(日本である)を選んで領土問題を吹っ掛けているとしか見えない、
中国が言う領土には数十年前は違った国だった所、当然住んでいる民族は納得していない所が多く含まれている、それ以前に「中国」と言う国は多くの民族が生活していてその中で強大な力を持った民族が交代で国を治めてきた、現在国を動かしているのは殆ど漢民族でその前は清族だった、両民族とも東側と北側の民族で西側と南側は眼の色から髪の色肌の色も違う民族だが
当然彼らは漢民族の中国人と同じとは思っていない
中国は永い歴史と文化を持っているがその歴史は勃興と滅亡の繰り返しである、今の「中華人民共和国」が何時まで続くか、恐らく今世紀中にかなり大きな政変が起きて又リセットされる気がする
其れもそう遠く無い時期に