1月27日に誕生日を迎え、また1つ加点されました。取り敢えずは100点を目指して気持ちも新たに・・・
誕生日が正月に近いこともあり、昔から1年の目標は正月に決めずに誕生日に決めることが多いのですが、
今年の目標はもう半年前に決まっています。息子が留学から戻ったら華麗なピアノ演奏を披露すること・・・
去年の8月から始めた完全ど素人の「ピアノレッスン」ですが、あれからもう半年が経ちました。
最初の3ヶ月位は指が筋肉痛になったり、腕や肩が痛くなったり、まあ無駄な力が入りまくっていましたが、
最近はリズムを刻む左手とメロディーを弾く右手の異なる動きが、割と自然に出来るようになってきました。
とは言え、曲の途中で指が迷子になってしまったり、指を見ていると譜面の場所が分からなくなったり・・・
まだまだ初心者の域を脱していないので、短時間であっても毎日ピアノを弾くようにしています。
ところで、先日の「ブラタモリ」で「浜松編~なぜ世界一の楽器の町になったのか?」が放送されました。
「浜松」は、世界的なピアノ作りの町として有名ですが、何と今では4種類の楽器で「世界シェア№1」
ピアノは40%の世界シェアを誇り、それ以外の「世界シェア№1」は、電子ピアノ、鍵盤ハーモニカ、管楽器・・・
鍵盤楽器はピアノの派生として当然としても管楽器まで№1とは知らなかったので、新しい発見でした。
まず、「浜松」は戦国時代に徳川家康が17年間居住し、浜松城を建てたことで城下町として発展しました。
江戸時代には、温暖な気候風土から綿花の栽培が盛んとなり、綿花と綿織物の一大産地となっていきますが、
当然、織物のためには木製の織機が必要となり、織機を作る木工職人もたくさん集まって町が栄えました。
その後、明治へと時代が変わり、唱歌教育が行われる中で小学校に米国製のオルガンが導入されました。
当地で機械器具全般の修理を行っていた「山葉寅楠(やまはとらくす)」氏(後の「ヤマハ」創業者)が、
米国製オルガンの修理を請け負ったことから、その構造を学び、日本初のオルガン作りを始めます。
会社を起こした山葉氏は、渡米視察によって今度はピアノ作りを学び、日本初のピアノ作りも始めますが、
ピアノを作るためには多くの種類の木材と、その木材をしっかりと乾燥させる必要があります。
「浜松」は天竜川によって南アルプスの木材が運ばれる集積地でもあり、元々木材が豊富で、
常に乾燥した空っ風が吹き下ろし、木材の乾燥にも適していてピアノ作りの条件が揃っていたようです。
こうして「浜松」がその地理的条件と木工職人の腕で、世界一のピアノ作りの町として発展していくことになります。
番組では、薄い板を重ねて独特の形に曲げていく、グランドピアノの製造現場を見ることが出来ましたが、
ものづくり自動化全盛の今の時代に、職人によって一台一台丁寧に手作りされていることが新鮮な驚きでした。
グランドピアノの形を上から見ると、まさにPianoの「P」をガバッと広げたような形だなと思ったことがありますが、
薄い板を何枚もくっつけての手作業であの独特の曲線の形に作り上げていく作業工程は美しかった・・・
多種類の木材を重ねることで良質の音色を生み出せ、最高級のグランドピアノは何と完成に3年もかかるそうです。
そして、その後戦争の時代となりますが、「浜松」は東京と大阪のちょうど中間にあることや、
平らな土地が広がり滑走路を作るのに適した場所でもあったことから、航空自衛隊の最初の基地が作られました。
ピアノ作りの技術が、当初木製だった戦闘機のプロペラ作りに活かされ、その後プロペラが金属製になることで、
今度はその金属の加工技術が管楽器作りに活かされていく・・・という連鎖があったようです。
世界の管楽器の3分の1を製造する工場も見ることが出来ましたが、ここでも一台一台手作りされていました。
脈々と続く歴史と、地形、気候風土、多くの職人の腕と音へのこだわりにより、浜松が「世界一の楽器の町」に・・・
家にあるのは残念ながらグランドピアノではなくアップライトですが、こういう背景を知るとグッと愛おしくなります。
元々アッピアが子供の頃に使っていたピアノなので、弾き手は「アッピア⇒息子⇒私」と家族の歴史でもあるし・・・
益々レッスンに気合いが入りそうですが、そろそろ調律もやって労ってあげないと・・・
2020年1月31日
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誕生日が正月に近いこともあり、昔から1年の目標は正月に決めずに誕生日に決めることが多いのですが、
