チョビは猫である。5年ぐらい前に母屋の隣に立てた作業倉庫でゴソゴソ整理をしている時にひょいと顔を見せてやって来た迷い野良であった。全体に白い毛の猫であるが、鼻の周りに薄茶の模様があって、仏像のお釈迦様にあるチョビ髭を思わす顔に、瞬間的に「チョビ」と呼んで・・・まるで我が家の猫のように・・・・しかし性格は朴訥(ぼくとつ:論語から:質朴で無口なこと)であり・・・そおっとやって来て、いつの間にか家に上がり込んできていた。食べ物が目当てであることは分かった。25匹ばかりいた他の猫たちとケンカする訳でもなく、またイジメるわけでもなく大人しいネコであった。ちゃんと去勢をしてやって我が家に永くいることになった。
一昨年、コロナが始まった頃、我が家でも多くの猫たちが死に始めた。何か猫たちの感染症がこの浜田で流行って年間で15匹亡くなった。その中の一匹にこのチョビが数えられたのである。我が家で一番太っていた「デブ」と一緒に居なくなったのでてっきり死んだと理解した。我が家の猫の数は激減して、9匹にまでなった。それから一年半ぐらいしたある日。隣の水産高校のN先生(中村先生)が来られた時、また新しい白いネコがやって来たと思って・・・・それにしても馴れ馴れしくこだわりもなく家に上がってきた猫をよく見て、少しどこか見たことがあるような・・・・・まさか行方不明な子がもどって来るとは思いもしなかったので・・・・つい声をあげてしまった。「ひぇ!まさかチョビか!!??」と。まさか生きていたとはお釈迦様でも・・・!!当時の流行病を生き抜くために・・・家出していたのかも。
9匹が10っ匹になったと私は大喜びだった。少しやせてはいたが。我が家を目指して帰宅したとは・・・誰かの世話になっていたのは有難い・・・良かった、良かったと感激した。
彼とのコミュニケーションは目でしかない。彼は啼かない猫だった。他の猫たちと比べて行儀よく、ご飯も「ほら、チョビ食べな」と目の前に茶碗に入った缶詰を食べるように言わなければ待っている子であった。私が食事中、焼き魚を突っついていると他の猫たちは狂ったように私の周りに集まるけれど、彼は皆の後ろから「自分も欲しい」という目で待っていた。思えば悲しい。
そして戻って来て2月もしたであろうか、11月のある金曜日、最近一番の「大寒波」の日、私も外に出ることが出来ないほど、まるで台風並みの雨風、庭のプランターの風よけは壊れてそこいらへんに散ってしまっていた。松江で風速27メートルを記録したと言っていたが、我が家では30メートルはあったであろう。倉庫の西の扉が吹き飛んで、戸口周りはびしょぬれ、天井からの蛍光灯はちぎれてぶら下がっていた。吹き飛んだ扉を元に戻そうとして私は吹き飛ばされて風の治まるのを待つしかなかった。こういう日に行方不明になる猫が必ず出るもので、全く帰って来なくなった子猫もいる。そしてこの日チョビも居なくなったのである。
がっかりした。折角戻って来たのに、またいなくなった。体調が悪そうだったから、この日に居なくなったのは「死にに行った」と思えた。それから二月余りがたった昨日のことだが・・・・また倉庫に額縁を捜しに入ったとき・・・何やら臭いがした。「むっとする死臭」である。誰か死んでいる。
臭いの元を捜したら直ぐに分かった。一番あり得る場所を覗き込んだら、そこに白い猫がいた。それは私が東京に居たときに近所の野良猫を家にあげた時に作った猫ハウスで、どうしても部屋の中に入らずベランダで寝ようとするからホームセンターでスタイロフォームを買ってきてボンドで組み立てて作った断熱式猫ハウスだった。誰かが寒さをしのぐときに使うだろうと取って置いた箱。
そこにいた白いネコはやはりチョビだった。顔がまっ黒になって居て、臭いを発している。彼はここに二月もいたのだ。寒い日が続いていたから完全に腐らず、初期的な腐敗臭がしていたのだろう。
もう彼を埋葬する場所が見つからない。最後に埋葬したチロの横、つまり勝手口の1m横に埋めるしかないだろうと思い、つるはしを捜した。ただ無心に掘った。アナグマが掘り返したりしないように、大きく深く掘った。そして猫ハウスを鋸で二つに切ってチョビを出した。ビニールの手袋をしてチョビの体をつかんだ時、なんだか温かく感じた。。。。死後硬直は溶けていて先ほど死んだようだったが、持ち上げた時に顔からばらばらとウジが落ちた。穴に横たえて土をかける時「成仏してくれ」と一言声掛けをする。もう何回この言葉を口にしただろうか。土が盛り上がると死臭を消すために水をかけた・・・濡れた土で遺体を覆うのである。
チョビは最期に私の所に帰って来てくれた。