昨日の書き込みで、僕の立っている場所の話を書いたんだけど、その場所から撮影したのがこの写真。写真で見ると梅じゃないのかな。そうなるとこれは紅梅じゃないですね。
昨日の続きになりますが、中学生の頃って純真でよかったなあとつくづく思う。
中学生の時は中学生なりに悩むけど、現在ほどの重いものはないから、思春期の悩みなんて大人になってからの苦労のためのワクチンみたいなもんかもしれない。
年を重ねて、人生の垢にまみれて、世渡りは上手くなり、要領のよさを覚え、汚いものもいっぱい知ってしまった自分。
この石段を登っていたあの頃は、青臭く純真で生意気で、ガラス細工というより薄い氷のように脆い精神(これは今もひきずってる・・・)。
変わらないのはいつも揺れつづける心かな。
体は朽ちていくけれど、心は達観することなく、いつまでも大人になれない。
きょうの写真もヘキサノン。ボケうんぬん以上に立体感があり、ピントが合った場所がシャープ。
きょうはこの場所で祈祷祭があるようで、太鼓の音が聞こえてくる。
昨日の続きになりますが、中学生の頃って純真でよかったなあとつくづく思う。
中学生の時は中学生なりに悩むけど、現在ほどの重いものはないから、思春期の悩みなんて大人になってからの苦労のためのワクチンみたいなもんかもしれない。
年を重ねて、人生の垢にまみれて、世渡りは上手くなり、要領のよさを覚え、汚いものもいっぱい知ってしまった自分。
この石段を登っていたあの頃は、青臭く純真で生意気で、ガラス細工というより薄い氷のように脆い精神(これは今もひきずってる・・・)。
変わらないのはいつも揺れつづける心かな。
体は朽ちていくけれど、心は達観することなく、いつまでも大人になれない。
きょうの写真もヘキサノン。ボケうんぬん以上に立体感があり、ピントが合った場所がシャープ。
きょうはこの場所で祈祷祭があるようで、太鼓の音が聞こえてくる。