梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

フランスとISIS

2015-11-21 11:10:38 | 雑記
ISISとフランス及び友好国との対立が戦争の様相を見せて来ている、ISISが武力闘争を激化しているのには欧米諸国の内政干渉と言う事に発端が有る、親米政権に反発し選挙に不信を持つ少数派がテロに出て宗教で国を貫通したアルカイダの様な組織が出来、首謀者が殺害されると新たな首謀者がでてくる、テロに戦力で対応するのは限界が有ると言うより根絶やしにするのは不可能だろう、
フランスが政教分離を厳格にしてムスリムの女性が顔を隠す「ブブカ」と言う布(ビジャブとかにカーブと言う種類があるそうだが)を公共で使用する事を禁止したと言う、
情報が半端なので屋内では被り物や帽子はエチケットに反すると言う処から学内で禁止されたのかもしれないがムスリムにとっては「身に付けなければならない物」と言う事で生活の一部だろうしそもそも「政治的」で有る筈も無い、
ISISはテロに置いても「神は偉大なり」と言うらしい、この言葉の下に無差別殺人を繰り返すと言うのは「イスラム国」では正義かもしれないがその他の国では悪である、
しかしフランスの正義が普遍的に世界の正義である事も無い、正の考え方は国に拠り、宗教によって違う、
国の構成要件は民族なのか、宗教なのか、原始文化は単一民族と経済活動で生まれ、遅れた他の民族も宗教に感化され、経済活動が円滑になる事により徐々に淘汰されてきたのだろう、
今国の構成要件に領土が含まれているがそれは基本では無く経財的に拡大し占有して来たのであって「領土」が本来の国の構成要件ではあるまい、
当然「国家の構成要件」に文化的統一性があるが其処には古来からの宗教が色濃く関係して来る、原始国家は法律や医療等は「神の名」に置いて行われそれが全ての統率力を堅持して来た事は歴史的に証明されている、
だとすればフランスの言う「政教分離」を厳格にというのはもとより矛盾を含んでいる、
近代国家においては政教分離を是として来たのは宗教自体が国家の設立原理であるが幾つかの文化を統合する形になればやはり公平を期す必要が有った為だと思うし、宗教の名を借りて自らの地位と資産を増やす似非宗教かが増えて来るのを防ぐためもあっただろう、
現在のISISIの様に宗教のもつカリスマ性は暴走するファクタを内包する、しかしそれはキリスト教徒の正義で有ってその他の宗教の正義ではない、ムスリムでの女性差別と言う事もある、(Wikiではそうとは言い切れないと書かれていたが)だとしてもその宗教の女性がそれに不満を持っていないなら仕方ないのではないか、確かに他の女性達の生き方を知らないと言う事もあるあがだとしても他の宗教の正義を理由に国を戦場にすると言う事を望んでいるとは思えない、
マララと言う少女が命を掛けて女性に教育をと言う事に賛同するのは「フランスの正義」とは意味が違うだろう、写真を見る限り彼女は「ビジャブ」を巻いている、彼女が国連の席上に立って発言した時「ヒジャブを取れ」とはだれも言わなかっただろう
テロと国家が報復の応酬を繰り返していても解決はしないし何よりも一番多い穏健なシリア人を追い詰めて居ると言う事は難民の増加を見ればわかる、日本は略地球の半分ほど距離は離れ、キリスト教国家でも無い、しかし武力攻撃に手を貸せばたとえ銃火を向けなくとも「アラーの神」は偉大な言葉において聖戦を何時行っても不思議ではないのだ
人間社会から戦争を無くすと言う理想を憲法にうたった事を誇りに思うのが「愛国心」の発露ではないかと思う。

