minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

ドン、あなたも・・・

2006年04月03日 | ライブとミュージシャンたち
 次々に偉大な音楽家たちがこの世を去って行く・・・寂しいなあ。昨日はジャッキー・マクリーンのCD「swing swang swingin'」を聴きながら「I love you」 を一緒に吹いて自分だけの追悼演奏会を行いました(自宅にて)。

 昨日亡くなった、Don Aliasはジャコ・パストリアスbの名盤「ワード・オブ・マウス」やジョニ・ミッチェルvoやスティーブ・グロスマンsaxのサポートメンバーとして大活躍のパーカッショニストだった。
 
 14年も前の事になるけど、南ドイツの小京都と呼ばれる小さな街、ニュールンベルグでジャズフェスティバルが行われ、私のグループ(当時は<stir Up! >)もあの、モーツァルトでお馴染み「マイスタージンガーホール」で演奏した事があった。そのジャズ祭は4年に一度しか行われないのだが、3日間街中がジャズ一色になる。いろんなホールを使って昼から夜まで世界中のミュージシャンが演奏するという素晴らしいお祭りだった。

 万全なコンディションでコンサートを迎えようと、私も3日前からドイツ入り。翌日はビル・フリーゼルgのトリオとタニア・マリアvoのグループが出るコンサート会場に足を運んだ。1000人くらいのホールだったが、1番目は旧ソビエトのギターのバンド。これが大学生のジャズ研といった感じで、パット・メセニーgが好きなんだろうな、って感じ(苦笑)。ドラムもひどい音だった。そして2番目に出て来たのがビル・フリーゼルトリオ。同じドラムセットのまま、ジョイ・バロンdrが座ってほんの5分程でチューニングし、ガムテープをドラムにぱっぱっと貼り出した。あれよ、あれよという間にあんなにひどかったドラムが、いつものジョイ・バロンのドラムの音に早変わり。これには本当に驚き!サウンドチェックが始まった途端にお客さんはみんな会場の前のほうに集まってきて、階段などに座り込む。ライブハウスで聴くような、生音を楽しむという積極的な姿勢が感じられる。凄いなあ、ヨーロッパ人って。ビル・トリオの演奏も本当に圧巻でした。

 そしてその日のトリはタニア・マリアで共演者の中にドン・アライアスが。初めて間近でみるドンはメンバー紹介でも一際大きな拍手をもらってにこにこと嬉しそう。優しそうな人柄が伝わってきました。しかし、その日のタニアは調子がとても悪そうで途中でシンセが壊れて音が出ないで怒り出す始末。ドンの演奏は素晴らしかったのだけど、タニアのバンドとしては今イチ。さっきまで前に詰め掛けていたお客も自分の席に戻ったり、3曲ほど聴いて帰ってしまう人が続出。う~ん、ここがヨーロッパ人リスナーの怖いところ。良い、悪いを自分で判断し、これは聴くに値しない、となるとお金を払っていようがいまいが、さっさと帰ってしまう。
 げ~、明日の私たちの演奏でもこんな事になったらどうしよう。しかも明日のマイスタージンガーホールでは、メインとサブの会場あわせて3カ所で同時にコンサートが行われるので、面白くなかったら2,3曲聴いて次の会場に移動してもいい、というシステム。私たちがメイン会場で演奏している時に隣の小ホールで演奏するのが、なんと、あのナナ・バスコンセロスとティリロック・グルツのパーカッションデュオ。う~ん、私が聴きに行きたいくらいだ(涙)。

 そして当日、メイン会場は満杯。私たちの演奏が終わるまで、殆どの人たちは動かなかった。よかった~。そして割れんばかりの拍手喝采。こういうとき、ミュージシャンやっててつくづく良かったな~って思う。コンサート終了後、10分ほどで100枚もっていった自分のCDが完売。ENJAレコードの社長ホルストが「ぜひうちからCDを作ろう!」とその場で契約となった訳([226live! ] byコロンビアレコード)。そのときの本番を待つ様子を写真家中平穂積氏(dugのマスター)が撮って下さったものが上の写真です。(のどかな感じですが、本当はすごく緊張してました。)

 ドンの思い出を書くつもりだったのに、自分の話が長くなってしまった(汗)。でも滞在していたホテルで騒いでいたティリ・ロックと対照的にもの静かに朝食をとっていたナナ。だ~い好きなパーカッショニストたち大集合だったので、八尋君、ナナ、ロックの3人で「ろく、なな、はちトリオ」だね、ってホテルの前で記念撮影させてもらいました(興奮気味)。彼らにはその冗談は通じなかったようですが(当然)。ここにドンもいれば完璧だったのに・・・。彼は今頃天国でジャコとセッションしているんだろうな。合掌。