特に最近、この拙い つぶやきブログ を書くことで
私の心の整理につながっていくような――。
(きのうの続きです)
あの「小っちゃな片方の靴」。
ああいうのって「置き忘れたもの」であって、
あの親子はその後「困った」かもしれない。
ふつうに考えると、「良くないこと」よね。
でも私にとっては、職場などを美化したり、整えたりしていく姿勢の
原点になったんじゃないかと思う。
(現実には決して、いつもきれいにしている訳じゃないけど)
「良い」「悪い」というのとは別に、
とにかくそこに「在る」ってこと。
そして、そのことが次に出会った人に影響を及ぼした。
そんな風に知らないうちに、周りに何かを齎したり、響き合ったりして
そんなお互いで成り立っているように見えてきた。
こんな風に思うのも、様々なところから
「良いも悪いもなく」とか
「思いも寄らないところで互いに影響し合って」というような話が
色んな形で聴こえてくるんですよ。
自分は、前向きに一歩踏み出していくようなのが苦手。
こういう状態は「良くない」、っていう価値観がどうしてもつきまとう。
(周りからも複数からそう言われたし )
でも、そういうのとは別に、
私がこんな風にして居る、ある、っていうことは事実。
そしてそういうような存在は、
私の隣りにいるAさんも、B君も、C子ちゃんも・・・、それぞれに
みぃ~んな同じことかもね。
何も話したり触れたりしなかったとしても
それぞれの空気を醸し出したり
無意識のうちにそれを感じ取ったり――。
(自分は、このまんまの状態で あぐらかいてて良いとは決して思ってないけどね。
次の段階として――。)
タンポポの綿毛から始まって、
汚れた小っちゃな片っぽの靴、
そして、なんでも「良いも悪いも無く」「とにかく そこに あって」…と、
なんだか話が広がってきちゃいました。