テロと愛国心

2015-11-20 10:08:48 | 雑記
外のメディアで自爆テロを「kamikaze」と言うと言う記事を見た、大戦末期に日本が行った神風特攻の事からそう呼ばれると言う、フランス読みは「カミカズ」だそうだ、
特攻から生還した人達のコメントが載っていたが「テロと同じ行為と言われるのは納得できない」と言う、「あくまで戦闘行為でお国の為になるなら」と思っていたと言うが、「命令する連中は死なない、死ぬのは下っ端だ、自爆テロも考えた連中が自爆するわけではない」、と言うコメントもついて居た。
しかし宗教的には自爆テロは崇高な行為だと言うので若干違うかもしれないがそれを考えている連中はおそらくその宗教的考え方を織り込み済みなんだろうと思う、
シリア難民の事も含めてSISのテロは国家と言う単位ではなさそうなので「愛国心」と言うのとは少々違うかもしれないが国を宗教単位で考えれば同じ様な心情なんではないだろうか、
しかし、「愛国心」と言う言葉の額面通りに解釈すれば「自国及び自国民を愛する」と言う事であり、「他国及び他国民を憎む」と言う事では無い
「愛国心」と言うものはある程度人が生きてゆく為の自己確立性の上で大事な事ではないだろうか、自分が何人でその文化はどう言う歴史的な経緯があって現在があると言う事を理解し、それに立脚して生きて行くのは国際的にも単純に人間文化的にも重要なファクタだと思う、自尊心と言うものは生きて行くときの自信と同時に冒せないプライドと言うものを植え付けるはずだ、日本的に言えば「日本人としての恥」だろう、まあ現在ではほぼ「死語」で恥は「人が持っている物を持っていない」と言った世俗的な事だけになってしまっている様だ、
卑怯な行いが恥であると言う言葉を理解する前に「卑怯」と言う言葉の意味すら理解していない、「個人がみんなの為に、みんなが個人の為に」とか多くを持つ者は持たない者に喜捨すると言う様な事が出来ない世の中になってしまったのはいつ頃からか、
元に戻す、他の国を憎み、卑下し侮辱し、挙句の果ては暴力をふるうと言う事は自国を愛し自国民とその文化を愛すると言う事とは全く違う、これを「帰属国家のアイデンティティだ」としたら国の数だけ戦争が起きる事は自明の理だろう、
日本が明治維新以来「攘夷」と称していた排外的な思想は実際は政治的な手段として使われていた事は「攘夷派」が主立っていたはずの明治政府は即日開国した(江戸幕府が開国した事は解っています)
他国民を貶めて国をまとめるのは今に始まった事では無いがそれは「劣等感の裏返し」だと言う事、為政者にとっては政策の不満から目をそらすのに都合がよかったと言う事に他ならない、
国を個人に置き換えて見れば自分が一番すぐれていると総ての人達が言いつのっていたらまとまる訳もない、互いの違いは姿形だけでなく育った場所も気候も違う、
育ち方も文化事象も違う男女が家庭を築いてゆくには互いが「自分の方が偉い」と言い合っていたら早晩離婚になるだろう、大概は内心そう思っていても態度には出さないものだ、そうして長年暮らしていけばそんな事はどうでもよくなる、

