さって!!3まで来た!!
少しは国際的な人物がものを言う時代になってきたかと思うが、どうやら集団ではなく個人レベルでしか語れないのが残念だ。西洋美術館のような西洋美術にはトップクラスの見識を持っていると思われてしまう組織の者たちが得ている実際の国際的な認識度は、外から見ると分からないが、中に入ると悲しい限りであると分かった時に寂しかった。海外出張や在外研修制度など利用して、欧米の美術館、博物館の専門家たちと交流できていると思うのは間違いだった。一つには語学力がない・・・とか、それ以前に興味が無いからきっかけとならないのだろう。また恐ろしいことに美術の専門家であるはずだが「目が悪く」美術品の宝庫である現地で、わずかな時間でも調査研究するなどの行動が見られないということだろう。人が書いた文献資料を読むより、まず先にその元となる「美術作品」を見るべきだろう。西洋美術に関する「交際論文」もなく、これが西洋文化を取り込めない一つの原因になっていると思う。語学力が貧しくとも「見方、感じ方」こそ才能でなければならないが、気が付かないのか???
むかし「和魂洋才」と言って、西洋文化を取り入れるとき「和魂」つまり「日本人魂」を忘れるなとでも言ってきたことが・・・まさか影響し続けているなんて・・・思いたくもないが、なにやらあながち否定も出来ない「日本の文化」があるようだ。
それは、先に日本の「魂」の方を基準にするから訳が分からなくなるのだ。「洋才」の方は合理的な習得の理由があるわけでもなく、気分的に入るから「現実に基づく」ものではなく「架空」の状態で近づく・・・が途中で放置もするから・・・身に付かないのだろう。まあ取り合えず「文系」はこれだ。
他に別の種族もいる。「体育会系」と呼ばれる種族がこの国には生き残っている。私の子供時代から、小学生の一部、中学生、高校生と制服を着せるのはどうしてだろう?中学時代は男子は「丸刈り」で「陸軍の兵隊」みたいだった。体育の時間に「ウサギ飛び」をやらされた。これは拷問の一種で、「体育とは何か」を体で身に着けさせる手段だった。これは今日、健康に悪いと言って、行わられなくなったらしい。また最近では高校野球の生徒は「丸刈り」が決まりだったのが、そう言う訳に行かなくなったらしい。少子高齢化で「生徒数が減って」野球部員の募集にも影響が出て「丸刈りでなくても良いです」と言って募集人員を増やしているとか・・・。
つまりスポーツマンは「丸刈りが辺りまえ」というのが「合理性は無かったということ」だ。議論は避けてきた教育委員会も、ここでものを言うと「反撃」に会うだろう。要するに伝統であったとか習慣があったとかいうのか?私には「集団の価値観の押し付け」がずっと続いていたのであって、これを「伝統文化」とか言いたくない。小学生、中学生に「皆と同じようにしよう」と集団化してしまうことで、個人性や多様性を無視してきた親、教師、政治家に至るまで、この国を国民をだめにしてきたのだ。
しかし、社会に出てからも「体育会系」と区別される者達がいる。「根性」とか「年功序列」とかが生き残って、「忖度」とかも社会構造に繋ぎ止めている。実にバカ臭い!!これは他者に対する「優越感」で、心の奥にある自分の「劣等感」を隠すことが出来ると思い込む手段だ。
人は生きるために「自分」を知り、「自分の価値観」を持たねばならないが、他者と違うと親にも怒られたものだ。教師は教壇に立って教科書を読んで聞かせるだけであったから、中学、高校と英語も話せない教育だった。子供に「見方、感じ方の自由」を与えよ!!そして自分を感じるのだ。
自分が自分でないとどう生きるのか自信が無い。若者になって自分が無く、生きる自信が無いと「頼れるもの」を捜す・・・そこに付け込むのが「カルト」だ。「こんなに素晴らしい世界がある」などと言われて、自分が無いとそちらに引き込まれる。
だが宗教だがカルトとは違う仏教に、阿弥陀が生まれて直ぐ「唯我独尊」と言ったというのを聞いて、私も「自分が最も尊い存在で、自分を大切にしよう」と気が付いたのは、「芸術とは何か?」に答えられなかった24歳の時だった。「芸術は自分の外にあるのではなく、自分の中にある」というのに気が付いたのは「唯我独尊」の一言の御蔭だった。
日本人が優れた日本文化を築いたのは「集団の価値観」を押し付けた時代ではなく、個人が多様な才能を持てる時代であった。室町時代、安土桃山時代、江戸時代と優れた者に文化が花開いた時代だ。有り難い先人の遺言だと受け止める。多様な個人の存在こそ「文化的」だろう。