今年の目標はもう半年前に決まっています。息子が留学から戻ったら華麗なピアノ演奏を披露すること・・・
去年の8月から始めた完全ど素人の「ピアノレッスン」ですが、あれからもう半年が経ちました。
最初の3ヶ月位は指が筋肉痛になったり、腕や肩が痛くなったり、まあ無駄な力が入りまくっていましたが、
最近はリズムを刻む左手とメロディーを弾く右手の異なる動きが、割と自然に出来るようになってきました。
とは言え、曲の途中で指が迷子になってしまったり、指を見ていると譜面の場所が分からなくなったり・・・
まだまだ初心者の域を脱していないので、短時間であっても毎日ピアノを弾くようにしています。
ところで、先日の「ブラタモリ」で「浜松編~なぜ世界一の楽器の町になったのか?」が放送されました。
「浜松」は、世界的なピアノ作りの町として有名ですが、何と今では4種類の楽器で「世界シェア№1」
ピアノは40%の世界シェアを誇り、それ以外の「世界シェア№1」は、電子ピアノ、鍵盤ハーモニカ、管楽器・・・
鍵盤楽器はピアノの派生として当然としても管楽器まで№1とは知らなかったので、新しい発見でした。
まず、「浜松」は戦国時代に徳川家康が17年間居住し、浜松城を建てたことで城下町として発展しました。
江戸時代には、温暖な気候風土から綿花の栽培が盛んとなり、綿花と綿織物の一大産地となっていきますが、
当然、織物のためには木製の織機が必要となり、織機を作る木工職人もたくさん集まって町が栄えました。
その後、明治へと時代が変わり、唱歌教育が行われる中で小学校に米国製のオルガンが導入されました。
当地で機械器具全般の修理を行っていた「山葉寅楠(やまはとらくす)」氏(後の「ヤマハ」創業者)が、
米国製オルガンの修理を請け負ったことから、その構造を学び、日本初のオルガン作りを始めます。
会社を起こした山葉氏は、渡米視察によって今度はピアノ作りを学び、日本初のピアノ作りも始めますが、
ピアノを作るためには多くの種類の木材と、その木材をしっかりと乾燥させる必要があります。
「浜松」は天竜川によって南アルプスの木材が運ばれる集積地でもあり、元々木材が豊富で、
常に乾燥した空っ風が吹き下ろし、木材の乾燥にも適していてピアノ作りの条件が揃っていたようです。
こうして「浜松」がその地理的条件と木工職人の腕で、世界一のピアノ作りの町として発展していくことになります。
番組では、薄い板を重ねて独特の形に曲げていく、グランドピアノの製造現場を見ることが出来ましたが、
ものづくり自動化全盛の今の時代に、職人によって一台一台丁寧に手作りされていることが新鮮な驚きでした。
グランドピアノの形を上から見ると、まさにPianoの「P」をガバッと広げたような形だなと思ったことがありますが、
薄い板を何枚もくっつけての手作業であの独特の曲線の形に作り上げていく作業工程は美しかった・・・
多種類の木材を重ねることで良質の音色を生み出せ、最高級のグランドピアノは何と完成に3年もかかるそうです。
そして、その後戦争の時代となりますが、「浜松」は東京と大阪のちょうど中間にあることや、
平らな土地が広がり滑走路を作るのに適した場所でもあったことから、航空自衛隊の最初の基地が作られました。
ピアノ作りの技術が、当初木製だった戦闘機のプロペラ作りに活かされ、その後プロペラが金属製になることで、
今度はその金属の加工技術が管楽器作りに活かされていく・・・という連鎖があったようです。
世界の管楽器の3分の1を製造する工場も見ることが出来ましたが、ここでも一台一台手作りされていました。
脈々と続く歴史と、地形、気候風土、多くの職人の腕と音へのこだわりにより、浜松が「世界一の楽器の町」に・・・
家にあるのは残念ながらグランドピアノではなくアップライトですが、こういう背景を知るとグッと愛おしくなります。
元々アッピアが子供の頃に使っていたピアノなので、弾き手は「アッピア⇒息子⇒私」と家族の歴史でもあるし・・・
益々レッスンに気合いが入りそうですが、そろそろ調律もやって労ってあげないと・・・
2020年1月31日
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ブログランキングから来ました。
遅れましたが、お誕生日おめでとうございます!
浜松が世界№1の楽器作りの待ちなんて知りませんでした。
初めてブログを見たのですが、男二人?闘病、頑張ってくださいね。
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