生活苦、などと言う言葉は敗戦後10年位で消えたかと思ったのに

2015-11-19 13:23:29 | 雑記
消費税を10%にする条件として「軽減税率」について自民党が「福祉関係予算が取れないから」と言う理由を出しているが消費税の影響を一番大きく受けるのが低所得層だと言う事は前々から言われている事だ、法人税を下げて所得税を一般消費に向けて税収を上げるのは「所得と税の逆進性」と言う問題がある事は既に定説ではなく法則だ、
エンゲル係数と言う貧困率の基礎係数があるが総支出に対する食費の割合だ、衣食住のうち「住」の住宅家賃は免税であるのに食費が課税対象だと言う事自体矛盾しているが、「生鮮食品以外は増税対象」だと言うのはこのまま所得が増えなければエンゲル係数は自動的に上がると言う事だ、その税収を「福祉に充てるため」と言うのは本末転倒どころか全く矛盾している、
集めてしまえば福祉に廻す事などするわけもない、過去に増税した時も同じ事を言っていた筈だ、一つは福祉の充実、一つは赤字国債の解消だったが赤字国債はこの数年で3倍になり貧困率は40%近くなって進学を経済的な理由であきらめる子供が出始めている、
電気ガスのインフラが止められて蠟燭に頼って火災を招き、医療費が無い為に医者にかかれず孤独死をする、それどころか「餓死者」まで出ている、
江戸時代でも天明の大飢饉のとき東北で多くの餓死者が出たのを除けば殆どないだろう、無論今ほど情報が発達していなかったせいで人知れずあったかも知れないが少なくとも江戸幕府や外様藩でも年貢免除はあったし江戸や大阪でも御救い小屋と言う救済措置は取られていた、
大体話に出てくるような悪代官は大抵私腹を肥やしている輩だし病人の布団を剥ぐのはヤクザか高利貸に相場は決まっている、
今の政権が目指しているのは一体何なんだ、大地主が小作人に種籾を貸し付けて収穫した米の大半が年貢に取られ来年の種籾まで廻らず、また地主から借りなければ来年が無い、
システムとして法的に間違いではないが牛馬に劣る生活を続けなければならない小作人と今の庶民はあまり変わらない、
官僚組織と言う古代中国で反乱の素になったようなシステムには学歴がいる、それだけの素養もいるがそれには修学しなければならないが金が要る、貧しい家庭が豊かな家庭になるには違法な世界以外はおとんどない、官僚組織に、あるいは経済界のトップグループに入れば金が金を生むシステムを手に入れる事が出来る、しかし金が金を生むと言うのは「金がなければさらに金をとられる」と言う事に他ならない、そしてそれを法としてシステムを整えて居るのが今の政治家だ、
金の有る場所にはさらに集まると言うのは場所は更に搾り取られると言う事、その方法としては税金が一番楽でかつ強制力がある、しかしそれでは本来の税金の目的とはかけ離れている、税金の目的は国民の生活を円滑にする事が大前提である。
持つ者達の消費ともた無い者達の消費は個人割合で行けばそれほど変わる訳もない、特に食事に関してはどうやったって倍は変わらない、
「広く集めて福祉に廻す」と言うよりある所から徴収してないものに廻すのが政治だろう、ない者達はどうやったって無いのだ、それこそ「無い袖を振ってみろ」と言われてもどうしようもない、まず振袖をみんなに配ってくれ、そうしたら好きなだけ振って見せてやるよ

テロ

2015-11-17 13:17:08 | 雑記
パリで同時テロが起きた、一般人が130人近くが犠牲となった、「シリアの爆撃の復讐である、フランス人は安心して眠らせない」とISIが犯行声明を出したと言う。
「神は偉大なり!」と叫んで銃を乱射し、自爆する、我々日本人にすると偉大な神が人を殺せと言うのがどうしても違和感がある、「神は偉大」である前に「神は寛容」であるのが我々日本人の感覚だ、仏教はそういう意味では「宗教」とは少し違うかもしれないが釈迦も仏も許す事が基本にある、人は愚かで間違いを起こす、それを自覚させる事で人を仏の位に導いてゆく、仏を信じなければ信じるまで許し、導き覚醒するまで待つ、
原始仏教ではカリスマ的な神格者はいない、生き方に目覚めた覚醒者がいるだけである、ブッタと言う言葉自体「覚醒した者」と言う意味であり彼は釈迦族のシッタルーダと言う一人の人間である、覚醒者を仏と言う形にしたのは釈迦の教えを分かりやすく多くの人に広めるためであって仏教の教えでは寓話的に語られていたのがいつの間にか実体化する形になった、イスラムで「神」は偉大で彼の言葉に従わない者は「殺せ」としたのも恐らく信じさせる方法論だったのではないだろうか、実際に「我を信じない者は殺戮しろ」と言うのは教えでは無い、スタンスは独裁者と同じである、
欧米諸国で宗教の多くを占めているのはキリスト教だろう、旧約聖書はモハメッドと同じユダヤ教の流れでモーゼが契約した神はやはり形はなく「声」があったとされている、しかしその後イエスキリストが著したのは「苦難は自らが背負う」と言う寛容の姿勢だったはずだ、「苦難は神の試練」だとするのは旧約聖書の中に多く出てくる、しかしコーランでは出ないのだろうか?他の神を認めないのはイスラム教が著しいがキリスト教もある時代は「十字軍」等と言う名目で神との契約を広めると言う名目で世界に軍隊を遠征していたが実際は派遣ではなく「覇権」の手段だった、方法としての宗教だからゆるやかに浸透させ、文明の力をもって医療や科学を駆使し徐々に感化していったのだ。
イスラム教も貿易に乗ってかなり広範囲い広がったのだが発祥地域は文明から取り残され懐古主義を「原理主義」と置き換える事で劣等感から逃げていったのだろう、
彼らの宗教観がどうあっても他の宗教が口をはさむ権利はないが力の弱い人間が宗教的階級で虐げられているのはおかしいのではないかと言う事は広い意味では正しいしやはり人間はずべてにおいて平等であると言う事を進めなければなるまい、無論それはイスラム信者の中から出てくるのが本当だが固まっているあの世界で虐げられた女性たちが声を上げるのは不可能だろう、シリアから自由を求めて脱出する人間が多くいる、それを力で抑えるとなれば国際的な非難を浴びるのは当然だろう、それに武器を持って阻止しようとすれば結局対抗上こちらも武器をとる、軍事力では太刀打ちできないから一般市民を標的にして攻撃をする、それに対してさらに強力な攻撃を繰り返すと言うのは救いのない泥沼になるだろう、
形は変わるが先の大戦を「早く終結するには日本人の一般家庭に壊滅的な攻撃をするのが効果で気であった、原爆と東京大空襲は正しい選択だ」と言う当時のアメリカ軍はいまのイスラムゲリラと根本的には同じ考え方だ、いまだに堂々とその事を述べるならこのテロに人道的なコメントを付けるのは目糞鼻糞と言うものだ

