河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

責任の取り方(加筆あり)

2022-01-13 08:45:56 | 絵画

よくテレビで記者会見を開いて、簡易机に3人がマイクの前で、ぺこぺこと頭を下げている光景が見かけられる。一応「謝罪」という形式だ。何か罪責任を認めたから行う謝罪なのだと思うが、ここでいう責任は「頭を下げる」ということで済むと思っているのだろう。だからこれが「蔓延」する。楽なものだ。

他者に対しての行いが、それが故意であろうが過失であろうが障害や損失を与えれば、それに対する責務は逃れられない。それが「法的責任」というものだ。それも過失であっても重大な事故となって、90歳の年寄りであろうとも、禁固5年の刑罰を受けている。これはマスメディアに注目され日本国民の周知となって、厳しく問われたが、いい加減な対応も散見される。故意、過失であろうとも、相手に弁済を求められる「不法行為」として扱われる。

以前、書いたと思うがベルリンに居た70年代後半に国立図書館で借りた本の1ページを破いて持ち帰った日本人がいて、それを見たドイツ人が訴えて、その日本人の学生は「初犯です」と謝った。恐らく初犯だと言えば許してもらえると思ったのだろう。つい日本人の「謝罪」方法が出てしまったが、裁判で懲役9か月の実刑判決を受けた。ヨーロッパでは良くあるらしいのだが、塀の中で「封筒貼り」をやらされたとか・・・。「謝罪」というのは罪を認めるからするのであって、「罪の償いの一つ」ではない。償いは「懲役9か月」である。裁判官であった父のお陰(?)でドイツのこうした責任の取り方を「応報刑」ということを知った。ちなみに日本では責任は「教育刑」で償うのだそうだが・・・「そんなことしてはいけませんよ!!」というのがこの国の在り方らしい。だから無責任な「謝罪」がはびこるのだ。ドイツの責任の取り方は個人主義の国らしい。個人責任は子供の時から教える。もし職場で嘘を一度言ったら、信頼関係は失われ、ずっと嘘を言う者として扱われる。だから例えば物を壊したら「Ich!!Ich!!」つまり「私!!私!!私が壊しました」とまず先に言わなければ、信用、信頼を失う。

安倍晋三は118回、国会答弁で嘘をついたと言われている。政治家には「嘘」と「真実」の価値の違いも分からないのだ。だから謝りもしない・・・いや謝ったらおしまい(もめるていど)だから、これが正解のなのだろう。

しかしまず隠ぺいから始まる公務員、いや民間人も同様に「知らんぷり」が横行する。裁判所が関係書類の提出を命じれば「のりべん」と呼ばれるまっ黒な書類が出て来る。個人上に関することが含まれているからと言い訳する。それを裁判所が検査する義務がるだろうに・・・やらない。それでスリランカ人ウシュマさんの死に関する書類一万五千ページがまっ黒な状態で提出された。私は日本人として恥ずかしい。許せない!!担当者を殴ってやりたい。

個人情報とは誰の個人情報だろうか。ウシュマさんの個人情報であれば「故人」であるので保護の対象ではない。それが法務省入国管理局の担当者に関することであれば「公共の福祉に反しない限り個人情報は守られる」という範疇に含まれるかどうか判断されなければならない。(公務員は個人で保護されてはならない。公務員が何か損害を与えたら国が保証することになっているからだ。)個人情報保護法は「法務省の役人なら厳密に」その意義が扱わなければならないはずだが。

これは行政機関による「陰謀」だと言える。こうした陰謀を許す社会はもうおしまいだと思う。世界は陰謀で満ち溢れている。ノストラダムスの予言は2035年でお終いだそうだ。あとちょっとだ!!わたしは自分の絵の中に閉じこもって死ぬ。