河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

岩国の実家に帰るのも憚られる(はばかられる)

2022-01-07 11:35:40 | 絵画

まさかと思ったが、岩国の米軍基地のせいでデルタ株かオミクロン株化、色々ミックスなのか分からないけど、感染者が急増の岩国。感染者がこのところゼロの浜田から帰郷するのには危ないかもと・・・思う。冷戦状態の危機の時には真っ先に水爆ミサイルが飛んできて、半径100kmでも丸焦げになると言われていて・・・・本当は隣の市の境と200メートルのへき地にあるのにもかかわらず心配が尽きない。

一時、この家を改築して老後を過ごすホテルのシングルルームのような部屋とアトリエと書斎を足して、ここに最期の住処としようかと思ったけど・・・・。気の進まないのは、孤立したくない、まだ人生に煩悩があるからだろう。とにかくこの浜田の家はもうすぐ床が抜ける。猫たちが無法者宜しく、ウン子とオシッコをやり放題して、床の合板がはがれてきた。お金をかけて住むには、冬が老体にきつ過ぎて、もうこれ以上無理をしたくない。この浜田では真鯛の80cmオーバーを釣る夢があったが、もうどうでもいいや!!

また一応、山口市の新山口駅近くの土地を捜してみる。

どっちみち、また10匹の猫たちも老々介護になるだろうから覚悟が必要である。

とにかく早いうちに安心な場所に落ち着いて絵をもう一度描き始めることだ。

自分の絵画の世界を具現化するには、今までの気難しいフランドル絵画の作法に従った描写方法より、もっと安直な・・・というか自分にとって楽な表現方法でイメージを出せればと思うようになった。それは絵を描く目的が達成できれば「まず良しとする」選択が重要で、思い込み過ぎてスランプに陥るこれまでのやり方から離れるべきだと悟った。それは地色の白から始まる明るい絵画イメージが暗くなっていくのに足かせになっていたからだ。これからは少しグレーな基調色で一度暗くしてから、暗い方明るい方と別々に少しずつ立体や空間が出来上がる方がモチーフの色も決めやすいからだ。

途中で暗礁に乗り上げずに、最期まで描き終わっている作品は皆その感覚だった。

正直言って、何でも上手くいかないとコロナのせいにする。車を運転していても、前にのんびりと制限50キロのところを30キロくらいで走る年寄りが居ると、自分も年寄りだということを忘れて「免許返納しろ!!くそばばあーーあ!!」とわめく。

我が家のトラちゃんがキャットウオークからオシッコをする。丁度私が居る場面で二回ほどオシッコが頭や腕にかかった。「ボケ爺!!降りてこい!!」とわめいても「ああ、ああ・・・」と啼いて返事するだけ。枕元の濡れ加減はトラだった。これまで前科がないネコは現存9匹中3匹だけだ。皆そこいらじゅうやるから、もし家を建てるなら床はコンクリート各部屋に水道の蛇口を付けて、もらしたらホースでじゃあーと出来ることが望ましい・・・などとまだ具体的になっていない夢を語る。

絵の中でしか息が出来ない・・・と言った通り、絵を描かないければ生きた心地がしない。今の世界の政治は嫌いだし、権威を作ってその奴隷になるなんて出来ない。

世の中、全て嫌いだ。昔からはみ出し者でアナーキーだった。

そのくせ、自分の乗っている車には、雪かきスコップから、タイヤチェーン、砂、防寒着、ホッカイロ、食料と水、シュラフに毛布、LEDランプ、そして極めつけは簡易トイレに猫の砂にビニール袋が備えてある。この上に画用紙とインクペンを足せば半日車に閉じ込められてもサバイバルも完璧で・・・・自分だけの世界に閉じこもる性格が表れている。

両親が亡くなり、姉までなくなって独りになった。年を取ったのだなあと・・・認めたくなかったことも少しずつ認めざるを得ず、転換期が来たように思う。あきらめることをこれ以上増やしたくなかったのに。

暗くなって外に遊びに出ていたまめちゃんが帰宅して、今こうして書いている私の膝の上で私を舐めている。ざらざらの舌で気持ちが悪い。まるでサンドペーパーだ。みんな連れて行く将来を考えなくては。