誘惑されて捨てられて

2015-11-14 08:47:34 | 雑記
何十年か前には「スクリーンミュージック」と呼ばれる音楽ジャンルが有った、レコード店のディスプレイも分かれていた、ヨーロッパ映画の曲が秀逸で喫茶店のBGMにもよく流れていたしいろんな奏者がアレンジして演奏していたが私はオリジナルの「サウンドトラック版」サントラが好きだった、有名な物は多いしポピュラーになっているものも多いが最近はあまり聴かなくなった、「シェルブールの雨傘」や「第三の男」などは今でも時々耳にする私の好きな曲の中に「誘惑されて捨てられて」と言う映画が有った、しかしこの映画は見たと思うが内容が思い出せない、検索してみたら「イタリア式喜劇」だとなっていたがどうもそう言う記憶ではないのだが姉の婚約者が妹を誘惑し妊娠してしまうと言うストーリーだった事は覚えている、メインテーマの曲はとても喜劇、狂騒曲だとは思えない出来だ、
この頃のイタリア映画とフランス映画はよく見た、モノクロの映画だが見ていて違和感は全く無く、逆にストーリーが印象的に覚えている、
音楽から覚えている映画はそのストーリーが意外と覚えていない、まあ見ていない物も多いのだが、随分後になってテレビ放送が有って見たものや名画座で見たものも多い、
「汚れなき悪戯」のジェルソミーナの歌や禁じられた遊びのチターのおとと合うのはやはりモノトーンの画面だろう、
ギャングスターのジャンギャバンがトラッカーを演じた「ヘッドライト」も出演者のバックはいつも夜の闇とヘッドライトの範囲にある道だけの印象深い映画だったがあれはやはり暗いモノトーンがふさわしい、
鉄道員と言う映画も有ったがこれは見ていない、イントロで入る女性の声が印象的な音楽だった、しかし日本の映画にはあまりそう言う印象的な音楽な無い気がする、あのと応じはアメリカの映画もミュージカル映画が多く良い曲がいっぱい有ったのだが今の映画はおとぎ話の焼き直しになってしまったのが残念だ、ハリウッドの衰退も仕方ないかと思う、
今ネットで見ると結構スクリーンミュージックのサイトがあるのに気がついた、もう一度見てみたい映画も見ていない映画もある、良い時代になったのかもしれないが良い作品はもう出来ないのだろうか