こないだ図書館で借りたのは、この2冊です。
『おふくろの夜回り』 三浦哲郎 著
『我が老後 これでおしまい』 佐藤愛子 著
どちらもなかなか面白かったです。
愛子さんの本は、もう少し若い頃、いっとき もう読み漁り、
すご~く怒る人だなぁ、とビックリしつつ、爽快になったりしていた。
最近、あるサイトで愛子さんの紹介文として
「憤怒の作家、と呼ばれている。」というのがあって、
うんうん、と納得しちゃいました。
それが、この本によると最近は「怒る気もしなくなってきた」とのこと。
それでも、
ガスコンロに怒った話は とても共感おぼえました。
お台所のコンロが壊れて、新しく買ったら、
最新のタイプで、「安全設計・自動で便利 」という。
期待を籠めて使い始めてみたら、
火が点かない。
娘さんを呼ぶと、説明書を読み、
鍋を置かないと点かないようになっていると云う。
「海苔をあぶる時はどうするの」と憤慨。
ご飯は、これまでガスコンロで火を調節しながら(愛子流のこだわりがあるそうな)、
ふっくら美味しく炊いていたのが、
「ごはん」というボタンを押して自動になると云う。
やってみたら
「勝手に炊き上げて、勝手に火を消しているのだ。こんもりどころかべったり水平にご飯が詰まっている」
もう、火山の噴火のように激怒なさった。
こういう話が山ほど続く。
も、書かずにはおれない、といったご様子。
そして、こう結んである。
「(こんなものに取り囲まれていると)人間は劣化します。デリケートな感性を失い、努力を捨て、緊張を摩滅させ、ささやかな創意工夫の喜びも、労働の汗の爽快さも知らず(知ろうとせず)怠け者になります。」
そう、そういうこと、私も常々感じていて、とても共感します。
私の最近の体験では――、
ある文章をワープロソフトで入力。さぁと添付ファイルで送るのに、
その時は共用のパソコンでやっていた。
その段階で部分的に手直ししたら、「自動的に」日本語の文法としておかしいところは
赤いアンダーラインが付いてしまう。
でも、実際には、その部分は それで良いんですよ。アンダーラインなんか消したい。
どこかでその設定をナシに出来る筈と思ったんですが、すぐには分からず。。
(別のパソコンでやってみたら良かった、と気づいたのは、
なんとかカントカ やり終えたあとのことでした。 )
日本語としておかしいかどうかなんて、自分で勉強したら良い。
ずっと前に使っていたパソコンでは、そんな「お知らせ」があっても、
一旦消してまた打ち直したら、「お知らせ」は もう出なかった。
そんな程度にしてほしい。
何でも「自動」で「便利」、
――ちょっと考えものだと思うんです。